神田瀧夢
かんだ ろむ 神田 瀧夢 | |
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Rome Kanda Public Profile Photo | |
別名義 |
神田ロム Rome Kanda |
出生地 | 日本 大阪府 |
国籍 | 日本 |
職業 |
俳優 コメディアン |
ジャンル |
映画 テレビ コメディショー |
活動期間 | 1987年 - |
公式サイト | 神田瀧夢公式サイト |
主な作品 | |
『TOKYO-POP』(1987年) 『その男、凶暴につき』(1989年) 『ソナチネ』(1993年) 『I Survived a Japanese Game Show』Season1&2(米ABC) 『インフォーマント!』(2009年) |
神田 瀧夢(かんだ ろむ)は、日本のコメディアン、俳優、タレント。(別称は神田ロム、英語表記はRome Kanda)1999年よりアメリカに活動舞台を移して映画やテレビなどに出演しながら、ハリウッドのコメディシアターでライブパフォーマンスも行っている。
略歴
大阪府岸和田市出身。清風高等学校、聖トマス大学(旧英知大学)卒業。
演技は奈良橋陽子らに師事するほか、NYアクターズスタジオで学ぶ。空手道、剣道、居合道といった日本の武道以外にも講談、日本舞踊、能・狂言といった日本の古典芸能にも精通している[1]。日本ではK-1のリングアナウンサーを務めたことがある[2]。1999年に初渡米。ロサンゼルス留学中にコメディークラブに出演[3]。 映画デビューは日米合作の『TOKYO-POP』(87年)。2006年からロサンゼルスに拠点を移す。
米ABCテレビで2008年6月24日から放送されているリアリティショー『I Survived a Japanese Game Show』の司会者に抜擢された(正確には同番組の舞台となる架空の日本のバラエティ番組『本気(まじ)で』の司会を務める)。米史上初めてメジャーネットワークの全米テレビ番組で司会をした日本人である[4]。フジテレビ系列が放映した『ザ・ベストハウス123』の「知られざるサクセスストーリー! 海外で大スターになった日本人BEST3」(2009年2月4日放送分)[5]で第1位(史上初。全米ネットワークテレビで、自分の番組を持つ男)に輝く。同じく米国のケーブル・衛星テレビ局G4では「カトウ・ケイ」(漢字表記不明)と名乗り、『Unbeatable Banzuke(筋肉番付)』の司会を担当。
出演
映画
- TOKYO-POP(1987年)
- その男、凶暴につき(1989年)
- あの夏、いちばん静かな海。(1991年)
- ソナチネ(1993年)
- みんな〜やってるか!(1995年)
- キッズ・リターン(1996年)
- Memory & Desire(1999年)
- Rollerball(2001年)
- YA-KU-ZA ヤクザ・イン・ニューヨーク(2006年)
- インフォーマント!(2009年)
- Lucky Girl 〈原題:Just My Luck〉(2006年)
- LOVE まさお君が行く!(2012年)
テレビドラマ
- 月曜ドラマスペシャル・八つ墓村 (1991年7月1日、TBS)
- 世にも奇妙な物語「私じゃない」(1991年、フジテレビ)
- 世にも奇妙な物語「無人艦隊」(1991年、フジテレビ)
- NIGHT HEAD(1992年12月、フジテレビ) - ゲスト出演
- CSI Las Vegas(2010年、米CBS)- ゲスト出演[6]
- FACE MAKER 第6話(2010年11月11日、読売テレビ) - ゲスト出演
- TOKYO コントロール(2011年1月 - 、フジテレビNEXT) - 太田恵一 役
テレビバラエティほか
- 土曜倶楽部(1989年4月、NHK教育テレビ)
- 史上最強の催眠術師マーチン・セント・ジェームズ(1994年1月、TBS)
- サタデー・ナイト・ライブ(2001年3月、米NBC)
- レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン(2001年6月、米NBC)
- I Survived a Japanese Game Show (2008年6月 - 2009年8月、米ABC)
- 徹子の部屋(2010年7月20日、テレビ朝日)
- マジで!世界(秘)オモシロCM全部見せます!!(2010年7月25日、テレビ朝日) 日本初MC
- はなまるマーケット(2010年7月26日、TBS) はなまるカフェ
- 嵐にしやがれ(2010年8月14日、日本テレビ)未知との遭遇しやがれ…ゲスト
- TOKYO コントロール パーフェクトガイド(2010年12月、フジテレビ)
- 情報満載ライブショー モーニングバード!(2011年4月 - 、テレビ朝日)水曜日コメンテーター
- ライオンのごきげんよう(2010年12月8日 - 12月12日、フジテレビ)
CM
- ニューヨーク・メッツ(2001年5月) - 新庄剛志と共演
講演・スピーチ
エピソード
- 海外に出ようと決めたきっかけは、19歳で大阪からロンドンに遊学した時に出会った現地の人々が「みんな日本のことすら知らなくて、ブルース・リーは日本人、ナショナルや富士カラーが「Made in England」だと信じていたのを目の当たりにして「これではダメだと、大阪と日本を背負った人物になろうと思った」から[7]。
- トム・クルーズ主演のハリウッド映画『ラスト・サムライ』のオーディションを受けたが、結果は不合格。その際に他人にはできない自身の強みで勝負しようとコメディーの道に転向を決意。当初は友人とコンビで英語漫才をやっていたが、後にコンビを解消。その後スタンドアップ・コメディーの大会に1人で出て、優勝した経験もある[8]。
- 1994年から1996年の3年間、米国縦横断を皮切りに、30数カ国を巡る世界一周の一人旅を敢行。この旅でサイババやマザー・テレサらの世界の伝説的人物、そしてアボリジニア(オーストラリア)やマオリ(ニュージーランド)、ネイティブアメリカンやホピ族(米国)らと精神的交流を深めた[9]。
- ローラーボールやラッキー・ガールに出演することになり、撮影まで撮了したが、出演部分はすべてカットされていた。(出演料は支払われた。)
脚注
- ^ 公式プロフィール
- ^ ライトハウスインタビュー記事
- ^ アメリカンドリーマーズ 俳優・コメディアン 神田瀧夢
- ^ 日本人初の「米国テレビ番組司会者」に抜擢、神田瀧夢って誰?
- ^ ザ・ベストハウス123 過去のベスト3
- ^ IMDb Actor
- ^ アメリカンドリーマーズ
- ^ アメリカンドリーマーズ
- ^ 神田瀧夢ヒストリー