首長族

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首長族 / カヤン族
メーホンソーンのカヤン女性.jpg
真鍮リングを纏った女性
メーホンソーン県内フアイスアタオ村にて
総人口

n. d.

居住地域
ミャンマーの旗 ミャンマー シャン州
カヤー州カレンニー州
タイ王国の旗 タイ メーホンソーン県
チェンマイ県
チェンラーイ県
言語
カヤン語(パダウン語)、カレン語、ビルマ語タイ語
宗教
精霊信仰上座仏教キリスト教
関連する民族

カレンニー族(カヤー族)、カヨー族

首長族(くびながぞく)とは、村落内の選ばれた女性が首に金色の真鍮リングを纏う民族のこと。実際には首は伸びておらず、真鍮リングの上圧が顎を引き上げ、下圧が鎖骨の位置を押し下げていることにより首を長く見せている。男性は真鍮リングを首に着用しない。自称する民族名称は カヤン

民族概要[編集]

首長族とは、亜熱帯の大陸部東南アジア山間部に居住し、半農半狩猟を生業にする山地民である。とりわけ首を長く見せる風習を持つことで世界に知られる。ミャンマー連邦内ではカヤー州(旧カレンニー州)とシャン州に暮らし、タイ王国では、メーホンソーン県内三箇所と、北部(チェンマイ県チェンラーイ県)の観光化された各民族村に暮らす。生活様式一般がカレン系諸部族と酷似していることから、首長族はしばしばカレンニー(赤カレン)一支族に見なされることがあるが、実態は未解明のままである。民族の起源はチベットと言われ、その後に中国雲南地域を経て現在のミャンマーに移住したと推測されるが、文字を持たない文化であったため、確証を得る証拠(一次資料)は残っておらず、口頭伝承フォークソングがルーツ解明の鍵になるものと思われる。

人口[編集]

ミャンマーとタイを合算した総人口は30,000人とも40,000人とも言われるが、民族範疇がはっきりしないことに加え、ミャンマー側の統計が怪しいことから実数は判明していない。

言語[編集]

彼らの言語はチベット・ビルマ語族に属する。民族内の会話ではカヤン語を使い、文字はビルマ文字を使用する。現在に至り、ミャンマー域内ではカレン系他部族に対してカレンニー語を使い、ビルマ族系グループとの折衝時はビルマ語を使用する。タイ側と通商を行う者や、タイ領に避難したグループの中には流暢なタイ語話者が数多く存在し、もちろんタイ文字も理解する。

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衣装束はカレン系と酷似しており、上半身に袖なし寸胴型上衣を羽織り、下半身には黒い筒型スカートを腰に纏う。女性は首以外にも、両膝下に真鍮コイルを巻き、両腕には銀色アルニウム製の輪を4個から10個ほどはめている。前髪は首輪を際立たせるため短髪が多く、カラフルな色彩の鉢巻と銀の簪で後髪をまとめている女性が多い。 一方、同集団の男性も装束は他のカレン部族に酷似しているが、着用する機会が祭事に限られるため、一般的なビルマ人、タイ人と変わらない現代的な服装である。

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主食は豚肉鶏肉(祭祀に使われる鶏はとりわけ神聖なる物と考える)を好む一方、土竜穿山甲も好物である。調理法は主に「焼く」か「煮る」のどちらかで、カヤン料理に「炒める」「揚げる」ものは基本的にない。料理には野菜、ハーブ、香辛料を多用し、辛くて塩気の強い料理を好む。

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カレン系他部族同様、住居は葺屋根高床式で二階建てが一般的である。以前はチーク材が用いられていたが、現在は経済的な理由から竹築が主流である。上階に昇る階段は陽射し側とする。竈と厠は屋外に据え付けられる。家屋の敷地内には土地神を祭る祠を建て、穀物や香辛料を育てる家庭菜園もある。

宗教[編集]

彼らの大多数が信奉するのは自然精霊(チュー・カーン・ブェ・チャ)を崇めたアニミズム(精霊信仰)である。一年に一度、四月の上旬に精霊の最高神を祀る「カ・クワーン祭(柱祭)」が執り行われる。様々な祭祀の時、シャーマンが鶏がらを使用して吉兆を占うのが特徴である。 アニミズムを信仰するが、ミャンマー側では反ビルマ反仏教の立場から一部キリスト教徒化しており、タイ側ではタイ族との同化を求めた上座仏教徒化が顕著である。


