リバーシブル (雑誌)
リバーシブル | |
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リバーシブル編集室(岡崎市康生通南) | |
ジャンル | タウン情報誌 |
刊行頻度 | 月刊(毎月20日) |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 | 無料(0円) |
出版社 |
(株式会社ペーパードール→) (株式会社リバーシブル→) 和デザイン |
刊行期間 | 1980年3月 - |
種類 | 株式会社 |
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本店所在地 |
日本 〒444-2106 愛知県岡崎市真福寺町字落合5番地97 |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 7180301002729 |
事業内容 | タウン情報誌の発行 |
代表者 | 破産管財人 増田大輔[1] |
資本金 | 2500万円 |
特記事項:2021年12月2日破産手続開始決定。 |
『リバーシブル』は、愛知県三河地方・岡崎市を対象地域とする月刊のタウン情報誌。誌名は『一番ディープな岡崎本 リバ!』を経て『RARE』に変更された。発行元の株式会社リバーシブルは2021年12月2日付で倒産した[1][2]。
概要
1980年3月20日に創刊された[注 1]。創刊号(4月・5月号)はA5版、発行部数5,000部、1冊250円だった。発行元は株式会社ペーパードール。
岡崎市明大寺町の喫茶店「ペーパードール」の経営者、鈴木雅美が独自に発行していた新聞を原点とする。鈴木はその後、東岡崎駅の「えきまえ会」の広報新聞「えきまえ」の制作に参加。同新聞を元に1年半の準備期間を経て『リバーシブル』は発行された[3][4][5]。名前は、岡崎市の中心を矢作川と乙川が流れていることからとられた[3]。ロゴの「REVERSIBLE」は語頭の「R」が左右反転している。創刊から今日に至るまで頒布ルートは会員制をとっている。
地域の情報発信と交流を目的とした雑誌であるが、当初から各界著名人に対するインタビューを積極的に行った。ジョージ川口(1981年6月号)、秋吉敏子(1981年8月号)、石森章太郎(1982年1月号)、黒柳徹子(同号)、西田敏行(1982年2月号)、渡辺貞夫(1982年7月号)、岡村孝子(1982年7月号、1985年12月号)、冨田勲(1983年3月号、1983年9月号)、あみん(1983年10月号)、中嶋悟(1984年11月号)などがその例。
初期の頃は、『POPEYE』、『ビックリハウス』、『週刊少年マガジン』、『写楽』、『LIFE』などの雑誌のパロディのページがあった。
2005年、発行元が株式会社ペーパードールから株式会社リバーシブル(社長:浅井朋親)に移る。それとともに有料販売というスタイルを改め、同年10月号から無料誌となった。A5版からA4版となり、誌名を『一番ディープな岡崎本 リバ!』に変更した。
2012年11月号(10月20日発行)にて、まだデビュー前だった「オカザえもん」をいち早く特集した[注 2]。
2021年9月号から誌名を『RARE』に変更[7]。存続を図るが、同年12月2日付で株式会社リバーシブルは名古屋地方裁判所岡崎支部から破産手続開始の決定を受けた[2]。2022年1月号から発行元が和デザイン(社長:浅井和親)に変わった[8]。
沿革
- 1980年
- 3月20日創刊。創刊時は隔月刊だった。名誉編集長として女子高生の名前が記されている。
- 8月・9月号 特集「岡崎二十七曲り」
- 1981年
- 6月号より月刊となる。
- 12月号 特集「岡崎公園」
- 1982年
- 1983年
- 1984年
- 7月号 特集「内田修先生探訪記 ドクターズ・スタジオでのインタビュー」
- 9月号 特集「ナンダーランド '84」
- 1985年
- 6月号 特集「三河湾一周航海記」
- 7月号 特集「えいがDREAM」
- 1986年
- 1987年
- 1991年 - 1月号より編集長が生田薫になる。
- 1992年 - 4月号 特集「20年目の国道一号線交通公害問題」
- 1995年 - 7月号 特集「岡崎六ツ美・悠紀の里」
- 1996年 - 10月号 特集「愛産大三河高校 甲子園応援記」[注 8]
- 1997年 - 9月号より編集長が鈴木雅美になる。
- 2001年
- 2003年 - 5月号 特集「新美南吉 ごん狐が見た岡崎の町」
- 2005年
- 2月号より編集長が浅井朋親になる。
- 9月号より発行元が株式会社リバーシブルとなる。
- 10月号より大幅リニューアル。誌名が『一番ディープな岡崎本 リバ!』に変わる。同号には高橋名人のインタビューが掲載された。
- 2006年
- 2007年 - 8月号 特集「70年代岡崎 音盤とわたし」
- 2008年
- 編集部が康生通南3丁目20のステージビル3階に移る。
