古屋圭司

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日本の旗衆議院議員 古屋 圭司
生年月日 (1952-11-01) 1952年11月1日(71歳)
出身地 日本の旗東京都
出身校 成蹊大学経済学部
学位・資格 経済学士
前職 大正海上火災保険従業員
世襲 4世
伯父・古屋亨
祖父・古屋慶隆
曽祖父・古屋善造
曽祖父・須田万右衛門
高祖父・古屋善平治
選出選挙区 (旧岐阜2区→)
(岐阜5区→)
比例東海ブロック(岐阜5区)
当選回数 7回
所属党派 (自由民主党(清和研→亀井・平沼G→志帥会)→)
(無所属→)
自由民主党(志帥会)
党役職 岐阜県支部連合会会長
会館部屋番号 衆議院第2議員会館423号室
ウェブサイト www.furuya-keiji.jp
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古屋 圭司(ふるや けいじ、1952年11月1日 - )は、日本政治家自民党所属の衆議院議員(7期)、党岐阜県連会長。旧姓は松本

概要

略歴

東京都出身(本籍地岐阜県恵那市大井町)。出生時の姓は松本であるが、母方の伯父にあたる古屋亨の養子になったため、以後古屋姓を名乗る。実母は戦前立憲民政党に所属した古屋慶隆の5女。成蹊高等学校成蹊大学経済学部卒業。1976年、大正海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)に入社。1984年に退社し、当時外務大臣だった安倍晋太郎の秘書になる。翌1985年からは養父である古屋亨の秘書を務め、1990年第39回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧岐阜県第2区から出馬し、初当選を果たした。1998年夏に自民党総裁選梶山静六支援し清和研離脱し亀井静香平沼赳夫グループとして離脱、中曽根派と合流し志帥会旗揚げ参加。

2005年郵政国会郵政民営化法案に、高校・大学の後輩にあたる安倍晋三自民党幹事長代理や、中川秀直自民党国対委員長らから賛成に回るよう説得を受けたものの、説得に応じずに反対票を投じた。採決後、志帥会事務総長だった谷津義男が小泉に与して賛成票を投じたために事務総長を辞任し、古屋が後任の事務総長に就任する。第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、岐阜県第5区から無所属で出馬し、当選した。なお、当時古屋は自民党岐阜県連の会長であったが、党から公認を得られなかったためその職を辞した(後任の県連会長は金子一義)。選挙での自民党圧勝を受け、総選挙後の特別国会に再提出された郵政民営化法案には一転、賛成票を投じた。

2006年11月、自民党に復党届及び誓約書を提出し、12月に党紀委員会で復党が認められたため、自民党に復党した(郵政造反組復党問題)。翌2007年10月、亀井派から代替わりした志帥会に再入会。なお、同じ造反組である江藤拓も共に再入会している。

2007年5月、価値観外交を推進する議員の会会長に就任し、同会は麻生太郎が推進する価値観外交を支持した。なお古屋は2007年2008年自由民主党総裁選挙で共に麻生に投票し、後者では推薦人に名を連ねている。2007年7月、米下院121号決議の全面撤回を求める抗議書に賛同。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、岐阜5区で民主党阿知波吉信に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、7回目の当選を果たした。なお郵政造反組で、かつ05年総選挙を無所属で勝ち抜いた、同じ岐阜県選出の野田聖子郵政大臣(岐阜県第1区)も、09年総選挙では民主党の候補に敗れている。

2009年中央政治大学院学院長に就任し、稲田朋美丸川珠代古川禎久松浪健太井上信治らを副学院長に任命した。47都道府県に地方政治学校の設置を目指している。

2010年1月、のぞみに参加。2011年1月14日、政策集団「のぞみ」は憲法96条「改正条項」の緩和を目指すことを発表。さらに、民主・自民議員を中心に超党派議員連盟「憲法96条改正を目指す議員連盟」(古屋圭司は中心メンバー)を設立し、憲法改正原案を国会に提出する必要数(衆議院100名以上かつ参議院50名以上)の確保を目指す。

人物

献金

道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。[要出典]

親族

関連項目

外部リンク

議会
先代
河村建夫
日本の旗 衆議院文部科学委員長
2002年 - 2003年
次代
池坊保子
先代
中山成彬
日本の旗 衆議院商工委員長
2000年
次代
廃止
公職
先代
中山成彬
松田岩夫
日本の旗 経済産業副大臣
松田岩夫大島慶久と共同
2001年 - 2002年
次代
高市早苗
西川太一郎