忍者小説

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忍者小説(にんじゃしょうせつ)、忍法小説(にんぽうしょうせつ)は、時代小説歴史小説の一分野で、忍者忍法を扱った小説

歴史と作品

忍者ブームの発生

文芸における忍者は、江戸時代以降講談読本歌舞伎において、真田幸村ものの中で、その配下である猿飛佐助霧隠才蔵や、蝦蟇を操る妖術使いの児雷也などが語られていた。明治になって1890年代には講談の速記を出版することが行われるようになり、その後速記を使わない書き講談である立川文庫が1911年に創刊され、猿飛佐助、霧隠才蔵やその他の真田十勇士をはじめとする忍者たちもヒーローとして描かれて人気となっていた。続いて尾上松之助の『豪傑児雷也』(1921年)などのトリック撮影を駆使した忍術映画はブームとなり、大衆文芸においては白井喬二『忍術己来也』(1922年)などが書かれ、その破天荒さは芥川龍之介に、空想だけで書いてるなら大したものだとも評されるものだった[1]国枝史郎『蔦葛木曽桟』(1926年)も百地三太夫、霧隠才蔵などの忍術使いが登場する伝奇小説

その後も、織田作之助『猿飛佐助』(1946年)や、戦後になって富田常雄『猿飛佐助』(1948年)、林芙美子『絵本猿飛佐助』(1950年、未完)が書かれ、杉浦茂の漫画『猿飛佐助』『少年児雷也』なども人気を得た。織田作之助は、坂口安吾が『猿飛佐助』を書くと言いながら書きあぐねていたのを「ぢや俺がかいてやらう」と書いたもので[2]ニーチェのパロディから駄洒落、風刺のあふれる戯作文学となった。少女時代に貸本屋の講談本を愛読したという林芙美子は、夫の手塚緑敏の故郷に近い鳥居峠を、講談と同じく猿飛佐助の出身地として、登場人物の内面をていねいに描き、佐助は忍術は使うが人は殺さないという人物像にしている[3]

1958年に発表された司馬遼太郎梟の城』では、忍者は「無償の精神に徹し、おのれの技法に自己陶酔することのみに生き甲斐を感じる特異な職業集団」[4]として捉えた現代的な感覚で描かれて、直木賞を受賞。同じ1958年に書き始められた山田風太郎忍法帖シリーズでは奇想天外な忍術が用いられ、1963年に『山田風太郎忍法全集』(全15巻)として刊行されると半年間に300万部を売るベストセラーとなり[4]、また忍術を忍法と呼ぶことが定着した。1960年の村山知義『忍びの者』は「忍者の生活を写実的な手法」(北上次郎[5])で描いてベストセラーとなり、これらの作品に加えて、白土三平の漫画『忍者武芸帳』(1959-62年)の人気とも相まって、五味康祐柳生武芸帳』(1956年)から始まる剣豪小説ブームに続いて、忍者小説ブームとも呼ばれるようになり[6]、1964年には東都書房から新書版の『忍法小説全集』全18巻が発刊された。これらの作品は、「印を結んでドロンと消える講談調の忍者象を排し、新たな忍者像を立ち上げた」[7]と言われるものだった。

忍術ブームは、文化文政期の歌舞伎による第一次ブーム、大正期の立川文庫などによる第二次ブーム、戦後のものが第三次ブームとも見なされる。この時代の忍者ブームは、社会のメカニズムに抑圧されている人々が個性的な生き方、人間性の回復を忍者に託した一つの形とも考えられている。[8]

代表的な作品

『梟の城』では、忍者は「無性の精神に徹し、おのれの技法に自己陶酔することのみに生き甲斐を感じる特異な職業集団」(縄田一男[4])と言われ、司馬自身もエッセイ「わが小説-梟の城」において、執筆当時まだ新聞記者であった立場から「職業的出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない」「無償の功名主義」への理解を述べている。司馬はその後も忍者ものの短編や長編『風神の門』(1962年)などを発表し、忍豪作家とも呼ばれた。『最後の伊賀者』(1960年)に収められた短編は、いずれも上忍と下忍の対立を主題にしている[3]