- 4月号 特集「内藤ルネ」
- 2011年
- 6月号 特集「グレート家康公『葵』武将隊」[注 13]
- 7月号より編集長が浅井寮子になる[10]。
- 2012年 - 11月号 特集「オカザえもん」
- 2013年
- 2014年
- 2016年
- 2020年
- 2021年
鈴木雅美
創刊者の鈴木雅美の経歴は以下のとおり。1948年(昭和23年)、岡崎市生まれ。愛知県立岡崎高等学校卒業後[23]、多摩美術大学に進学。1971年(昭和46年)に大学を中退し明大寺町に喫茶店「ペーパードール」を開業した[4]。そして前述のとおり1980年(昭和55年)3月に『リバーシブル』を創刊した。
1990年(平成2年)2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙にからみ、杉浦正健陣営が選挙違反を起こす[24]。同年9月25日までに自民党市議17人が辞職[25]。これに伴って11月4日に行われた補欠選挙に無所属で立候補し初当選した[26]。1996年(平成8年)7月、岡崎市長選挙へ立候補するも落選[27]。同年10月の市議選で3期目の当選。鈴木は初当選から保守系の多数会派に所属していたが、3選後、中根薫と新進党系の会派「新進市民共同クラブ」を結成した[28]。
1999年(平成11年)6月25日、市議会6月定例会の打ち上げを兼ねた自民党市議団約20人の懇親会が西浦温泉の旅館で開かれた[29]。次期議長人事や議長の公用車の使い方をめぐり、会場で永田寛市議と渡辺五郎議長が口論となった。永田は渡辺にいきなりビールをかけ、押し倒し、右足で2、3回蹴った。渡辺は尾てい骨を骨折した[30][31]。渡辺の公用車濫用問題と永田の暴行事件はマスコミで取り上げられ、鈴木は真相究明を求める先頭に立ち、9月定例会の一般質問でも公用車問題を追及した[32]。ところが会期中の9月29日、鈴木自身が前年6月に知人の女性2人に対し暴力をふるっていたことが明らかになった。美術家の女性を平手打ちすると、居合わせた旧額田町の主婦が美術家をかばい、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と鈴木を諭した。この言葉にかっとなり鈴木は主婦もさらに殴った[33][34]。
この事件の影響を受け、2000年(平成12年)と2004年(平成16年)の市議選はどちらも落選[26]。2004年12月をもって『リバーシブル』の経営から退いた。
脚注
注釈
- ^ 中日新聞系列のミニコミ新聞「岡崎ホームニュース」もほぼ同時に創刊された(1980年3月22日)。
- ^ オカザえもんが初めて公の場に姿を現したのは、2012年10月31日に行われた現代美術展「岡崎アート&ジャズ2012」の内覧会[6]。
- ^ 国治天文台は1958年9月14日、市内洞町字新池に建てられた天文台。取り壊された跡地には今は何もない。
- ^ 「あみん」のメンバーの岡村孝子は、岡崎市立矢作西小学校、岡崎市立矢作中学校、愛知県立岡崎北高等学校の出身者。
- ^ 映画『アイコ十六歳』の準主役を務めた河合美佐は現役の岡崎北高生だった。
- ^ 1985年7月刊行の『東京女子高制服図鑑』(弓立社)に触発された特集と思われるが、同書が女性の制服に特化したのに対し、『リバーシブル』の同特集は男女共に取り上げた。
- ^ 岡崎博は、1963年4月1日から5月10日まで開催された博覧会。正式名称は「岡崎博―花と産業科学大博覧会」。
- ^ 1996年8月、愛産大三河高校は第78回全国高等学校野球選手権大会に愛知県代表として初出場した。
- ^ 元ガロの大野真澄は、岡崎市立根石小学校、岡崎市立甲山中学校の出身者[9]。
- ^ 岡崎市額田地区在住の現代美術家・国島征二の取材記事を含む。
- ^ 内藤ルネは翌年、2007年10月24日に死去した。
- ^ 第1回「岡崎ジャズストリート」は2006年11月4日、5日に開催された。
- ^ グレート家康公「葵」武将隊は、2011年4月30日に結成された岡崎市の観光PR部隊。
- ^ 2013年1月、星城高校男子バレーボール部は史上4校目の三冠を達成した。部員のうち、スタメン3人を含む6名が岡崎市の出身者だった。なお同校バレーボール部は翌年、2年連続三冠に輝いた[11]。
- ^ 2014年3月30日、市内康生地区の商業施設「シビコ」にオカザえもんの公式ショップ「OKAZAEMON STORE」がオープン[12]。「アート・トランジット・オカザキ」はその店の正式名称である。
- ^ 2014年8月1日、「岡崎城下家康公夏まつり」のイベントの一環として、中嶋一貴、中嶋大祐兄弟によるレーシングカーのデモランが行われた[13]。同特集で大祐は「このイベントはこの業界でもとても意味のあることなんです。ホンダとトヨタが一緒に走ることなんて昔だったら考えられなかったでしょうしね」と述べている。
- ^ 2022年2月22日、岡崎市議会の政治倫理委員会は、三塩が私用で米国に渡航し、帰国後待期期間中に公務を欠席し、かつ地域行事に出席し住民を危険にさらしたなどとして、三塩に議員辞職を勧告した[16][17][18]。
