紙屋町停留場
紙屋町停留場 (紙屋町東・紙屋町西) | |
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紙屋町東・紙屋町西停留場付近の路線形状 | |
かみやちょう (かみやちょうひがし・かみやちょうにし) Kamiya-cho-higashi / Kamiya-cho-nishi - | |
所在地 | 広島市中区基町 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 東西各2面2線 |
開業年月日 | 1912年11月23日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■本線 |
駅番号 | M9 |
キロ程 | 2.1 km(広島駅起点) |
◄M8 立町 (0.3 km) (0.3 km) 原爆ドーム前 M10► | |
所属路線 | ■宇品線 |
キロ程 | 0.0 km(紙屋町起点) |
(0.2 km) 本通 U1► | |
備考 | 紙屋町東 - 紙屋町西間の実距離は約150m |
紙屋町停留場(かみやちょうていりゅうじょう、通称:紙屋町電停)は、広島県広島市中区基町にある広島電鉄の路面電車停留場。
紙屋町交差点の東西に別々の乗り場を有し、旅客案内上は東側の乗り場を「紙屋町東(停留場)」(かみやちょうひがし)、西側の乗り場を「紙屋町西(停留場)」(かみやちょうにし)としているが、平成26年度『鉄道要覧』では両方の乗り場を合わせて「紙屋町(停留場)」としている。
概要
1912年(大正元年)11月23日開業。東西の相生通りと南北の鯉城通りが交差する紙屋町交差点の東西に乗り場を有する。本線と宇品線の乗り換え電停であり、デルタ線を形成して本線の両方向から宇品線への乗り入れが可能となっている。
元々は旅客案内上でも「紙屋町停留場」としており、同一電停が交差点の東西に乗り場を有する形状となっていたことから、宇品線に直通しない本線の電車は「紙屋町停留場」に2度停車する形態となっていたが、紙屋町交差点の地下に作られた紙屋町シャレオ開業後の2001年(平成13年)11月1日より、東西の電停を「紙屋町東停留場」と「紙屋町西停留場」に分ける措置が執られた(この際、紙屋町交差点の横断歩道は廃止されている)。ただし、東西に分けられたのは停留場の呼称のみで、営業キロ・運賃計算上は引き続き同一電停とされ、駅番号も同じ「M9」が与えられている。そのため、東西の停留場間を移動した場合でも乗り換えは有効となる(2016年1月16日から本通停留場も同一電停扱いとして紙屋町東・西と乗り換えが可能になった[1])。
この停留場のポイントはコンピューター(もしくは手動)で制御されている(一般的に、路面電車は架線にあるポイントの切替装置にパンタグラフを当ててポイントを切り替えているが、ここは行き先の異なる電車が数多く通行し、従来の方法だと運行障害が発生する可能性があるため)。
歴史
- 1912年(大正元年)11月23日 - 本線・広島駅前 - 櫓下(現在の原爆ドーム前)間と宇品線・紙屋町 - 御幸橋西詰(現在の御幸橋)間開業にあわせて、紙屋町として開業。当初は交差点中央に電停があった[2]。
- 1945年8月6日 - 原爆により休止[3]。
- 1945年9月7日 - 左官町 - 八丁堀の復旧に伴い、営業再開[4]。
- 1946年(昭和21年)1月7日 本線と宇品線の直通運転を開始。
- 時期不詳 - 交差点の中央にあった電車のりばが交差点東西に移設される。
- 2001年(平成13年)11月1日 - 紙屋町停留場のうち東側を「紙屋町東停留場」、西側を「紙屋町西停留場」にそれぞれ改称[5]。
- 2003年(平成15年)4月20日 − 乗り換え指定電停となる[6]
駅構造・運行系統
紙屋町東・紙屋町西ともに相対式2面2線のホームとなっており、ほぼ全長にわたって屋根が付いている。3両連接車が2編成以上同時に乗降客扱いを行うことが可能であり、路面電車の停留場としてはホームが非常に長い。
紙屋町西に関しては、平日朝や休日多客時などには停留場に出札係員が待機しており、電車到着時に移動式カードリーダーを用いた運賃収受・集札業務を行う。
