マリアーノ・アンドゥハル
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名前 | ||||||
本名 | マリアーノ・ゴンサロ・アンドゥハル | |||||
ラテン文字 | Mariano Gonzalo Andújar | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
アルゼンチン イタリア | |||||
生年月日 | 1983年7月30日(40歳) | |||||
出身地 | ブエノスアイレス特別区 | |||||
身長 | 194cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SSCナポリ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 45 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2006 | ウラカン | 60 | (-79) | |||
2005-2006 | → パレルモ (loan) | 11 | (-10) | |||
2006-2009 | エストゥディアンテス | 105 | (-92) | |||
2009-2014 | カターニア | 122 | (-152) | |||
2012 | → エストゥディアンテス(loan) | 18 | (-19) | |||
2014- | ナポリ | |||||
2014 | → カターニア (loan) | |||||
2015- | →Template:Flbgicon エストゥディアンテス | |||||
代表歴2 | ||||||
2009- | アルゼンチン | 10 | (-11) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月19日現在。 2. 2013年8月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マリアーノ・アンドゥハル(Mariano Gonzalo Andújar、1983年7月30日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身、同国代表のサッカー選手。セリエA・SSCナポリ所属。ポジションはゴールキーパー。
経歴
クラブ
CAウラカンからデビューした。その2年後にクラブはプリメーラB・ナシオナル(2部)に降格してしまったが、アンドゥハルはクラブに残った。2005年、イタリアのUSチッタ・ディ・パレルモにレンタル移籍し、主にマッテオ・グアルダルベンやニコラ・サントーニの控えとして、リーグ戦11試合、UEFAカップ7試合、コッパ・イタリア3試合に出場したが、結局レギュラー確保には至らなかった。
2006年、ディエゴ・シメオネ監督が率いるエストゥディアンテスに移籍した。アペルトゥーラ2006では16試合で9失点に抑え、リーグ優勝を果たした。エストゥディアンテスでは3シーズンの間レギュラーとして108試合に出場した。2009年のコパ・リベルタドーレスでは優勝の立役者となった。同大会ではグループリーグ第4節から準決勝のナシオナル・モンテビデオ戦ファーストレグまで8試合連続で無失点に抑え、1977年にボカ・ジュニアーズのウーゴ・ガッティが樹立した767分連続無失点の記録を破る800分連続無失点の記録を達成した[1]。
2009年6月24日、アルバノ・ビザーリの後釜としてかつて所属したパレルモのライバルカルチョ・カターニアへ4年契約で移籍。4年ぶりにシチリア島に復帰することとなった[2]。カターニアでは2009-10シーズンから2011-12シーズン前半まで正守護神として90試合以上出場したが、クラブ最高経営責任者であるピエトロ・ロ・モナコとの衝突により、2012年1月19日に古巣エストゥディアンテスにレンタルで復帰していた。
ロ・モナコ氏がジェノアCFCへ転出したことを機に2012-13シーズンよりカターニアに復帰。再び正GKの座を取り戻し、クラブ史上最高勝点56を獲得して最高順位タイとなる8位でフィニッシュし、躍進に貢献した。ただ、2013年4月21日に行われた古巣パレルモとのシチリア・ダービーでは後半ロスタイムにヨシップ・イリチッチに同点ゴールを決められた際に、相手選手に暴力行為を行い、後に3試合の出場停止処分を受けるなど、メンタル面の弱さが目立った。
2014年1月28日、SSCナポリへ移籍、なお、ナポリにはホセ・マヌエル・レイナがいるため2013-2014シーズン終了まではレンタル移籍という形でカターニアに残留することとなった[3]。
代表
アルゼンチン代表では2009年3月13日に初招集を受けたものの、しばらく出場機会を得られないでいた。
6月6日の2010 FIFAワールドカップ南米予選コロンビア戦で代表デビューを果たす。しかし、9月5日のブラジル戦で3失点を喫し、さらにはセルヒオ・ロメロの台頭も重なって再び控えに降格した。2010年5月19日、本大会に出場するメンバー23人に選ばれた[4]。
所属クラブ
- CAウラカン 2001-2006
- → USチッタ・ディ・パレルモ 2005-2006 (loan)
- エストゥディアンテス 2006-2009
- カルチョ・カターニア 2009-2014
- SSCナポリ 2014-
タイトル
- エストゥディアンテス
- プリメーラ・ディビシオン アペルトゥーラ2006
- コパ・リベルタドーレス 2009
- SSCナポリ
- スーペルコッパ・イタリアーナ 2014
脚注
- ^ 「リベルタドーレス2009に輝いた4つの新星」 footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、8頁
- ^ msnスポーツ (2009年6月25日). “カターニア、アルゼンチン代表GKアンドゥーハルを獲得”. 2009年7月19日閲覧。
- ^ ナポリ、アンドゥハル獲得を正式発表Goal、2014年1月29日
- ^ アルゼンチン代表、W杯に臨む23人を発表Goal.com、2010年5月20日
外部リンク
- マリアーノ・アンドゥハル – FIFA主催大会成績