出典
- ^ a b c “リバーシブル/破産手続き開始決定 <愛知>”. JCNET. (2021年12月13日) 2021年12月15日閲覧。
- ^ a b c “愛知・岡崎のタウン誌発行「リバーシブル」に破産決定”. 不景気.com. (2021年12月14日) 2021年12月14日閲覧。
- ^ a b 『東海愛知新聞』1980年3月23日、2面、 「岡崎を『面白い街』に タウン誌リバーシブル 喫茶店経営者らが創刊」。
- ^ a b 『リバーシブル』2005年8月号、51頁。
- ^ 『一番ディープな岡崎本 リバ!』2012年5月号、8-9頁。
- ^ 岡崎アート&ジャズ2012Facebook - オカザえもん記者発表会
- ^ 『RARE』2021年9月号、株式会社リバーシブル。
- ^ 『RARE』2022年1月号、和デザイン。
- ^ 「トップフォーラム21」2012年10月13日・オンデマンド放送FMおかざき
- ^ “『岡崎商工会議所会報』2015年4月号”. 岡崎商工会議所. p. 7. 2022年1月6日閲覧。
- ^ スポケン!放送内容 - 史上初!2年連続高校3冠 ~星城高校バレー部~名古屋テレビ【メ~テレ】
- ^ 『中日新聞』2014年3月28日付朝刊、西三河版、21面、「『シビコ』からアート発信」。
- ^ “岡崎で一貴&大祐がデモラン。多数のファン集める”. オートスポーツWeb. (2014年8月4日) 2014年8月22日閲覧。
- ^ “リバ! 2020年7月号” (PDF). 株式会社リバーシブル. 2021年5月18日閲覧。
- ^ “岡崎市議選(2020年10月18日)”. 中日新聞. (2020年10月20日) 2020年10月20日閲覧。
- ^ “私的に海外渡航の市議に愛知県岡崎市議会が辞職勧告”. NHK. (2022年2月22日) 2022年2月23日閲覧。
- ^ “政治倫理委員会の審査の経過について” (PDF). 岡崎市議会 (2022年2月22日). 2022年2月23日閲覧。
- ^ “政治倫理委員会の結果について” (PDF). 岡崎市議会 (2022年2月22日). 2022年2月23日閲覧。
- ^ 三塩菜摘オフィシャルサイト
- ^ “みんなで創るタウン誌リバ!創刊40周年記念誌発行プロジェクト”. CAMPFIRE. 2022年1月6日閲覧。
- ^ “岡崎フリーペーパー「RARE」にインタビュー記事を掲載いただきました!”. 高嶋舞の子育てとコンサルと。 (2021年12月25日). 2022年1月6日閲覧。
- ^ 竹内雅紀 (2013年10月2日). “りぶらに中小企業の相談拠点 岡崎市と商議所連携 販路拡大や経営支援”. 東海愛知新聞 2018年12月20日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1996年6月7日付朝刊、県内版、20面、「鈴木雅美市議 出馬の構え 岡崎市長選」。
- ^ 『中日新聞』1990年2月26日付朝刊、30面、「汚れた集票 緊急レポート 義理と人情のタテ社会 懲りない面々、また買収劇」。
- ^ 『岡崎市議会のあゆみ 100周年記念誌』 岡崎市議会、2017年3月、209頁。
- ^ a b “岡崎の選挙記録 - 岡崎市議会議員選挙” (PDF). 岡崎市ホームページ. 2021年12月12日閲覧。
- ^ “岡崎の選挙記録 - 岡崎市長選挙” (PDF). 岡崎市ホームページ. 2021年12月12日閲覧。
- ^ 『岡崎市議会のあゆみ 100周年記念誌』 岡崎市議会、2017年3月、213頁。
- ^ “岡崎市議会 平成11年9月 議会運営委員会 09月17日-01号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1999年8月14日付朝刊、25面、「岡崎市議“場外キック” 旅館で口論、議長大けが」。
- ^ “岡崎市議会 平成11年9月 定例会 09月30日-19号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成11年9月 定例会 09月07日-16号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1999年9月30日付朝刊、西三河版、20面、「岡崎市議暴行事件 またか、市民にやりきれなさ 民主市民ク 会派離脱認める 議長への暴行では先頭に立ち追求 オンブズマンも戸惑い」。
- ^ 『中日新聞』1999年10月9日付朝刊、県内版、22面、「議員の暴行事件で倫理委の結論出ず 岡崎市議会」。
関連項目
外部リンク
- 株式会社リバーシブル - ウェイバックマシン(2021年5月9日アーカイブ分)
- 一番ディープな岡崎本リバ! (@reversible_okazaki_since1980) - Instagram