『忍びの者』は、その忍術も科学的、合理的に説明されたものだったが、石川五右衛門階級闘争の闘士として描いたところに特徴がある[4]。村山知義の「忍術の一部が警視庁に伝わり、戦時中の中野のスパイ学校に受け継がれた、ということを私は実感をもって受け取ることができた」という言葉は、戦後の忍者小説が「組織と人間、あるいは政治の非情さといった今日的な問題を打ち出していたことを示している」[4]。『甲賀忍法帖』(1959年)に始まる山田風太郎の忍法帖シリーズでは、合理的風な説明を付けてはいるものの荒唐無稽と言っていい技を使って戦い[5]、「忍法帖はマゲモノのSF」と呼ばれたりしたが[9]、「歴史を虚構化するのではなく、むしろ虚構によって歴史を捉え直した」(縄田一男[10])とも評され、時に伝奇小説[5]な作品となっている。山田風太郎は当時『妖異金瓶梅』(1954年)シリーズを書いていたところ編集者から108人の豪傑の武術を描く「風太郎水滸伝」を書いてみないかと勧められたが、108の忍術を創造することを思いついてこれらを執筆し、「忍法帖」という題は、当時は忍術よりも忍法という言葉が定着していないところから付けた[11]。また山田風太郎『くの一忍法帖』(1961年)では女忍者を描いて人気となり、「くの一」という言葉が女忍者を指すものとして定着するようになり[12]。「忍法箇涸らし」や「忍法やどかり」なども流行語になった[13]講談社出版部は山岡荘八徳川家康』、『山本周五郎全集』に加えて『山田風太郎忍法全集』によって「三山」当てたとも言われた[9]

眠狂四郎シリーズのニヒルなヒーロー像で人気を得ていた柴田錬三郎の『赤い影法師』(1960年)、『南国群狼伝』(1961年)や、柴練立川文庫シリーズと呼ばれる『猿飛佐助』(1962年)『真田幸村』などは、小説が読者にとって「自分たちがとうてい思いつかない、突飛な空想を表現してくれている、という取り柄」[14]が必要という創作信条による忍者伝奇小説であり[15]、また人物の自虐や哀しみの心象とストーリーは「従来の講談ネタを用いつつも、作者の主張を反映して極めて現代文学的な土壌で成立している」(縄田一男[16])ものとなっている。『忍者からす』(1964年)は室町時代前期から江戸時代後期にかけての、熊野権現の兵力としての忍者の歴史との関わりを描いている。柴田もまた「『忍術』というのはいかにも古色騒然としている言葉なので『剣法』があるから『忍法』というものがあってもよかろうと勝手に、決めてそれをつかった」と述べている[17]

早乙女貢は『風魔忍法帖』(1962年)『忍法秘巻』シリーズ(1963年)、『忍法かげろう斬り』(1973年)など多数の忍者小説を書き、忍法を「個々の超人的な修行の結果」で「そのわざを生かして、水火の相反する原理を応用現出せしめるところに、計り知れぬ妖異の世界がひらかれる」(『忍法関ヶ原』1965年)ものとして、数多くの忍法を登場させながら、代表作である歴史小説『會津士魂』と同様に「歴史の中に存在した名も無き者たち、もしくは不当に歴史の裏面に追いやられていった者たちを描くという点において、常に一貫している」もので、また「忍びのスリルと女体のエロティズムが横溢する」[18]作品となっている。

池波正太郎も『夜の戦士』(1964年)、『忍者丹波大介』(1965年)などいくつかの忍者小説を書き、「忍び」について「彼らの生態も、歴史の流れの中で、その影響を少なからずうけ、徐々に、そして激しく変わっていった」[19]という姿を描き、その「苦悩する人間たちの姿は、現代のわれわれ自身のそれとどう違うだろうか」(佐藤隆介[20])と評されるものとなっている。 忍者の研究者でもあった戸部新十郎は、大作『服部半蔵』全10巻(1987-89年)など、「忍びの術を文化・芸術の一環として捉え」た作品を発表している[4]網野善彦歴史学者の研究に刺激を受けて、非農業民の視点を取り入れた隆慶一郎は、『花と火の帝』(1990年)では八瀬童子天皇後水尾天皇)の隠密とする忍者像を生み出した[21]