民族呼称[編集]

自称[編集]

しばしばカレンニー(赤カレン)支族に見なされる首長族であるが、その自称が「人・民」を表す「カヤン (Kayan)」であることはあまり知られていない。「カヤン」グループ内にはさらに派生した下位の部族社会(カカオ、カンガン、ラタ、ラウィー他)があり、その中でも真鍮リングを纏う部族はカヤンのうち「ラウィー」であるという[1]

他称(英語)[編集]

首長族(Long-neck People)という呼称は民族名ではなく、観光誘致において便宜上使用される名称である。かつて英領植民地の行政官であったJ. G. スコット卿は、カヤン女性を評して「恐るべき装甲」と評し、またフランスの探検家V. D. ゴリッシュは「キリン女(Giraffe Women)」という蔑称を使って欧州に紹介している。イギリス亡命したカヤン男性のパスカル・クー・トゥエは、自らの部族が「Brass Coilling Tribe(真鍮巻部族)」という英称で呼ばれるべきだと主張している。

他称(ミャンマー・タイ)[編集]

シャン族(タイヤイ族)は彼らを「パダウン (Padawn)」と呼ぶが、この呼称はビルマ語訛であり、タイ側に渡ると「パドゥン (Padaung)」と発音が変化して呼ばれる。 「首長族=パドゥン族」という名称が広く一般化したのには、移動先のタイ・メーホンソーン県の土地柄が関係する。メーホンソーン県内に居住する人々の80%が、ミャンマーのシャン州に連続するタイヤイ族(シャン族)であるため、現地ガイドの説明やガイドブックを通じ、タイヤイ称が観光客に広く知れ渡ったのである。マヒドン大学のS. ブルッサパットとS. カムムアングによれば、「パドゥン 」という語はシャン語(タイヤイ語)に由来し、「Paay(目印・看板)」と「Thaung(金)」が連接して複合名詞化する段で内連声を起こし「Padaung(Padawn)」となった。つまり、「パドゥン 」とは「金印(Golden Sign)」という意味を持ち、一部の学者[※例えば須藤][2]が言う「パドゥンとは首長族の意味」とする論拠なき解釈は全くの誤りである。

現在のタイ語では、カヤンが赤カレン族の一支族に数えられるため、「首長カレン」の意味を持つ「カリアン・コー・ヤーオ(Kariang Kho Yaaw)」が一般的であるが、本人たちのカレン・カレンニーへの帰属意識は希薄である。カレンニー(カヤー)語では「レークー (Lekeu)」という他称で呼ばれることがある。

東南アジア島嶼部のボルネオ島にも「カヤン」名を冠する集団が存在するが、出自も風習も異なる別部族である。タイ側でカヤンと共に居住する近似部族の「カヨー族(Kayoo)」は"耳長族(Big Ear)"と呼ばれる。

首長伝説[編集]

首長族と呼ばれるものの、正確には首が伸びているのではなく、幼少時から徐々に真鍮コイルを増やしていく過程での高さが圧力によって引き上げられ、真鍮の重みで鎖骨と肋骨が沈下し、肩の位置が下がることで極端な撫で肩となり、首部全体に真鍮リングを纏うことにより首が伸びているように錯覚して見えるのである。

カヤンが首を長く見せる理由には以下の通り口頭伝承が諸説あるが、どの説も信憑性を欠いており、現代の認識ともズレがある。真実は未解明だが、一般に語られる「満月の日誕生説」や「水曜日誕生説」はすでに否定されている。

口頭伝承[編集]

  • 伝説1(防具説)…ある日、精霊の怒りに触れたカヤンの村にが送り込まれた。虎が女性ばかり喉を噛み千切ったため、女性のに保護する輪をはめた。

สมทรง บุรุษพัฒน์ และ สรินยา คำเมือง 1999,p.13-14,Mahidol University.

