江波停留場

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江波停留場
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えば
Eba
E5 舟入南 (0.4 km)
地図
所在地 広島市中区江波西一丁目
北緯34度22分20.77秒 東経132度26分9.05秒 / 北緯34.3724361度 東経132.4358472度 / 34.3724361; 132.4358472 (江波停留場)座標: 北緯34度22分20.77秒 東経132度26分9.05秒 / 北緯34.3724361度 東経132.4358472度 / 34.3724361; 132.4358472 (江波停留場)
駅番号 E6
所属事業者 広島電鉄
所属路線 江波線
キロ程 2.6 km(土橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
1,459[1]人/日
-2022年-
開業年月日 1954年昭和29年)1月[2]
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江波停留場(えばていりゅうじょう、江波電停)は、広島市中区江波西一丁目にある広島電鉄江波線路面電車停留場である。駅番号はE6。同線の終点である。

歴史[編集]

江波線の建設が開始されたのは太平洋戦争下の1943年昭和18年)のことである[3]。軍の要請により、江波地区に建設されていた三菱重工業の広島造船所[4]への通勤輸送を目的として建設され、同年12月に舟入本町、翌年6月には舟入南町(現在の舟入南)まで路線が達した[3]。しかしその翌年、1945年(昭和20年)8月6日原爆が投下され、江波線をはじめ広島電鉄の市内線は不通となる[5]。江波線は江波地区まで到達することなく終戦を迎えた。

路線が舟入南町から延長され、当停留場が開業するのは1954年(昭和29年)のことである[5]。当時は江波口停留場(えばぐちていりゅうじょう)と称していた[6]。江波停留場への改称時期については諸説ありはっきりしない[7]

年表[編集]

構造[編集]

舟入通りの上に敷かれてきた江波線の併用軌道が通りから外れ、路地へと差し掛かったところにホームが設けられている[10]。ホームは2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームである[10][11]。停留場の先に江波車庫があって軌道はそのまま車庫の場内に続いており、車庫寄りにはシーサスポイントがある[10][11]

ホームは上下とも歩道と一体になっている。起点から見て線路の右側に土橋方面へ向かう上りホームが、左側に降車専用の下りホームがあり[11]、このうち上りホームには屋根が架けられている[10]。かつては歩道をそのままホームとして使用していたためにホーム高が低く、超低床車両であっても乗降口とホームとの間には段差が生じていた[9]。また下りホームにはホームと呼べるような構造物もなく、電車の降車扉の位置に合わせて歩道に柵がない箇所があり、そこが降車口として機能するのみであった[11]。これらの不便を解消し安全性を確保するため、2014年(平成26年)には停留場の改良工事がなされ、上下ホームの15センチメートルかさ上げと下りホームへの安全地帯設置が行われている[9]

運行系統[編集]

当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、6号線、8号線、9号線が乗り入れる。このうち9号線の運行は従来白島線内で完結していたが、2013年(平成25年)に八丁堀から本線へ直通するようになり、当停留場まで運行が延長された[12]

上りホーム 6号線 広島駅ゆき
8号線 横川駅ゆき
9号線 白島ゆき
下りホーム 6号線8号線9号線 (降車専用)

周辺[編集]

江波車庫(2010年)

停留場の南西には江波車庫があり、広島電鉄の電車と広電バスのバス車庫が併設されている[11]。バス車庫の敷地内にはマックスバリュ江波店が店を構えている[11]。江波線の当初の目的地である造船所は三菱重工業広島製作所江波工場[4]として現存するが、南に1キロメートルほど離れている[11]。開通当初より延伸が計画されているが現在に及んでも実現しておらず[11]、工場まではバスに乗り換える必要がある。

隣の停留場[編集]

広島電鉄
江波線
舟入南停留場 (E5) - 江波停留場 (E6)

脚注[編集]

  1. ^ 2022年度 移動等円滑化取組報告書(軌道停留場)” (PDF). 広島電鉄. 2023年12月21日閲覧。
  2. ^ a b 『広電が走る街 今昔』、『日本鉄道旅行地図帳』では1月8日とするが、『広島電鉄開業100年・創業70年史』433頁では1月7日
  3. ^ a b 『広電が走る街 今昔』111-114頁
  4. ^ a b 地域の発展を支える企業 第7回 三菱重工業株式会社広島製作所江波工場” (PDF). エネルギア地域経済レポート. 中国電力 (2013年9月). 2016年9月30日閲覧。
  5. ^ a b c 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  6. ^ a b 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、38頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  7. ^ a b 『広電が走る街 今昔』では1968年(昭和43年)以降、『日本鉄道旅行地図帳』では1959年から1962年までの間、『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』では1963年(昭和38年)。
  8. ^ 横田好明: “路面電車からLRTシステムに向けた 広島電鉄の取り組み” (PDF). 国際交通安全学会誌 Vol.34,No.2. 国際交通安全学会. p. 54 (2009年8月). 2022年9月22日閲覧。
  9. ^ a b c 電車サービス向上計画”. 広島電鉄. 2016年9月30日閲覧。
  10. ^ a b c d 川島令三全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103,108頁。ISBN 978-4-7942-1711-0 
  11. ^ a b c d e f g h 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、15,83-84頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  12. ^ 新型超低床車両1000形の営業運行開始について』(プレスリリース)広島電鉄、2013年2月6日。 オリジナルの2015年3月17日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150317235558/http://hiroden.co.jp/what/new/topic1301-03.htm#130206_train2016年9月27日閲覧 

参考文献[編集]

  • 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4 
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]