平手造酒

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平手 造酒
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 不詳
死没 天保15年8月7日1844年9月18日
別名 平田 深喜、深木、三亀
戒名 儀刀信忠居士
墓所 千葉県香取郡東庄町延命寺
忠深、深実、深辰、深信、光深
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平手 造酒(ひらて みき)は、江戸時代幕末剣客。本名は平田 深喜、名は深木三亀とも書く。

人物

仙台藩あるいは紀州藩藩士など諸説あるが、流浪の末下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。博徒の親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年8月6日飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した(臨終は翌日の朝6時ごろ)。享年30、あるいは30代とも。

争闘は笹川方優位に決し、笹川方で死んだのは造酒一人のみと伝わる。墓所は千葉県香取郡東庄町延命寺。また、神崎町松崎の心光寺にも、身を寄せていた名主の建立した平田三亀の墓がある。

講談浪曲の『天保水滸伝』では、江戸神田お玉ヶ池千葉道場で、北辰一刀流千葉周作門下の四天王のひとりとされた俊英であったが、酒乱のため破門されて胸の病におかされながら博徒の用心棒となった素浪人として語られ、笹川繁蔵や飯岡助五郎に劣らぬキャラクターとして人気を博した。

平手造酒を扱った作品

一連の騒動を別個に取材した宝井琴凌と5代目伊東陵潮が、お互い材料を持ち寄って1856年(安政3年)にひとつの台本に仕上げたとされる講談『天保水滸伝』が有名である[1]。これとは別に、河竹黙阿弥作の歌舞伎群清滝贔屓勢力(むれきよたきひいきのせいりき)』が1867年(慶応3年)に上演されている[1]浪花節では、正岡容脚色による2代目玉川勝太郎が人気を博した。

講談

  • 飯岡助五郎:改良天保水滸伝(講演:松の家太琉 他)[2]

小説

浪曲歌謡

流行歌

漫画

テレビアニメ

映画

テレビドラマ

脚注

  1. ^ a b 天保水滸伝 - コトバンク(日本大百科全書(ニッポニカ))
  2. ^ 国会図書館デジタルライブラリーで閲覧可能。
  3. ^ 国会図書館デジタルライブラリーで閲覧可能。

参考資料

外部リンク