  • 伝説2(儀礼説)…ある日、カヤンの村に虎の群れが襲いかかり、多くの村人が食べられてしまった。シャーマンは女性に首輪をはめた儀礼を行い、精霊に静まるようお願いした。

สมทรง บุรุษพัฒน์ และ สรินยา คำเมือง 1999,p.13-14,Mahidol University.

  • 抗争説…かつてのカヤンは多くの金を所有していたが、そのことにより諍いが生じ、内部抗争が起こった。金を首にはめることで争いを終結し、以後二度と争いを起こさないという戒めのために着用し続けている。

สมทรง บุรุษพัฒน์ และ สรินยา คำเมือง 1999,p.13-14,Mahidol University.

  • 敗戦説…かつてカヤンは質実剛健な部族であった。しかしある日ビルマ族に破れ、土地を追われた。新しい土地を見つけて定住を決めた時、共に敗走した齢わずか9歳の王女が、黄金に光るバングラデシュ産の“パドゥン樹”を首に巻きつけながら皆の前で、「この屈辱を忘れてはならない」と強く演説を行った。以後、いつの日にかカヤン族の権威と失地回復を果たすべく、女性は9歳になるとこの王女を見習ってパドゥン樹を模した金色の“真鍮”を首に纏うようになったという。

สมทรง บุรุษพัฒน์ และ สรินยา คำเมือง 1999,p.13-14,Mahidol University.

現代の認識[編集]

  • 伝統美のため…他部族が行う身体改造(例えば耳穴の拡張など)や刺青は醜いと考えている。
  • 異型性のため…すなわち異様な格好な為、部族外の者による姦淫や略奪を防ぎ、他部族男性との恋愛によるグループ離反を諦めさせるため。
  • 観光収入のため…タイ側ではこの意見が最も多い。毎月、観光業者から「首長手当」が支払われる。

「首を長く見せる行為」とは、言うなれば一種の「身体改造」であるが、現代の彼ら自身は伝統と認識し、とりわけタイ側のカヤンは観光収入のための文化と理解し、その理由に言及してもあまり意味がない。一方、ミャンマー側では、キリスト教の洗礼を受けた首長族の女性の多くは真鍮の首輪を外してしまったと言われているが、詳細は不明である。

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首長族観光[編集]

タイ領内の特定地域で難民として庇護される半面、観光立国タイの観光産業で活躍する首長族カヤン。とりたてて観光の目玉のなかったタイ北部のメーホンソーン県は、カヤンが難民化したことにより観光開発の一部に「首長族観光」を組み込んだ。強力なインパクト(首長風習)を有するカヤンの存在は、辺境地域にとり莫大な観光収入をもたらしたが、人道主義の識者らは、この「首長族観光」を「人間動物園」と称し怒りを露にした批判を行っている。一方で、「首長族観光」の背後には、その後も観光資源としてカヤンを誘致し続ける観光ブローカー(カレンニーやタイヤイ)の影がちらつく。

カヤンの村落を訪れ、彼らの暮らしぶりを観光する「首長族観光」には、メーホンソーン市内や隣郡のパーイから出発する観光業者主催のツアーと、レンタル・バイク等を使って個人で村落を訪れる2種類の方法がある。ツアーの場合、メーホンソーン県内の滝や洞窟の観光も含まれ、雨期は比較的安価である。個人の場合、交通費以外に200から250バーツくらいの入村料を支払う。コスト・パフォーマンスを考えるなら個人、安全性を求めるならツアー利用であろう。被写体としてカヤンを撮影する際に「マナーとしてチップを払うべき」と説明するガイドがいるが、この観光客の行為が上述した「人間動物園」批判に繋がっているため、その代わりに家屋前で販売するカヤンの手芸品や人形などの土産品を購入してあげるとよい。訪れる村落にもよるが、土産物を購入する以外に学校や教会、またカヨーなど他部族の暮らしも併せて見学することができる。タイ・メーホンソーン県において「首長族観光」できる村落は以下の3箇所である(※2010年現在1バーツ=2.8円換算、料金は季節や経済状況で異なることがある)。

メーホンソーン県[編集]

