巣鴨
巣鴨(すがも)とは、東京都豊島区に属する巣鴨駅を中心とする街。現行行政地名は巣鴨一丁目から巣鴨五丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は、170-0002。
巣鴨駅には、東日本旅客鉄道(JR東日本)の山手線、東京都交通局(都営地下鉄)の三田線が走っている。また、近くに、東京都交通局都電荒川線の巣鴨新田停留場、庚申塚停留場、新庚申塚停留場がある。
概要
- とげぬき地蔵で有名な高岩寺がある。
- 高岩寺がある巣鴨地蔵通り商店街周辺は、「おばあちゃんの原宿」として、多くの高齢者で賑わっている。東京のマスコミによる高齢者のインタビューはここで多く行われる。
- 地蔵通り商店街の道筋は、旧中仙道。
- 地蔵通り商店街入り口にある真性寺には、江戸六地蔵の第四番、2.68mの銅造地蔵菩薩坐像がある。
- 巣鴨駅前商店街にあるマクドナルド巣鴨店の店内には、シルバーシートがある。また、高齢者が多いことから、メニューの表記が高齢者向けにされていたことがあった。(例:ポテト→おいも、チキン→とりにく、ドリンクのS・M・L→飲み物の小・中・大、スマイル→笑顔)。
- 染井霊園は桜の名所として有名。染井霊園のある旧染井村は「ソメイヨシノ」の発祥の地。霊園には松平定明、高村光雲、高村光太郎、高村智恵子、二葉亭四迷の墓がある。
- 本妙寺には江戸町奉行の遠山景元、囲碁家元の本因坊家、剣の千葉周作、大名の久世氏の墓がある。
- 慈眼寺には芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓がある。
- 妙行寺には四谷怪談で知られる於岩(お岩さん)の墓がある。
- 戦後久しく、巣鴨は無線関係を扱う者にとってはメッカ的な存在で、巣鴨駅周辺には数多くの無線機器や無線パーツの専門店が存在していた。
- 都内有数のピンクサロン街である。
※「巣鴨プリズン」は現在の池袋地区に存在していた[1]が、「巣鴨」を冠することや立地当時の旧区域住所名などの要因から、しばしば巣鴨の施設として紹介される。
歴史
- 江戸期には武蔵国豊島郡に現在の豊島区の東半分を占める地域に巣鴨村が存在した。
- 18世紀半ばには江戸市中の拡大と共に、巣鴨村の中山道に面する一角に巣鴨町上組・中組・下組が起立。江戸町奉行所の支配下に置かれることとなった。その後も巣鴨仲町、巣鴨原町、巣鴨辻町、巣鴨御駕籠町が起立した。
- 1872年(明治5年)、巣鴨辻町を小石川大塚辻町に改称。
- 1878年(明治11年)7月22日、郡区町村編制法により巣鴨一 - 四丁目(旧巣鴨町)、巣鴨仲町、巣鴨原町、巣鴨駕籠町、小石川大塚辻町が小石川区(現在の文京区)に編入される。
- 1889年(明治22年)4月1日、市制・町村制が施行され、東京府北豊島郡に巣鴨町と巣鴨村が発足。元来の巣鴨村はほぼ東西に二分され、東部三字(字下新田・平松・宮下)が小石川区巣鴨一 - 四丁目・上駒込村・駒込妙義坂町・駒込染井町、小石川区小石川大塚辻町の飛地とともに巣鴨町に、西部四字(字向原・宮仲・新田・庚申塚)が池袋村・新田堀之内村と雑司ヶ谷村の一部及び堀之内村・中丸村・長崎村のそれぞれ飛地とともに(新)巣鴨村にそれぞれ編入された。また、元来の巣鴨村の飛地は字下新田の飛地が小石川区(現在の文京区千石四丁目23~25番、巣鴨大鳥神社一帯)に、字代地が高田村(現在の豊島区目白二丁目27~33番、目白三丁目12・15~22番の全域、および西池袋二丁目1~4番の各一部)にそれぞれ編入された。
- 1897年(明治30年)11月19日、徳川慶喜公が静岡の謹慎生活から28年ぶりに帰京し移り住む。巣鴨邸は、中山道(現白山通り)に面して門があり、庭の奥は水戸に因んだ梅林になっており、町の人々からは「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれた。
- 1918年(大正7年)7月20日、巣鴨村が町制を施行し西巣鴨町と改称。
- 1932年(昭和7年)10月1日、巣鴨町・西巣鴨町共に東京市に編入され、高田町・長崎町と共に豊島区の一部となる。したがって、今日「巣鴨」といえば巣鴨駅・高岩寺周辺の一帯のみを指すが、元来は駒込駅 - 池袋駅一帯を指すかなり広い範囲の地域名である。
「豊島区の町名#巣鴨地区の行政地名」も参照
産業
出身有名人
その他
- 「巣鴨駒込駒込巣鴨」(早口言葉)
- バカ姉弟 - 安達哲の漫画。巣鴨を舞台として幼い姉弟の成長を描く。2009年10月から『ご姉弟物語』のタイトルでテレビアニメが放送されている。
- 巣鴨地蔵通り商店街公式マスコットキャラクターに「すがもん」がいる。2009年に実体化。