作品集

  • 『忍法小説全集』(全18巻)東都書房、1964-65年
(柴田錬三郎、司馬遼太郎、富田常雄、池波正太郎、角田喜久雄、村山知義、島田一男白石一郎、山田風太郎、中田耕治、秋永芳郎、大塚雅春童門冬二
  • 縄田一男編『日本忍者列伝 時代小説を読む』大陸書房、1992年
(山田風太郎、南原幹雄、戸部新十郎、柴田錬三郎、大坪砂男五味康祐村上元三野村胡堂
  • 縄田一男編『闇を飛ぶ 時代小説ベストセレクション7』講談社、1994年
(司馬遼太郎、山田風太郎、多岐川恭、戸部新十郎、新田次郎神坂次郎、早乙女貢、小松左京
  • 縄田一男編『闇に生きる 時代小説の楽しみ2』新潮社、1994年
(柴田錬三郎、南條範夫笹沢佐保、早乙女貢、新宮正春、戸部新十郎、池波正太郎、山手樹一郎徳永真一郎、五味康祐、小松重男、南原幹雄、藤沢周平、司馬遼太郎、土師清二、角田喜久雄、山田風太郎)
  • 細谷正充編『神出鬼没! 戦国忍者伝』PHP研究所、2009年
(五味康祐、滝口康彦、神坂次郎、綱淵謙錠光瀬龍、徳永真一郎、柴田錬三郎、戸部新十郎)
  • 細谷正充編『くノ一、百華 時代小説アンソロジー』集英社、2013年
(池波正太郎、岩井三四二、岡田稔、風野真知雄、戸部新十郎、山田風太郎)
  • 縄田一男編『忍者だもの 忍法小説五番勝負』新潮社、2015年
(池波正太郎、柴田錬三郎、織田作之助、平岩弓枝、山田風太郎)
(柴田錬三郎、山田風太郎、宮崎惇嵐山光三郎田辺聖子、池波正太郎)
  • 『忍者と剣客 冒険の森へ 傑作小説大全2』集英社、2016年
(山田風太郎、柴田錬三郎、綱淵謙錠、津本陽滝口康彦、五味康祐、江國香織清水義範逢坂剛小泉八雲

  1. ^ 八木昇『大衆具文芸館 よみもののやかた』白川書院、1978年
  2. ^ 関井光男「解題」(『坂口安吾全集 10』ちくま文庫、1991年)
  3. ^ a b 寺田博『決定版 百冊の時代小説』文春文庫 2003年
  4. ^ a b c d e f 縄田一男『闇を飛ぶ』
  5. ^ a b c 北上次郎「解説」(『甲賀忍法帖』角川文庫、2002年)
  6. ^ 縄田一男『闇に生きる』
  7. ^ 細谷正允「解説」(『戦国の忍び 司馬遼太郎・傑作短篇選』PHP文芸文庫、2007年)
  8. ^ 尾崎秀樹『大衆文学論』勁草書房、1965年(忍法ブーム)
  9. ^ a b 大村彦次郎『文壇うたかた物語』ちくま文庫、2007年
  10. ^ 縄田一男「解説」(『伊賀忍法帖』富士見文庫、1990年)
  11. ^ 大村彦次郎『時代小説盛衰史(下)』ちくま文庫、2012年
  12. ^ 日下三蔵「忍法帖とくの一」(『くの一忍法帖』講談社文庫、1999年)
  13. ^ 尾崎秀樹『大衆文学五十年』講談社、1979年(大衆作家の素顔)
  14. ^ 「『猿飛佐助』を書く理由」(『わが毒舌』1964年)
  15. ^ 清原康正「解説」(『忍者からす』新潮文庫、1997年)
  16. ^ 縄田一男「解説」(『柳生但馬守』文春文庫、1992年)
  17. ^ 「忍者-空想の未開地」(『わが毒舌』1964年)
  18. ^ 縄田一男「解説」(『忍法かげろう斬り』徳間文庫、1991年)
  19. ^ 『忍者丹波大介』新潮文庫、1978年「後記」
  20. ^ 佐藤隆介「解説」(『忍者丹波大介』新潮文庫、1978年)
  21. ^ 浦田憲治「解説」(『花と火の帝』講談社文庫、1993年)

関連項目