小湊鉄道線

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小湊鉄道線
鉄道線を走るキハ200形気動車
鉄道線を走るキハ200形気動車
鉄道線を走るキハ200形気動車
路線総延長39.1 km
軌間1067 mm
停車場・施設・接続路線
STR
JR東内房線
0.0 五井駅
STRrf ABZlf KDSTr
五井機関区
BHF
2.5 上総村上駅
eBHF
西広駅 -1944
BHF
5.4 海士有木駅
BHF
7.2 上総三又駅
BHF
8.6 上総山田駅
eBHF
二日市場駅 -1944
BHF
10.6 光風台駅
BHF
12.4 馬立駅
eBHF
佐是駅 -1944
BHF
16.4 上総牛久駅
BHF
18.5 上総川間駅
BHF
20.0 上総鶴舞駅
BHF
22.0 上総久保駅
BHF
23.8 高滝駅
BHF
25.7 里見駅
BHF
27.5 飯給駅
BHF
29.8 月崎駅
BHF
32.3 上総大久保駅
BHF
34.9 養老渓谷駅
39.1 上総中野駅
STR
いすみ鉄道いすみ線
五井機関区
第4種踏切(三反目踏切)
主要駅の一つ養老渓谷駅

小湊鉄道線(こみなとてつどうせん)は、千葉県市原市五井駅から夷隅郡大多喜町上総中野駅までを結ぶ小湊鉄道鉄道路線である。路線の大半が市原市内に属する。

概要

非電化単線の路線で近代化されていないため、首都圏にありながら駅舎や車両など古くからの雰囲気を残している。そのため近年ではテレビコマーシャルテレビドラマカラオケ等の撮影で使用されることが多い。

1990年代後半からの10年間で乗客が急減した。2000年代では、多少減少幅が緩やかになったがやはり乗客減少傾向にある。

合理化により、2000年以降では、2002年に里見駅、2005年に上総山田駅無人駅となった。土日・祝日はほとんどの駅が無人となるため、切符の販売は車掌が車内で行う。

女性を積極的に採用しており、車内で精算業務を行う若い女性の車掌が10名弱勤務しているほか、一部の駅では女性係員が勤務している。2007年には女性運転士も誕生した。

国土交通省関東運輸局業務監査報告書によると、将来ワンマン運転を実施する予定となっているが、実施時期は未定である。

小湊鉄道線には電鈴踏切が多い。また安全対策が遅れていて、警報機遮断機なしの第4種踏切が51か所残っている。

1997年(平成9年)の運賃改訂で、10km/400円、40km/1,370円と、地方ローカル線と同レベルの運賃が設定されたため、首都圏近郊の私鉄と比較すると割高感がある。なお、1日乗車券が1,700円、いすみ鉄道と共同で五井 - 大原間片道乗車・途中下車可能(折り返し乗車不可)の「房総横断乗車券」が1,600円で発売されている。

いすみ鉄道いすみ線との乗り換え駅である上総中野駅では、両線の線路が繋がっており、相互乗り入れの話が出る。しかし、両社共に消極的で今日まで実現していない。旅客流動上も相互乗り入れのメリットはきわめて薄いとされていたが、現職のいすみ鉄道の鳥塚社長は小湊鉄道との乗り入れに意欲的なコメントを呈している。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):39.1km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:18駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:全線単線
  • 電化区間:全線非電化
  • 閉塞方式:自動閉塞式(五井 - 上総牛久間)、スタフ閉塞式(上総牛久 - 上総中野間)
    • 交換可能駅:6(上総村上、海士有木、上総山田、光風台、馬立、上総牛久)
  • 車両基地所在駅:五井駅

歴史

当初は安房郡小湊町(現在の鴨川市の一部)を目指して着工された。工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊の鉄道敷設訓練の一環としての性格もあった。

1917年(大正6年)に会社を設立したが建設資金調達に苦心し、伝を頼り安田善次郎に出資を依頼するため陳情団が東京を訪れる。安田は利益を上げる見込みのないローカル線への出資を承諾し、1924年(大正13年)には安田財閥の持株比率が6割を超える[1]。安田財閥の資金を元に、同年ボールドウィン社より蒸気機関車を2台(1号・2号)を購入、翌年の運転に備えた[2]。このとき購入した機関車は、1号車(拓本番号57776)、2号車(拓本番号57777)ともに小湊鉄道五井駅に保存、展示されている。

1925年(大正14年)3月7日に五井駅 - 里見駅間で開業。1926年(大正15年)9月1日に里見駅 - 月崎駅間、1928年(昭和3年)5月16日に上総中野駅までの全線が開通した。しかし、昭和初期の土木技術では難工事となったことや資金面の問題、加えて1934年(昭和9年)に上総中野駅まで延伸した国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)と接続して房総半島の横断はできるようになったことから、それ以上の延伸はされなかった。

1926年(大正15年)時点には、従業員130名を抱え、SL2台の他に予備機関車1台、客車6両、貨車19両の車両構成で、一日平均930人の乗降客があった[2]

1942年(昭和17年)12月、本鉄道は京成電気軌道系列の企業となる。『京成電鉄五十五年史』には、本鉄道が京成電気軌道系列に入ってきた、とされているが、『安田保善社とその関係事業史』では、当局の要請により仕方なく営業譲渡した、とされている[3]

