トラック野郎・一番星北へ帰る

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トラック野郎・一番星北へ帰る
監督 鈴木則文
脚本 鈴木則文
中島信昭
掛札昌裕
出演者 菅原文太
愛川欽也
春川ますみ
せんだみつお
大谷直子
黒沢年男
田中邦衛
舟倉たまき
新沼謙治
谷村昌彦
嵐寛寿郎
音楽 木下忠司
撮影 中島徹
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗1978年12月23日
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 トラック野郎・突撃一番星
次作 トラック野郎・熱風5000キロ
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トラック野郎・一番星北へ帰る』(トラックやろう・いちばんぼしきたへかえる)は、1978年12月23日公開の日本映画菅原文太主演、東映製作・配給による「トラック野郎シリーズ」第8弾。

10億6000万円の配給収入を記録、1979年(昭和54年)の邦画配給収入ランキングの第5位となった[1]。マドンナが子連れの未亡人であったり、桃次郎の過去が描かれたり、主題歌や星(一目ぼれの演出)がない、など、かなり特色のある作品である。なお、松下家の子供たちは、本作から総入れ替えとなっている(最終作まで)。

スタッフ

出演

星桃次郎、松下金造、松下君江、桶川玉三郎についてはトラック野郎#レギュラー、準レギュラーも参照。

備考

企画
社内に蔓延するマンネリ感を止めるため、鈴木は思い切って沖縄を舞台にして『波頭を越える一番星』というタイトルで、米軍基地の問題や戦争混血児など、沖縄の悲しみを含んだ構成を作り会社に提出したが、岡田茂東映社長が「南はあかん。阿久悠もいうとった。歌の世界でも南はせいぜいヒットするのは長崎だけや。映画も一緒。北へ行け。沖縄はやめとけ」という指令によって東北地方が舞台に変更された[5][6]。「早くタイトルだけでも作ってくれ」と天尾完次プロデューサーの催促の電話にカチンときた鈴木に『一番星北へ帰る』というタイトルがとっさに浮かんだ[5]
準備稿
『トラック野郎 雪の下北・はぐれ鳥』というタイトルの準備稿(脚本・澤井信一郎)の存在が確認されている[7]
一部の演出(主題歌、星)について
東映からの要望で本作では使用していない。これに対して鈴木は最後まで反対したが、多方面からのしがらみもあり、「ファンの要望があれば次回作から復活させる」として条件を飲んだ。なお、これは岡田社長の意見ではないとのこと[8]
テレビ放送
2015年4月20日、同年同月15日に逝去された愛川欽也の追悼企画として、本作がテレビ東京の『午後のロードショー』で放送された。『午後のロードショー』では、前年の2014年12月4日に、同年11月28日に逝去された菅原文太の追悼企画として、『トラック野郎・天下御免』を放送して以来であった。

同時上映

水戸黄門

参考文献

  • 鈴木則文、宮崎靖男、小川晋『映画「トラック野郎」大全集:日本最後のアナーキー・プログラム・ピクチャーの伝説』洋泉社別冊映画秘宝 洋泉社MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-86248-468-0 
  • 鈴木則文『新トラック野郎風雲録』筑摩書房、2014年。ISBN 978-4-480-43132-5 
  • 杉作J太郎、植地毅『トラック野郎 浪漫アルバム』徳間書店、2014年。ISBN 978-4198637927 

脚注

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』キネマ旬報社、2003年、238-239頁。ISBN 4-87376-595-1 
  2. ^ 『トラック野郎 浪漫アルバム』 82頁。
  3. ^ 『映画「トラック野郎」大全集:日本最後のアナーキー・プログラム・ピクチャーの伝説』 105頁のキャスト一覧では「孫八」だが、106頁の「あらすじ」では「孫六」となっている。
  4. ^ 『トラック野郎 浪漫アルバム』 82頁。
  5. ^ a b #新風雲録、78-80頁
  6. ^ #大全集108頁
  7. ^ 文太さん、映画「トラック野郎」幻の台本は「最高傑作」だった - スポーツ報知、2014年12月4日
  8. ^ 大全集、p.108-109