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嘉風雅継

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嘉風雅継
入場する嘉風
基礎情報
四股名 嘉風 雅継
本名 大西 雅継
愛称 マサツグ
生年月日 (1982-03-19) 1982年3月19日(42歳)
出身 大分県佐伯市
身長 176cm
体重 136kg
所属部屋 尾車部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 西前頭9枚目
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 340勝328敗3休(50場所)
幕内戦歴 252勝286敗2休(36場所)
優勝 三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
敢闘賞2回
データ
初土俵 2004年1月場所
入幕 2006年1月場所
趣味 イカ釣り、睡眠パソコンボウリング
備考
2012年5月22日現在

嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ、1982年3月19日 - )は、大分県佐伯市出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士大分県立中津工業高等学校から日本体育大学体育学部武道学科卒業。本名は大西雅継(おおにし まさつぐ)、愛称は本名の「マサツグ」。身長176cm、体重136kg、血液型はB型。星座は魚座、干支は戌年、趣味はイカ釣り。得意技は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(2011年7月場所)。

来歴

小学4年のとき、巡業に訪れていた若花田(後の横綱・若乃花)の胸を借りたことをきっかけに、市の少年相撲クラブに入って本格的な稽古を始めた。日体大3年時に天覧試合となった第51回全日本相撲選手権大会において内田下田らを破り優勝[1]アマチュア横綱のタイトルを獲得し、幕下15枚目格付出しの資格を得た。しかし、学業と学生相撲を優先し卒業を待っての入門を希望したため、卒業が決まった後に尾車部屋に入門し、2004年(平成16年)1月場所に初土俵を踏んだ。幕下付出資格の有効期限はタイトル獲得後1年間であるため付け出しの資格を失い、タイトルホルダーとして初めて前相撲からの初土俵となった。

それでも順調に番付を上げて行き、2004年(平成16年)3月場所には序ノ口優勝、同年9月場所には三段目優勝し、2005年(平成17年)7月場所に十両昇進をはたす。十両は3場所で通過(その3場所全て勝ち越し)し、2006年(平成18年)1月場所に史上3位タイ(当時は2位タイ)で新入幕を果たした。

しかし、2006年(平成18年)1月場所はそれまでのようにはうまく行かず、初日からの4連敗もあり、5勝10敗と大きく負け越し、幕内との実力差を痛感させられた場所となった。翌3月場所は十両陥落が確実視されたが、東十両8枚目で11勝を挙げ新入幕が有力視された琉鵬や東前頭13枚目で4勝10敗1休で西十両4枚目まで番付を8枚半も落とされた栃栄らをよそに番付下降を3枚にとどめ幕尻の西16枚目に残留、8勝7敗と幕内初の勝ち越しを決めた。翌5月場所も勝ち越したが、それ以後は幕内と十両の往復が続いた。2007年7月場所以降は幕内に定着し、9月場所では幕内では自身初の2桁勝利となる10勝を挙げたが、翌11月場所で11敗を喫し、その後も1年以上幕内二桁台の番付に甘んじた。

突如開眼したのが2008年11月場所で、この場所は寄りでも押しでも前に出る攻めに力があって、千秋楽まで3敗で優勝争いに絡んだ。琴奨菊には力及ばず敗れはしたものの11勝4敗で初の敢闘賞を受賞した。その大勝で翌場所は自己最高位を大幅に更新する西前頭2枚目になり、6勝9敗と負け越したが、初日に新大関・日馬富士に勝利したり、結果的に敗れたものの横綱・朝青龍を土俵際まで追いつめたりするなど、初の上位で大健闘ともいえる活躍を見せた。しかしその後は勝ち越せず、最近は幕内中位から下位の番付が多い。

土俵入りで親方を横切る際、手をあまり挙げていない。相撲界においては軽量(スマート)、均整が取れている方で、性格もはにかみで気品がありかわいらしい顔立ちから、女性ファンが徐々に増えてきている。若麒麟逮捕問題の際には部屋の閉鎖を考えていた親方に対し「親方が辞めるのなら自分も辞めます」と発言して翻意させ、大揺れだった部屋をまとめ上げたという。

2010年に起きた大相撲野球賭博問題では野球賭博に関わったとされ、特別調査委員会から名古屋場所での謹慎休場を勧告されたが、相撲協会は処分の再考を委員会に求め[2]、その結果、賭け金が少額だったとされ、最終的に謹慎処分はされずに7月場所への出場は許可された[3]。しかし、その7月場所では5勝10敗と大きく負け越してしまった。

2010年9月場所は西前頭11枚目の番付であった。初日から7連勝と順調な滑り出しを見せた。途中2度連敗をしたものの終盤まで優勝争いに絡み、11勝4敗で2回目の敢闘賞を受賞した。翌11月場所は東前頭5枚目で8勝7敗、幕内上位では初めての勝ち越し。

略歴

  • 2004年(平成16年)3月 - 日本体育大学卒業
  • 2004年(平成16年)1月場所 - 初土俵
  • 2004年(平成16年)3月場所 - 序ノ口優勝
  • 2004年(平成16年)9月場所 - 三段目優勝
  • 2005年(平成17年)7月場所 - 新十両
    • 前相撲から所要9場所での十両昇進は史上5位タイ
  • 2006年(平成18年)1月場所 - 新入幕
    • 前相撲から所要12場所での入幕は11場所の琴欧洲(当時は琴欧州、2004年9月)、阿覧(2008年11月)に次ぐ史上3位タイ
  • 2008年(平成20年)11月場所 - 敢闘賞受賞
  • 2009年(平成21年)11月場所 - 初日から7連勝、中日に敗れるものの、9日目には8勝1敗で勝ち越し。両横綱についていた。
  • 2010年(平成22年)9月場所 - 敢闘賞受賞(2回目)

主な成績

2012年5月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:340勝328敗3休 (50場所)
  • 幕内戦歴:252勝286敗2休
  • 十両成績:44勝30敗1休
  • 幕内在位:36場所
  • 十両在位:5場所

各段優勝

  • 三段目優勝:1回(2004年9月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2004年3月場所)

三賞:金星

  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:2回(2008年11月場所、2010年9月場所)
  • 金星:なし

場所別成績

                                        
嘉風 雅継[4]


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2004年
(平成16年)
(前相撲) 西序ノ口27枚目
優勝
7–0
東序二段23枚目
6–1 
西三段目60枚目
6–1 
東三段目6枚目
優勝
7–0
西幕下11枚目
3–4 
2005年
(平成17年)
西幕下16枚目
6–1 
西幕下5枚目
4–3 
東幕下3枚目
5–2 
西十両13枚目
10–4–1 
西十両7枚目
8–7 
西十両5枚目
10–5 
2006年
(平成18年)
西前頭13枚目
5–10 
西前頭16枚目
8–7 
西前頭14枚目
9–6 
東前頭9枚目
6–9 
東前頭12枚目
5–10 
東十両筆頭
8–7 
2007年
(平成19年)
西前頭13枚目
8–7 
西前頭12枚目
5–10 
東十両筆頭
8–7 
東前頭13枚目
6–9 
西前頭15枚目
10–5 
西前頭10枚目
4–11 
2008年
(平成20年)
西前頭15枚目
8–7 
西前頭12枚目
6–9 
西前頭14枚目
7–8 
東前頭15枚目
8–7 
東前頭11枚目
7–8 
東前頭12枚目
11–4
2009年
(平成21年)
西前頭2枚目
6–9 
西前頭4枚目
7–8 
西前頭5枚目
4–11 
西前頭12枚目
6–9 
東前頭15枚目
9–6 
東前頭9枚目
10–5 
2010年
(平成22年)
東前頭5枚目
6–9 
西前頭9枚目
5–10 
東前頭13枚目
9–6 
西前頭8枚目
5–10 
西前頭11枚目
11–4
東前頭5枚目
8–7 
2011年
(平成23年)
西前頭2枚目
4–11 
八百長問題
により中止
西前頭7枚目
9–6 
西前頭筆頭
7–8 
西前頭2枚目
6–9 
西前頭5枚目
7–8 
2012年
(平成24年)
東前頭6枚目
9–6 
西前頭2枚目
3–10–2 
西前頭9枚目
8–7 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 大西 雅継(おおにし まさつぐ)2004年1月場所 - 2005年5月場所
  • 嘉風 雅継(よしかぜ -)2005年7月場所 -

関連項目

脚注

  1. ^ 大西、初のアマ横綱に、2002年12月8日、共同通信
  2. ^ 朝日新聞 2010年6月29日
  3. ^ 朝日新聞 2010年7月3日
  4. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。

外部リンク