エストゥディアンテス

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エストゥディアンテス
原語表記 Estudiantes de La Plata
愛称 Los Pincharratas (ネズミに注射する奴ら)、"Pincha"(ちくりと刺す)
クラブカラー 赤と白
創設年 1905年
所属リーグ アルゼンチンプロサッカーリーグ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン ラ・プラタ
ホームスタジアム エスタディオ・シウダ・デ・ラ・プラタ
収容人数 53,000
代表者 アルゼンチンの旗 ルベン・フィリパス
監督 アルゼンチンの旗 マウリシオ・ペレグリーノ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

エストゥディアンテス西: Estudiantes de La Plata)は、アルゼンチンの中東部、ブエノスアイレス州の州都ラ・プラタを本拠地とするサッカークラブである。


歴史[編集]

1905年、ヒムナシア・ラ・プラタのフットボール愛好者が、クラブと決別することを決めた。理由はヒムナシア・ラ・プラタがフットボール場を閉鎖して、フットボール部門を運営することに消極的であったからである。 そして、1905年8月4日、彼らは新しいクラブを創設することにした。名称は"Club Atletico Estudiantes"(クラブ・アトレチコ・エストゥディアンテス)。設立時の首脳陣がみな大学生であったことから、エストゥディアンテス(学生)の名称がつけられた[1]。1965年にオスバルド・スベルディア監督が就任すると、スベルディア監督は当時としては革新的な戦術(オフサイドトラップの使用や戦術的ファールの遂行など)を用い、傑出した才能を持つ選手たちを率いて黄金期を作り上げた[2]。1967年にはアルゼンチンの5大クラブ以外で初めてリーグ優勝[1]。1968年のコパ・リベルタドーレスでは、準決勝でラシン・クラブを、決勝でSEパルメイラス(ブラジル)を破り、アルゼンチンのクラブとしてはインデペンディエンテラシン・クラブに次いで3クラブ目となる南米制覇を遂げた。フアン・ラモン・ベロンはパルメイラスとの決勝3試合(ファーストレグ、セカンドレグ、プレーオフ)すべてで得点し、得点ランキング3位の9得点を挙げた。1969年の同大会ではウニベルシダ・カトリカ(チリ)やナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)を破って2連覇を達成し、1970年大会ではリーベル・プレートやCAペニャロール(ウルグアイ)を破って3連覇を達成。1971年大会でも決勝に進出したが、ナシオナル・モンテビデオに敗れて準優勝に終わった。1968年のインターコンチネンタルカップではマンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)と対戦し、ボビー・チャールトンジョージ・ベストらが名を連ねたイングランドの名門に1勝1分で勝利した。1969年の同大会ではジャンニ・リベラなどを擁するACミラン(イタリア)と対戦したが、2試合合計2-4で敗れた。キーパーのアルベルト・ポレッティがリベラの頭にひじ打ちを食らわせて大会から永久追放されるなど、セカンドレグは大荒れの展開の試合となった[2]。1970年の同大会では、UEFAチャンピオンズカップでACミランなどを破って優勝したフェイエノールト(オランダ)と対戦したが、2試合合計2-3で敗れた。この時期のエストゥディアンテスにはJ・R・ベロンの他にカルロス・ビラルドなども在籍していた。

1970年に現役引退したビラルドは1971年に古巣の監督に就任し、計4度に渡ってエストゥディアンテスの指揮を執った。3期目となった1982年にはアレハンドロ・サベージャなどを擁して15年ぶりのリーグ優勝を果たし、1983年のコパ・リベルタドーレスでは4度目の南米タイトルに挑戦したが、準決勝リーグでグレミオFPR(ブラジル)に敗れ、3クラブ中2位に終わって敗退した。ビラルドがアルゼンチン代表の指揮を執った1986 FIFAワールドカップディエゴ・マラドーナのための大会と呼ばれるが、決勝の西ドイツ戦では、1982年のリーグ優勝時にエストゥディアンテスでキャプテンを務めていたホセ・ルイス・ブラウンが先制点を挙げた。1983年以降は20年以上も無冠の時代が続いた。