1963年(昭和38年)と1964年(昭和39年)の夏には、千葉駅 - 養老渓谷駅間の直通列車が運行された。千葉駅 - 五井駅間は当時非電化だった内房線(当時は房総西線)の気動車に併結運転された。

年表

  • 1925年(大正14年)3月7日 五井 - 里見間が開業。
  • 1926年(大正15年)9月1日 里見 - 月崎間が開業。
  • 1928年(昭和3年)5月16日 月崎 - 上総中野間が開業。内燃動力併用開始。
  • 1932年(昭和7年)11月20日 上総三又駅開業。
  • 1933年(昭和8年)4月10日 上総久保駅開業。
  • 1939年(昭和14年) 西広駅、二日市場駅、佐是駅開業。
  • 1944年(昭和19年)8月5日 西広駅、二日市場駅、佐是駅廃止。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 上総川間駅開業。
  • 1954年(昭和29年)12月1日 養老川駅を上総山田駅に、朝生原駅を養老渓谷駅に改称。
  • 1958年(昭和33年)1月1日 鶴舞町駅を上総鶴舞駅に改称。
  • 1962年(昭和37年)3月21日 蒸気機関車を全廃。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 里見 - 上総中野間の貨物営業廃止。
  • 1969年(昭和44年)10月1日 五井 - 里見間の貨物営業廃止。
  • 1973年(昭和48年)12月8日 五井 - 上総牛久間自動閉塞化。
  • 1976年(昭和51年)11月23日 光風台駅開業。
  • 1995年(平成7年)2月1日 五井 - 上総牛久間ATS設置。
  • 1998年(平成10年)9月16日 上総牛久 - 上総中野間スタフ閉塞に変更。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月18日 夜の1本を里見駅までの運行に短縮。
    • 4月12日 集中豪雨で土砂が流出した影響により養老渓谷 - 上総中野間が不通となり全面運休。
    • 6月19日 運転再開。

運行形態

全区間で平日ダイヤと休日ダイヤが異なる。

運転頻度は五井 - 上総牛久間はラッシュ時が1時間に2 - 3本、データイムは1時間に1 - 2本。上総牛久 - 上総中野間は1日を通して2時間に1本程度である。五井 - 上総牛久間の区間列車が半数以上を占め、養老渓谷・上総中野まで到達する列車は少ない。特に、養老渓谷 - 上総中野間は平日1日4往復(休日1日6往復)で、千葉県内で最も列車の本数の少ない区間である。データイムは1 - 2両、朝夕ラッシュ時が2 - 3両で運転される。使用車両は全列車でキハ200形が使用される。

五井 - 上総牛久間は、千葉・東京方面への通勤・通学客が多い。上総牛久 - 上総中野間は観光客が主な乗客である。養老渓谷でイベントが開催される時期や、高滝の花火大会の際は、増発・増結がなされる。

ATSによる自動閉塞式区間は五井 - 上総牛久間のみの路線全体の41.9%に限られ、上総牛久 - 上総中野間の区間はスタフ閉塞式による1閉塞区間となっている。運行システム上、この区間には上下合わせて1本しか本線に列車が進入できず、運転本数が極端に少ない(設備上はこの区間に待避設備がある駅がある)。

利用状況

輸送実績

収入実績

営業成績

駅一覧

  • 全列車普通列車(全駅に停車)
  • 線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
  • 全駅千葉県内に所在
駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 線路 所在地
五井駅 - 0.0 東日本旅客鉄道内房線 市原市
上総村上駅 2.5 2.5  
海士有木駅 2.9 5.4  
上総三又駅 1.8 7.2  
上総山田駅 1.4 8.6  
光風台駅 2.0 10.6  
馬立駅 1.8 12.4  
上総牛久駅 4.0 16.4  
上総川間駅 2.1 18.5  
上総鶴舞駅 1.5 20.0  
上総久保駅 2.0 22.0  
高滝駅 1.8 23.8  
里見駅 1.9 25.7  
飯給駅 1.8 27.5  
月崎駅 2.3 29.8  
上総大久保駅 2.5 32.3  
養老渓谷駅 2.6 34.9  
上総中野駅 4.2 39.1 いすみ鉄道いすみ線 夷隅郡大多喜町

廃駅

  • 西広駅(上総村上 - 海士有木間、1939年開業、1944年廃止)
  • 二日市場駅(上総山田 - 光風台間、1939年開業、1944年廃止)
  • 佐是駅(馬立 - 上総牛久間、1939年開業、1944年廃止)

新駅構想

五井駅 - 上総村上駅間の市原インターチェンジ付近と、上総村上駅 - 海土有木駅間の国分寺台地区に新駅を設置する構想がある[4]

脚注

  1. ^ 『ちばの鉄道一世紀』(p208)より。
  2. ^ a b 産経新聞社千葉総局『房総発見100』、崙書房出版、平成10年、176頁
  3. ^ 『ちばの鉄道一世紀』(p210)より。
  4. ^ 市原市交通マスタープラン - 市原市ホームページ

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク