左翼ナショナリズム

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左翼ナショナリズム(さよくなしょなりずむ)とは、社会主義国や政党(共産党など)への帰属意識を高めるべく生まれたナショナリズムを指す。マルクス主義的ナショナリズムとも。

概説

ベルナール・パクトーに拠ればマルクス主義は「ナショナリズムを起源とする」(ナショナリストジェーヌ)という。左翼ナショナリズムは第二次世界大戦後、人種宗教階級対立が問題となった各国で発生した。国によって民族構成から外交関係まで力点が移るので、極めて多様である。左翼ナショナリズムは一般的に国民感情を利用し、ヘゲモニーを握ることが根底にあるとされている。[要出典]

日本においては小熊英二が明らかにしたように戦後(昭和25年)「民族独立行動隊の歌」を旗印に大和民族の独立を求め、日本共産党が活動した例が挙げられる。作曲は、共産党系合唱団の作曲家岡田和夫。作詞は山岸一章。日本において左翼ナショナリズムが収束したのは昭和30年、55年体制の確立によるものと小熊はみている。

各国の状況

中国

毛沢東は新しく建設されるべき社会のヴィジョンは、強調されるべき民族の偉大さと不可分のものであると述べた(1938年10月中国共産党中央委員会報告に拠る)。

  • 現在の、中華人民共和国における左翼ナショナリズムの主要な点は、次からなる。
  1. 香港や台湾省は同胞であり、各方面で結束すべき。
  2. 多民族国家の統合手段として「中華民族」と定義すべき。
  3. 帝国主義やテロの脅威に対応して、大幅な軍備拡張を実施すべき。
  4. 腐敗の原因は政府機能の緩和とイデオロギーの希薄化にあり、中央集権の強化が必要である。
  5. 外資に関しては先端分野対象の導入は容認し、文化を損なう消費財分野対象のものは規制すべき。

この内、3.は米国留学の経験がある論客が多いことからRMA(軍事における革命)の影響を受けており、新三打三防の様にハイテク兵器の充実がよく唱えられる。5.は情報統制の口実にしばしば用いられる。グローバリゼーションに伴い、この種の勢力が大衆や軍部の背広組を基盤に置き、発言力を強めている。

なお、中国で左翼という言葉はそれが体制として具現されていることから体制派を意味している。従って、中国とは反対の体制が現存する日本でのイメージと異なって然るべきである。また、チベットウイグルの民族主義は、国際関係から言えば右派に与しているのでこれに含まない。

朝鮮半島

韓国での左翼ナショナリズムは、「左派新自由主義」を自称する盧武鉉前政権の与党ウリ党が代表し、民主労働党が最左派に位置する。二者は政策的に太陽政策の継続という共通項が見られる。

また北朝鮮は、経済が崩壊した1990年代から主体思想および反帝国主義で国民意識をコントロールして、体制の延命に成功している。

ラテンアメリカ

ラテンアメリカのナショナリズムは、ジラルデに拠ればアルゼンチンペロン主義の主導者フアン・ペロンと、キューバ革命の指導者フィデル・カストロらに代表される。

2000年代に入り、ラテンアメリカではアルゼンチンネストル・キルチネル政権、チリミシェル・バチェレ政権、ブラジルルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ政権、ウルグアイタバレ・バスケス政権など中道左派化が急速に進んでいる。

その一方ではベネズエラウゴ・チャベス政権、ボリビアエボ・モラレス政権、エクアドルラファエル・コレア政権、ニカラグアダニエル・オルテガ政権など、反米や積極国家を唱える急進左派政権も成立し、左翼ナショナリストの台頭が顕著である。

ロシア

ソビエト時代のナショナリズムはレーニンが口火を切り、スターリンが引き継いだものである。ロシアでは左翼ナショナリズムは親プーチンと反プーチンに分かれている。どちらも旧ソ連のイメージを理想とする。

親プーチン側はウラジミール・プーチン大統領による「左への転回」の表明で、左翼的な社会政策を取り入れ、ピオネールコムソモールを想起させるナーシを作り、ロシア連邦共産党の層を二つに割った。

反プーチン側は最大野党のロシア連邦共産党が旧ソ連の復古を扇動している。

インド

諸民族の団結を謳う国民会議派各派。

シンガポール

社会民主主義を掲げる人民行動党は、人種・ジェンダーの排他的関係を超越したナショナリズムを奨励している。

アラブ諸国

アラブ諸国では、汎アラブ主義アラブ民族主義)と社会主義とが結びついたアラブ社会主義と呼ばれる独自の政治潮流がある。エジプトガマール・アブドゥル=ナーセルバアス党などが象徴的だが、共産党やソ連などとの距離はまちまちであった。

アフリカ

脱植民地化時代の1950年代後半から1960年代にかけて、ガーナクワメ・エンクルマ政権や、ギニアセク・トゥーレ政権、アルジェリアベン・ベラ政権など、アフリカ諸国の独立指導者には左翼ナショナリズム的傾向を持つ人物も多かった。

その他

ブルガリアでのイスラム系少数民族住民への強制的同化やチェコにおけるドイツ語系住民の大量追放などが挙げられる。

参考文献

  • ラウル・ジラルデ『現代世界とさまざまなナショナリズム』中谷猛ほか訳、晃洋書房、2004(マルクス主義ナショナリズムについての言及がある)
  • 浅羽通明『ナショナリズム』筑摩書房、2004
  • 小熊英二『<民主>と<愛国>』新曜社、2002(革命ナショナリズムについての言及がある)
  • 大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』平凡社、2002
  • スターリン『マルクス主義と民族問題』大月書店、1953

関連項目