東西の停留場は紙屋町シャレオを介して地下で連絡している。紙屋町シャレオの開業に伴い、紙屋町交差点の横断歩道が廃止され、バリアフリーに対応した。
紙屋町東停留場
西行きホーム | 広島港ゆき | ||
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広電宮島口 / 広電西広島ゆき | |||
江波ゆき | |||
日赤前 / 広電前ゆき | 一部時間帯のみ | ||
東行きホーム | 広島駅ゆき | ||
白島ゆき | 1日7往復(休日6往復)のみ |
紙屋町西停留場
西行きホーム | 広電宮島口ゆき | ||
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広電西広島ゆき | |||
江波ゆき | |||
横川駅ゆき | |||
東行きホーム | 広島駅ゆき | ||
宇品二丁目 / 広島港ゆき | 広島港行きは朝時間帯のみ | ||
広電前ゆき | |||
白島ゆき | |||
日赤病院前ゆき |
利用状況
- 紙屋町東停留場:9,369人(1日平均の乗降人数、1999年度)
- 紙屋町西停留場:19,352人(1日平均の乗降人数、1999年度)
周辺
当停留場の位置する紙屋町交差点は相生通りと鯉城通りという大路同士の交差点だが、当停留場開業以前、相生通りは広島城の外堀、また鯉城通りは外堀から広島湾に通じる西堂川(運河)であり、それぞれ路面電車の建設に伴い埋め立てられた。
紙屋町停留場が設けられたことで、紙屋町交差点周辺は市内交通の重要拠点となった。またこれ以降、交差点の近辺には多くの金融施設が集まりビジネス街が形成され、従来の金融の中心であった大手町通りに取って代わることとなった。しかし、この時点で紙屋町交差点の北側一帯は陸軍用地(西練兵場など)により占められていたため、完全な交差点ではなく三叉路となっていた。東西南北に通じる完全な交差点となったのは、第二次世界大戦後の民間への軍用地開放により、1949年(昭和24年)、交差点から広島城内堀へと向かう北方面への道路(「マッカーサー道路」と呼ばれた)が開通してのちのことである。
国道の重要結節点としての機能もあり、南北の鯉城通りは国道54号(国道191号重複)の一部を形成し、東西の相生通りは西方向が国道183号(国道261号重複)で、東方向は広島県道164号広島海田線(旧国道2号)となっている。国道54号は本交差点で新道・祇園新道(国道54号・191号)方面と旧道・可部街道(国道183号・261号)方面に分岐しており、西方向0.2km先の広島市民球場南交差点までが国道54号別線との重複区間となっている。
国土交通省により交差点地下に地下街・駐車場の紙屋町シャレオが整備され、紙屋町停留場と直結している。
北側
南側
- 広島本通商店街
- 広島市中の棚商店街
- 袋町裏通り
- 広島トランヴェールビルディング(旧広電ビル)
- 広島銀行本店
- もみじ銀行広島支店
- 三井住友銀行広島支店
- エディオン広島本店 本館・新館
- サンモール
- 広島県民文化センター(鯉城会館)
隣の停留場
出典
- ^ 電車乗換制度の変更について - 広島電鉄、2015年12月21日(2016年1月16日閲覧)
- ^ 被爆前の広島よみがえる 松本さん撮影の2000枚発見 - 中國新聞 ヒロシマ平和メディアセンター
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』431ページ
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』124ページ
- ^ 河野俊輔「広島電鉄の西広島駅改装とダイヤ改正」『RAIL FAN』第49巻第2号、鉄道友の会、2002年2月1日、10-13頁。
- ^ "【電車】七夕電車運行について" (Press release). 広島電鉄. 27 June 2003. 2015年4月12日閲覧。
関連項目
関連書籍
- 長船友則 『広電が走る街 今昔』 JTBパブリッシング、2005年 ISBN 4533059864
外部リンク
- 広島電鉄
- 広島電鉄による電停紹介
- ひろしま戦前の風景 - 中国放送(RCC)。戦前の映像がある。