大原野神社

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大原野神社
大原野神社 中門
中門(京都市指定文化財)
所在地 京都府京都市西京区大原野南春日町1152
位置 北緯34度57分37.29秒 東経135度39分22.56秒 / 北緯34.9603583度 東経135.6562667度 / 34.9603583; 135.6562667 (大原野神社)座標: 北緯34度57分37.29秒 東経135度39分22.56秒 / 北緯34.9603583度 東経135.6562667度 / 34.9603583; 135.6562667 (大原野神社)
主祭神 武御賀豆智命
伊波比主命
天之子八根命
比咩大神
社格 国史見在社
二十二社(中七社)
官幣中社
別表神社
創建 延暦3年(784年
本殿の様式 一間社春日造
別名 京春日
例祭 4月8日
主な神事 大原野相撲 (9月第2日曜日)
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大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都府京都市西京区大原野にある神社二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社

奈良の春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」の別称がある。

祭神

祭神は次の4柱(「春日神」と総称)で、春日大社と同じ。()内は春日大社での表記。

歴史

延暦3年(784年)に桓武天皇長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后の藤原乙牟漏藤原氏氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったのに始まる。嘉祥3年(850年)、藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が社殿を造営した。奈良春日社と同じ藤原氏の氏神を祀る大原野神社はそれに準ずる扱いを受け、二十二社に列した。明治4年に官幣中社に列した。

藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后中宮になれるようにと当社に祈願し、祈願通りになると行列を整えて当社に参詣することが通例となっていた。貞観18年(876年)、清和天皇女御となった藤原高子(二条の后)が当社に参詣した際、右近衛権中将で高子のかつての恋人であった在原業平がその行幸につき従い、「大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ」と詠んだ。

境内

  • 本殿
    一間社春日造の社殿が4棟並ぶ形式は春日大社と同様である。擬宝珠文政5年(1822年)の銘があることから、この時期に再建されたか大改修を受けたと考えられている[1]
  • 千眼桜
    数日間しか咲かず「幻の桜」とも言われる。
  • 鯉沢の池
    文徳天皇が奈良の猿沢池を模して造ったと言われる。

文化財

京都市指定文化財

  • 有形文化財
    • 大原野神社 7棟(建造物) - 江戸時代後期の造営。平成15年4月1日指定[2]
      • 本殿 4棟
      • 中門 1棟
      • 東西廊 2棟
  • 無形民俗文化財
    • 大原野神社の神相撲 - 平成27年3月31日指定[3]

現地情報

所在地

交通アクセス

周辺

脚注

  1. ^ 社殿前の案内板より
  2. ^ 京都市指定・登録文化財-建造物-西京区(京都市ホームページ)。
  3. ^ 京都市指定・登録文化財-無形民俗文化財-西京区(京都市ホームページ)。

関連図書

外部リンク