平野ノラ

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平野ノラ
生年月日 (1978-10-20) 1978年10月20日(45歳)
出身地 東京都
血液型 AB型
身長 162cm
言語 日本語
出身 ワタナベコメディスクール13期生
コンビ名 ババノラ(解散)
芸風 漫談、一人コント
事務所 ワタナベエンターテインメント
活動時期 2010年12月 -
現在の代表番組 ナカイの窓
過去の代表番組 芸人報道
公式サイト 公式プロフィール
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平野 ノラ(ひらの ノラ、1978年10月20日 - )は、日本お笑いタレントワタナベエンターテインメント所属。

東京都出身。

来歴

芸人デビュー前

小学3年生の時に、ママさんバレーをしていた母親の影響で、バレーボールを始め、東京都葛飾区のチーム『東金町ビーバーズ』に所属。中学校もバレーボールの強豪校へ、高校もバレーボール推薦で進学。チームでは9年間キャプテンを務め、関東大会で2位になった他、全国大会と東京新聞杯で優勝を経験[1]。しかし、なかなかレギュラーになれることが出来ず「結果を残せず悔しさだけが残った」と言う一方で「今芸人としてやっていく上で大切な精神力が、厳しい練習環境で揉まれていくうちに培われた」とも言う[2]

高校卒業後のある時、友人が主宰する劇団の公演に出演することがあり、稽古の時にセリフの掛け合いで、面白さを狙って自分なりにアレンジして演じたところ「台本どおりにやれ」と怒られ、この時に「私には集団でやるのは私には向いてない。自分は笑いを求めているし、笑いを取るのが一番嬉しい」と感じて、お笑いを始めるきっかけになったという。その後、最初はコンビを組む目的で、東京・渋谷の『シアターD』で観たライブをきっかけに親しくなったオキシジェンに相談に乗りつつ、雑誌で募集をかけたり公園のストリートライブなど様々な場所で相方を探したが結局見つからなかった。一人でやって行くことを決めてワタナベエンターテインメント開催のライブ『STEP! STEP! STEP!』のオーディションを受けに行くも本人曰く「全くウケず、才能が無いし無理だな」と思い、一度お笑いから身を退いてOLとして勤務することになった。この時は「負けたから去る」というバレーボールをしていた小学生時代に培われた男気質で頑固な考えから、簡単に「またお笑いに戻ろう」という考えにはなれなかったと言う一方で、売れている芸人はみんな下積みがあるということを知っていたらまたその考えは違っていたのかも知れない、とも話している[2]

OLとして普通に暮らしていたが、そのうちに目標などやりたいことが無くなって行くようになり、人生に挫折を感じるようになったという。その中で、ひたすら絵を描く日々を送るようになり、そのうち膨大な数の作品が出来、小さな個展も開いたことがあった[2]

短期契約で不動産の仕事をしていたことがあり、その中で宅地建物取引主任者の資格を取得した[2]

芸人デビュー後

31歳でワタナベコメディスクールに13期生として2010年10月に入学。高校生の時に相方として誘った人と一緒に入学した(しかしその相方はわずか一か月で退学)。2011年9月卒業。同スクール在学中の2010年12月にデビュー[2]

かつてはオネエ系の相方との『ババノラ』という男女コンビで活動していた時期もあり、この時平野は“猛獣使い”的な役を演じていた[2]

やしろ優加藤誉子とのトークとネタのライブ『女寿司 特上○人前!』(第1回(1人前)開催は2014年2月11日)を行っている[3]。また、2014年10月から単独ライブ『バブリーワケあり物件○号室』(○には回数が入る)を毎月1回開催している[4]

人物

趣味は絵画スポーツ格闘ゲーム[5]。特技はバレーボール物真似ダンス1980年代のダンス、マイケル・ジャクソンダンス)[5][6]本田美奈子の『1986年のマリリン』のライブバージョンを完全コピーすること[7]物真似はデヴィ夫人マイケル・ジャクソン[8]、ベラ(「妖怪人間ベム」の登場人物)などがレパートリーにある[5]

好きな俳優は舘ひろし、好きな野球選手はランディ・バースウォーレン・クロマティ[9]。他、好きなスポーツ選手はジャンボ尾崎[8]

デビュー前に憧れていた芸人はへらちょんぺ[10]

父親はかつて不動産関係の仕事をしており(現在は転職)、バブル時代に小学生だった平野自身から見て「バブリーな人だった」とのこと[8]

芸風

1980年代バブル時代を思わせるスーツに、髪型はソバージュ、太い眉、肩パッドという格好で主に出演。バブル時代によくあった携帯電話「ショルダーホン」(ダイソーで買ったという材料で手作りしたもの[8])を提げて登場することもある。バブルネタの前は、髪の毛を前後左右に振り乱しながら、バブル時代のあるあるネタを繰り出したり、バイクヘルメットを使って「男の落とし方」を披露したりするなどのネタを演じていたが[2]、ネタを観ていた人から「古い、バブル時代の“かほり”がする」と言われたことと、父が不動産関係の仕事をしていた(平野本人曰く“土地転がし”)ことから、バブルって何だろうと思い始めたことからバブルキャラを始めたという[11]。ネタを作るに当たっては、『あぶない刑事』や柴門ふみの作品、ホイチョイ・プロダクションズの作品、1980年代の曲の歌詞などを参考にしている[11]。「OK、バブリー!」「ぶっとびー!」「おったまげ!」などの決め台詞[8]、「ワンレン・ボディコン・舘ひろし」などの定番の台詞がある[11]。また、五十音の一文字を言われたらバブル時代らしい言葉で返すという「OK50音バブリー!」と称したネタもあり[8]、このネタは自分のブログの中でも頻繁に披露している。他に、五十音の一文字を言われたらデヴィ夫人が言いそうな言葉で返すというネタ、「バブリーしりとり」(DVD『アンタッチャブル柴田の「ワロタwwww」~超絶おもしろいのに全く知られてない芸人たち~』収録[12])などのネタがある。

出演

テレビ

DVD

脚注

  1. ^ スポーツ経験一覧”. ワタナベエンターテインメント. 2016年1月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 平野ノラ物語。”. ワタナベコメディスクール. 2015年1月12日閲覧。
  3. ^ 女寿司ライブ〜特上2人前”. 平野ノラのOK!バブリーブログ (2014年6月22日). 2015年9月13日閲覧。
  4. ^ バブリーにキメて来てね!平野ノラ「バブリーワケあり物件」10回記念公演”. お笑いナタリー (2015年6月9日). 2015年9月13日閲覧。
  5. ^ a b c ワタナベエンターテインメント オフィシャルサイト「特技一覧」
  6. ^ 芸人名鑑「平野ノラ」より。
  7. ^ 公式プロフィールより。
  8. ^ a b c d e f FRIDAY講談社)2015年1月9日・1月16日号 87ページ記事
  9. ^ 平野ノラのプロフィールより。
  10. ^ 2014年10月18日放送『くりぃむナンチャラ』”. TVでた蔵 (2014年10月18日). 2014年10月18日閲覧。
  11. ^ a b c 平野ノラ インタビュー”. コンテンツリーグ. 2015年6月4日閲覧。
  12. ^ 柴田の頬に光る涙、DVD「ワロタwwww」ジャケ&ネタ発表”. お笑いナタリー (2014年11月14日). 2014年12月26日閲覧。
  13. ^ TVでた蔵「2014年12月16日放送 ものまねグランプリ」”. ワイヤーアクション。 (2014年12月16日). 2015年2月25日閲覧。
  14. ^ OA❤︎今夜!”. 平野ノラのOK!バブリーブログ (2014年12月16日). 2016年1月10日閲覧。

外部リンク