嶋田哲也

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嶋田 哲也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県山陽小野田市
生年月日 (1967-05-13) 1967年5月13日(57歳)
身長
体重
183 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト5位
初出場 1991年8月10日
最終出場 1996年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手投手、右投右打)、現プロ野球審判員。審判員袖番号「24」。

来歴・人物

選手時代

中学から野球を始める[1]柳井商業高では3年春の県大会で優勝した[1]。卒業後、社会人野球王子製紙米子に進むが、都市対抗野球も未経験であった。

1990年のプロ野球ドラフト会議阪神タイガースから5位指名を受け入団[1]

プロ1年目の1991年から一軍初登板を果たし、1993年にはプロ初勝利を挙げるが、これが最初で最後の勝利であった。同年6月27日、この年優勝したヤクルトスワローズを相手に先発すると、新人の伊藤智仁と投げ合って8回1失点と好投するが降板し結局延長15回引き分けとなった。1996年には中継ぎとして自身最多の22試合に登板するが、以降は一軍登板がなく、1998年に自由契約になり現役を引退[1]スリークォーターから、スライダーカーブシュートを武器とした。

自身の現役引退時の激励会で、招待客の一人で同郷、熱狂的なタイガースファンでもある松村邦洋がスピーチで「名球会まであと199勝と迫った中での引退は誠に残念であり……」というコメントを述べ、場内は爆笑の渦だったそうである。(松村とは同じ学年で、松村の中学時代の級友が嶋田と高校でバッテリーを組んでいたという)

審判時代

引退の翌年1999年セントラル・リーグの関西審判部に入局。プロ野球審判員となる。審判員袖番号は24(入局以来、241988年初採用から1997年退職まで福井宏がつけていた袖番号である)。

2008年クライマックスシリーズ第2ステージに出場し、ポストシーズン初出場を果たした。また、2009年にはオールスターゲームに初出場している。

2014年には、同期入局の深谷篤と共に日本シリーズ(阪神タイガース対福岡ソフトバンクホークス戦)初出場を果たし、10月28日の第3戦(ヤフオクドーム)で球審を務めた[2]

2017年4月16日、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズ読売ジャイアンツ6回戦で二塁塁審を務め、史上126人目の通算1000試合出場を達成した[3]

2021年シーズンより、サブクルーチーフに昇格。

議論を呼んだ判定

2019年4月21日の阪神対巨人6回戦では控え審判として試合に臨んだ。4回表、無死一塁で打者岡本和真がショートゴロを放ち、ショートの木浪聖也は併殺を狙った。しかし、二塁はセーフとなりセカンドの糸原健斗から一塁への送球は反れてボールデッドの箇所に入った。このプレーに対し審判団は走者二・三塁で再開しようとしたが控え審判であった嶋田が、「規則上一塁走者は得点で打者走者は二塁である」とアドバイスをした。この判定が2019年のファインジャッジ賞に選定された[4]。しかし、クリスチャン・ビヤヌエバがセーフをアピールした際に両手を横に広げ、糸原の送球を妨げたとして、ネット上では疑問に思う声が多かった。

2021年9月13日の中日対ヤクルト18回戦(バンテリンドーム)にて、9回表一死一、二塁でヤクルトの代打川端慎吾の打球を中日二塁手・堂上直倫が処理し一塁へ送球しセーフ、その後一塁走者・西浦直亨が挟殺プレーとなり、遊撃手・京田陽太が二塁を踏んだ際にフォース状態であるにも関わらずジャッジをせず、プレーが続行、二塁走者の古賀優大が本塁を狙いタッチアウトとなった[5]。中日与田剛監督のリクエストの結果、セカンドがアウトとなり、試合終了となったため、ヤクルト高津臣吾監督は猛抗議し、ヤクルト球団は試合後意見書を提出した。翌日、NPBはヤクルト球団に謝罪し、嶋田は厳重注意処分を受けた[6]

同年10月18日の阪神タイガース対広島東洋カープ23回戦(阪神甲子園球場)で、8回無死一塁で広島の代打會澤翼の打球を阪神左翼手・板山祐太郎がワンバウンドで捕球したように見えるにもかかわらずアウトと判定[7]。また判定が遅かったため、飛び出していた一塁走者の大盛穂もアウトとなった。広島佐々岡真司監督はリクエストをしたが、判定は覆らなかった。

選手としての特徴

スリークォーターからの力強いストレートを武器としたが、制球に苦しむタイプであった。一例として、1996年6月29日のヤクルトスワローズ戦で古田敦也に対して死球すれすれの頭を掠めるビーンボールを4球続けたために古田が激怒、山田勝彦捕手とのもみ合いから両チームの選手が入り乱れての大乱闘騒ぎに発展したことがある。また乱闘の際ヤクルトのコーチ八重樫幸雄と掴み合いになってしまうなどエキサイトしていた(退場にはなっていない)。この試合では、後に嶋田の上司となる田中俊幸三塁塁審(責任審判)が、場内説明で「スワローズ」と言うべきところを「アトムズ」と言ってしまい、当時の川島廣守セ・リーグ会長までが処分を受けた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1991 阪神 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 4.0 2 0 1 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.75
1993 13 7 0 0 0 1 3 0 -- .250 172 39.0 37 6 19 2 2 28 1 0 21 20 4.62 1.44
1996 22 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 138 29.1 35 1 7 0 4 15 0 0 18 12 3.68 1.43
通算:3年 37 8 0 0 0 1 3 0 -- .250 324 72.1 74 7 27 2 6 45 1 0 39 32 3.98 1.40

記録

背番号

  • 45(1991年 - 1998年)

審判出場記録

  • 初出場:2002年4月29日、阪神対中日4回戦(甲子園球場)、一塁塁審。
  • 出場試合数:1461試合
  • オールスター出場:2回(2009年、2016年)
  • 日本シリーズ出場:3回(2014年、2016年、2020年)

(記録は2021年シーズン終了時)[8]

表彰

  • ウエスタン・リーグ優秀審判員:1回(2003年)
  • セントラル・リーグ審判員奨励賞:1回(2010年)
  • ファインジャッジ賞:1回(2019年)

(記録は2021年シーズン終了時)

脚注

  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、271ページ
  2. ^ 2014年度 SMBC日本シリーズ 試合結果(第3戦)”. 日本野球機構. 2014年10月29日閲覧。
  3. ^ 嶋田哲也審判員 1000試合出場達成のお知らせ”. NPBニュース(日本野球機構公式サイト) (2017年4月16日). 2021年10月20日閲覧。
  4. ^ ファインジャッジ賞 受賞について”. 日本野球機構. 2020年6月9日閲覧。
  5. ^ “大混乱の中日―ヤクルト戦 二塁塁審や球審の説明は? 一連の流れに問題は?”. スポニチアネックス. (2021年9月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/09/13/kiji/20210913s00001173612000c.html 2022年9月1日閲覧。 
  6. ^ NPBがヤクルトに謝罪 二塁塁審は厳重注意”. サンケイスポーツ (2021年9月14日). 2021年10月19日閲覧。
  7. ^ 写真ではワンバン!? 阪神板山スレスレキャッチ リクエストも判定覆らず”. 日刊スポーツ (2021年10月19日). 2021年10月20日閲覧。
  8. ^ 2019年度 審判員・記録員 嶋田哲也”. 日本野球機構. 2021年10月20日閲覧。

関連項目

外部リンク