日赤病院前停留場

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日赤病院前停留場
ホーム
にっせきびょういんまえ
Nisseki-byoin-mae
U5 鷹野橋 (0.3 km)
(0.4 km) 広電本社前 U7
地図
所在地 広島市中区千田町一丁目
北緯34度22分51.28秒 東経132度27分21.19秒 / 北緯34.3809111度 東経132.4558861度 / 34.3809111; 132.4558861 (日赤病院前停留場)座標: 北緯34度22分51.28秒 東経132度27分21.19秒 / 北緯34.3809111度 東経132.4558861度 / 34.3809111; 132.4558861 (日赤病院前停留場)
駅番号 U6
所属事業者 広島電鉄
所属路線 宇品線
キロ程 1.7 km(紙屋町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
2,446[1]人/日
-2019年-
開業年月日 1912年大正元年)11月23日
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上屋と駅名標

日赤病院前停留場(にっせきびょういんまえていりゅうじょう、日赤病院前電停)は、広島市中区千田町一丁目にある広島電鉄宇品線路面電車停留場である。駅番号はU6

停留場の西には広島赤十字・原爆病院が隣接する[2]

歴史[編集]

当停留場は1912年大正元年)、宇品線が紙屋町から御幸橋までの区間で開通した際に高等師範前停留場(こうとうしはんまえていりゅうじょう)として開設された。その名が示す通り、開業当時は広島高等師範学校が停留場前に所在していたが、1929年(昭和4年)に広島文理科大学が設立され広島高師がその附属校になると、停留場名もこのころ大学前停留場(だいがくまえていりゅうじょう)に変更された[3]1945年昭和20年)8月6日原爆投下により広島電鉄の市内線は被害を受け休止されるが、当停留場を含む宇品線の紙屋町から電鉄前までの区間は同年9月中には運行を再開している[4]

戦後、広島文理科大学は新制広島大学に包括され、1962年(昭和37年)に廃止された。1964年(昭和39年)には停留場名も広島大学前停留場(ひろしまだいがくまえていりゅうじょう)に改められている[4]。しかしのちに広島大学は大部分の学部が東広島市のキャンパスへ移転、これに伴い停留場名は2001年(平成13年)に日赤病院前停留場と3度目の改称を行った[3][4]

年表[編集]

  • 1912年大正元年)11月23日 - 宇品線の開業と同時に高等師範前停留場として設置[4]
  • 時期不詳 - 大学前停留場に改称[5]
  • 1934年昭和9年)3月 - 紙屋町寄りに100メートル移設され、現在の位置になる[6]
  • 1945年(昭和20年)
  • 1964年(昭和39年)2月18日 - 広島大学前停留場に改称[4]
  • 2001年平成13年)11月1日 - 日赤病院前停留場に改称[4]。同時に当停留場止まりの電車が設定される[7]
  • 2003年(平成15年)8月1日 - 隣の広電本社前停留場とともに乗換停留場の指定を受ける[8]

構造[編集]

宇品線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられている。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームという形態をとる[2][9]。路線の起点から見て左側に広島港方面へ向かう下りホームが、右側に紙屋町・本線方面へ向かう上りホームがある[2]。ホームにはほぼ全長にわたって上屋が設けられている。

運行系統[編集]

当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、1号線、3号線、7号線、それに0号線が乗り入れる。また、毎年5月3日から5日にかけて開催される広島フラワーフェスティバルの際には当電停始発の広電宮島口行き2号線臨時列車が運行される[10]

0号線には当停留場止まりの列車があり[11]、当該列車は乗客を降ろした後そのまま発車し、広電本社前の手前の渡り線を通って千田車庫に入る。2003年(平成15年)には乗り換え制度の変更により当停留場は下り列車に限って乗換停留場になり、当停留場止まりの列車から広島港方面へ向かう列車に乗り換えられるようになった[8]

下りホーム 1号線7号線 広島港ゆき
0号線7号線 広電本社前ゆき
0号線3号線 当停留場止まり
上りホーム 1号線 広島駅ゆき
3号線 広電西広島ゆき
7号線 横川駅ゆき

周辺[編集]

停留場北側には広島大学の校地が広がっていたが、一部の学部を除いて東広島市に移転し[3]、跡地は再開発エリア「ひろしまガーデンガーデン」へと変貌している[2]

隣の停留場[編集]

広島電鉄
宇品線
鷹野橋停留場 (U5) - 日赤病院前停留場 (U6) - 広電本社前停留場 (U7)

脚注[編集]

  1. ^ 広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ a b c d 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、10,80頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  3. ^ a b c 『広電が走る街 今昔』76頁
  4. ^ a b c d e f g h 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  5. ^ 『日本鉄道旅行地図帳』11号では1929年から1931年ころ、『広電が走る街 今昔』では1936年ごろとする。
  6. ^ 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  7. ^ 11月1日、ダイヤが変わります』(プレスリリース)広島電鉄。 オリジナルの2012年4月20日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20120420040845/http://www.hiroden.co.jp/what/new/denteihenko/daiyakaisei.htm2016年8月4日閲覧 
  8. ^ a b 乗換制度変更のお知らせ』(プレスリリース)広島電鉄、2003年7月31日。 オリジナルの2015年7月10日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150710130742/http://www.hiroden.co.jp/what/new/topic0307-09.htm2016年8月4日閲覧 
  9. ^ 『全国鉄道事情大研究』103・109頁
  10. ^ https://m.youtube.com/watch?t=0h0m0s&v=bCl1ranMy0U
  11. ^ 『全国鉄道事情大研究』114頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]