1994年にはクラブにとって2回目となるプリメーラB・ナシオナル(2部)降格を経験したが、若き日のマルティン・パレルモらがいたチームは翌年にプリメーラ・ディビシオン(1部)に復帰した[3]。1993年にはJ・R・ベロンの息子のフアン・セバスティアン・ベロンがデビューし、ヨーロッパの強豪クラブを渡り歩いた後に2006年にエストゥディアンテスに復帰した。ディエゴ・シメオネ監督が率いたアペルトゥーラ2006はボカ・ジュニアーズを追いかける展開だったが、優勝決定戦でボカを破って23年ぶりのリーグ優勝を果たした[3]。2008年のコパ・スダメリカーナではボタフォゴFR(ブラジル)やアルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)を破り、決勝でSCインテルナシオナル(ブラジル)に敗れたものの準優勝した。2009年には第50回目のコパ・リベルタドーレスに出場し、グループリーグを2位通過すると、準々決勝でデフェンソール・スポルティング(ウルグアイ)を、準決勝でナシオナル・モンテビデオを破って決勝に進出。決勝はグループリーグで首位を譲ったクルゼイロECとの対戦となった。ホームでのファーストレグはスコアレスドローに終わり、アウェーでのセカンドレグは先制点を許す苦しい展開だったが、ガストン・フェルナンデスマウロ・ボセッリの得点で逆転して39年ぶり4回目の優勝を果たし、親子二代での南米制覇となったJ・S・ベロンが大会最優秀選手に輝いた[1][4]。同年12月にはアラブ首長国連邦で開催されたFIFAクラブワールドカップに出場したが、FCバルセロナ(スペイン)に敗れた。

ニックネーム[編集]

エストゥディアンテスの愛称のLos Pincharratas(ロス・ピンチャラタス:ネズミに注射する奴ら)はPinchar(注射する)とRata(ネズミ)を合わせた造語である。これは医学部の学生が研究実験のためにラットに注射をしたりするが、その様子から来ている。エストゥディアンテスは学生という名前のチームなので、学生をイメージしてできた愛称である。しかし、実際にはPincharを短縮して、単に"Pincha"(ピンチャ)と呼ばれることの方が多い。

1960年代後半のクラブ黄金期にカルロス・ビラルドらが本当にピンで相手選手を刺していたからだという説もある[5]

ユニフォーム[編集]

エストゥディアンテスの設立メンバーは1stユニフォームのデザインを赤と白の縦縞にすることにした。これは設立当時、アルゼンチンで強豪クラブだったアラムナイACへの憧れからであったが、あまりにもアラムナイのユニフォームに似ているので、1908年に協会からデザインの変更を迫られた。そこで赤地に胸に太い横縞1本のデザインのユニフォームに変更したが、1913年にアラムナイが解散したので、元の赤と白の縦縞のユニフォームに戻した。そのデザインが現在まで続いている。

ライバル[編集]

エストゥディアンテスのライバル・チームは同じラ・プラタを本拠地とするヒムナシア・ラ・プラタである。このクラシコはクラシコ・プラテンセ又はクラシコ・デ・ラ・プラタと言われている。 オレ紙の2005年の統計によると、このクラシコはアルゼンチンで5番目に関心を持たれているクラシコである。

サポーター[編集]

エストゥディアンテスのサポーターとウルグアイのペニャロールのサポーターは仲が良い。きっかけは、エストディアンテスのサポーターのリーダーの1人、〝エル・バルバ”ゴンザレスがウルグアイ人で、彼がペニャロールのサポーターでもあったからである。彼が発端でこの2つのクラブの交流が始まり、この親交は1990年代から始まり、現在も続いている。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

1913年
1967メトロ、1982メトロ、1983ナシオナル、2006-07アペルトゥーラ、2010-11アペルトゥーラ

国際タイトル[編集]

1968年、1969年、1970年、2009年
1968年
1969年

近年の成績[編集]

