1949年の読売ジャイアンツ

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1949年の読売ジャイアンツ
成績
レギュラーシーズン優勝
85勝48敗1分 勝率.639
本拠地
都市 東京都文京区
後楽園球場
球団組織
オーナー 正力松太郎
経営母体 読売新聞社
監督 三原脩
« 1948
1950 »

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1949年の読売ジャイアンツ(1949ねんのよみうりジャイアンツ)は、職業野球公式戦再開4年目のシーズンであり、1リーグ制最後のシーズンである。シーズン開幕前、南海のエース・別所と南海の契約交渉が難航し、交渉決裂。別所・南海ともに日本野球連盟に訴え出たところ、別所と巨人の事前交渉が発覚し、いわゆる「別所引き抜き事件」と呼ばれる事件に発展した。最終的に、別所は巨人に入団したが、開幕から2ヶ月間公式戦の出場停止処分が課されることになった。チームは開幕直後から独走し、2位以下を寄せ付けず、戦後職業野球再開後初の優勝を飾った。シーズン終了後、リーグ拡張を巡る紛争(詳細はプロ野球再編問題 (1949年))を経て、2リーグ制に移行することが決定し、巨人はセントラル・リーグに属することになった。

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 [遊] 白石敏男
2 [二] 千葉茂
3 [中] 青田昇
4 [一] 川上哲治
5 [左] 平山菊二
6 [右] 中島治康
7 [三] 山川喜作
8 [捕] 藤原鉄之助
9 [投] 多田文久三

4月

  • 23戦17勝6敗 勝率.739(2位南海に3.0差の首位)

5月

  • 20戦12勝8敗 勝率.600(2位南海に4.5差の首位)

6月

  • 18戦9勝9敗 勝率.500(2位南海に4.0差の首位)

7月

  • 21戦16勝5敗 勝率.762(2位阪神に9.0差の首位)

8月

  • 17戦10勝6敗1分 勝率.625(2位阪神に9.5差の首位)

9月

  • 18戦12勝6敗 勝率.667(2位大映に14.5差の首位)

10月・11月

  • 17戦9勝8敗 勝率.529(2位阪急に16.0差の首位)

結果

レギュラーシーズン

順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 85 48 1 .639 -
2位 阪急ブレーブス 69 64 3 .519 16.0
3位 大映スターズ 67 65 2 .508 17.5
4位 南海ホークス 67 67 1 .500 18.5
5位 中日ドラゴンズ 66 68 3 .493 19.5
6位 大阪タイガース 65 69 3 .485 20.5
7位 東急フライヤーズ 64 73 1 .467 23.0
8位 大陽ロビンス 52 81 0 .391 33.0

個人成績

主な投手成績

  • 色付き規定投球回(180イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
選手















































W
H
I
P
 
/[[]]|

主な打撃成績

  • 色付き規定打席(打数300かつ試合数100)以上の選手
  • 太字はリーグ最高
選手











































O
P
S
 
/[[]]|

できごと

選手・スタッフ

[1]

  • 登録名変更
  • 呉元敞→萩原寛
  • 守備位置登録変更
  • 内藤博文 外野手→内野手

表彰選手

藤本英雄(投手、初受賞)
川上哲治(一塁手、3年連続4度目)
千葉茂(二塁手、3年連続3度目)

出典

  1. ^ 読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 2015年10月5日閲覧。