シーズン ディビジョン 順位 試合数 得点 失点 勝ち点 備考
2002–03 アペルトゥーラ プリメーラ 19 19 4 3 12 21 36 15
クラウスーラ 7 19 7 7 5 24 18 28
2003–04 アペルトゥーラ プリメーラ 12 19 6 5 8 18 20 23
クラウスーラ 14 19 5 6 8 19 29 21
2004–05 アペルトゥーラ プリメーラ 4 19 7 9 3 22 14 30
クラウスーラ 4 19 8 7 4 28 23 31
2005–06 アペルトゥーラ プリメーラ 7 19 8 4 7 23 22 28
クラウスーラ 11 19 6 6 7 25 31 24
2006–07 アペルトゥーラ プリメーラ 1 19 14 2 3 35 12 44
クラウスーラ 3 19 10 7 2 28 17 37
2007–08 アペルトゥーラ プリメーラ 6 19 8 6 5 27 19 30
クラウスーラ 3 19 11 6 2 30 21 39
2008–09 アペルトゥーラ プリメーラ 7 19 8 4 7 24 25 28
クラウスーラ 6 19 8 5 6 22 18 29 コパ・リベルタドーレス 優勝
2009–10 アペルトゥーラ プリメーラ 8 19 9 4 6 28 19 31
クラウスーラ 2 19 12 4 3 33 14 40
2010–11 アペルトゥーラ プリメーラ 1 19 14 3 2 32 8 45
クラウスーラ 13 19 6 6 7 18 19 24
2011–12 アペルトゥーラ プリメーラ 14 19 6 5 8 24 24 23
クラウスーラ 9 19 7 6 6 23 24 27

現所属メンバー[編集]

2013年10月31日時点
No. Pos. 選手名
2 アルゼンチンの旗 DF レアンドロ・デサバト
3 アルゼンチンの旗 DF ホナタン・シルバ
4 ウルグアイの旗 MF マティアス・アギーレガライ
5 アルゼンチンの旗 MF ガストン・ヒル・ロメロ
6 アルゼンチンの旗 DF ロマン・マルティネス
7 アルゼンチンの旗 MF パトリシオ・ロドリゲス
8 アルゼンチンの旗 MF マリアーノ・ゴンサレス
9 アルゼンチンの旗 FW グイド・カリージョ
10 アルゼンチンの旗 FW ガストン・フェルナンデス
11 アルゼンチンの旗 MF フアン・セバスティアン・ベロン
12 アルゼンチンの旗 GK アグスティン・シルバ
13 アルゼンチンの旗 DF マティアス・プレセンタード
14 アルゼンチンの旗 MF イスラエル・ダモンテ
15 ウルグアイの旗 DF エルネスト・ゴニ
16 アルゼンチンの旗 DF ヘルマン・レ
17 アルゼンチンの旗 MF ホルヘ・ルーナ
No. Pos. 選手名
18 アルゼンチンの旗 MF レオナルド・ハラ
20 アルゼンチンの旗 MF ホアキン・コレア
21 アルゼンチンの旗 DF ホナタン・シュンケ
22 アルゼンチンの旗 FW カルロス・アウスキ
23 アルゼンチンの旗 DF サンティアゴ・ベルヒーニ
24 アルゼンチンの旗 DF パブロ・ロサレス
25 アルゼンチンの旗 FW アルバロ・クルセネル
26 アルゼンチンの旗 MF フランコ・ピエルジャコミ
28 アルゼンチンの旗 GK ヘロニモ・ルッジ
29 アルゼンチンの旗 FW フランコ・ハラ
30 アルゼンチンの旗 DF エマヌエル・タラッビーニ
36 アルゼンチンの旗 MF ディエゴ・メンドーサ
37 アルゼンチンの旗 DF ルーカス・ディアルテ
-- コロンビアの旗 MF ホセ・ダビド・レウド
-- アルゼンチンの旗 MF ハビエル・セケイラ
監督

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c スポーツナビ (2009年12月7日). “南米王者エストゥディアンテス、3度目の“奇跡”を”. 2012年9月28日閲覧。
  2. ^ a b スポーツナビ (2009年7月21日). “エストゥディアンテス、神話の復活”. 2012年9月28日閲覧。
  3. ^ a b スポーツナビ (2009年7月22日). “ベロンが語るクラブ愛、そしてアルゼンチン代表”. 2012年9月28日閲覧。
  4. ^ msn産経ニュース (2009年7月16日). “エストゥディアンテスが南米クラブ王者に”. 2009年7月16日閲覧。
  5. ^ footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号

外部リンク[編集]