ナイソーイ新村(メーホンソーン市パーンムー地区)… 中心部から北に向かって車かバイクで1時間ほどかかる峻険な高台にある。途中、増水すると河になる堰を渡り、村落手前3kmは崖上の未舗装道になるなどアドベンチャー的な道程である。難民キャンプに隣接した立地上、入村時には国境警備隊デスクでの署名が必要であったが、最近では適当になりつつある。中等教育の学校が存在し、他の村からの中学生や高校生が集う。入村料250バーツ。バイクで転倒する個人観光客が続出しているため、現地ツアーを利用するのが賢明。
フアイスアタオ村(メーホンソーン市パーポーン地区)… 中心部から最も至近で、自動車かバイクで30分程度の距離にある。別名「首長カレン集落観光センター」。すべて舗装道だが雨季には道中10箇所の小川を渡らければならないため、車利用のツアー客がほとんどだが、乾期であればバイクでも問題はない。村落は完全に観光地化され、土産物が豊富にある。高齢者と小学生以下の子供が主流だが、下掲のフアイプーケン村への移住が推奨されているため、フアイスアタオ村の人口は減少する傾向にある。入村料250バーツ。観光客には無難な場所。
フアイプーケン村(メーホンソーン市パーポーン地区)… バイクか車で中心部を南下し、パーイ河の船着場でロングテールボートに乗り換える。総所要時間は約1時間程度。首長族観光村の中では、人口が一番多く広大だが、最も不都合かつ危険な地域。かつての居住区域であったナムピアンディン村がミャンマー軍の急襲で燃失する事態に陥り、多くの住民はこのフアイプーケンに避難した。秘境の中の難民村落の暮らしやNGO活動を観察でき、メーホンソーン名物のブアトーン(メキシカンひまわり)の丘へも行ける。ボート代(フアイプーケン村見学だけなら500バーツ、ナムピアンディン国境見学を兼ねると700バーツ)に加え、入村料250バーツ。


未開体験を求め首長族村落への宿泊を希望する観光客がメーホンソーンでは後を絶たないため、裏ルートを通じて観光村落内のカヤン家屋に宿泊手配する観光ブローカーが市内に存在する。観光村落内の掲示板にも情報が掲示され、同村での宿泊(バンガローへの投宿、キャンプ設営等)を観光客に促している。しかし、メーホンソーン内の首長族村落は難民キャンプではないものの「準難民庇護地域」であり、厳密に言えば同村への宿泊は違法行為として処罰の対象にも成り得る。宿泊費用の利益にしても、カヤンが全額得られるわけではなく、観光ブローカーが搾取していることは言わずもがなである。倫理上の観点から、こうした軽薄かつ無謀な行為は厳に慎むべきである。但し、メーホンソーン県外の観光村であればこの限りではない。


タイ北部では、メーホンソーン県外にも「首長族観光」が可能な村落が多数存在しており、さらに建設中の民族村もある。ミャンマー側(特にカヤー州)のカヤン居住域を観光することは不可能だが、タイ・メーサイから陸路で国境を越えたタチレークにも、タイ式観光を模倣した民族村が開設されており、またヤンゴンからバス、列車、飛行機のいずれかでインレー湖を訪れれば、水上家屋の土産店で機織りするカヤンに会える。

チェンマイ県[編集]

農業生態山地民村またはトーンルアン村(メーリム郡メーレム地区)
ヤパー村(メーアーイ郡タートン地区)
民族協働村またはフアイサーン村(メーアーイ郡メーサー地区)
フアイチョムプー村(メーテーン郡メーテーン地区)

チェンラーイ県[編集]

民族学習センターまたはターカオプルアック村(チェンラーイ市ナーンレー地区パーオー集落)

ミャンマー連邦[編集]

首長カレン村(シャン州タチレーク郡)
インレー湖(シャン州ニャウンシュエ郡)


首長族問題[編集]

首長族カヤンを巡る問題は、専らタイ側で起きていると言える。

対ミャンマー[編集]

ミャンマー軍が不明瞭な国境地帯にあるカヤン村落を散発的に強襲するため、タイ国境警備隊と衝突する事件が発生しており、両側で死亡者が確認されている。メーホンソーン県に隣接するミャンマーの複数州では民族間衝突が激化しており、政治的民族グループ(KNUKNPP)の軍事部門兵士とその家族がタイ領内の難民キャンプへ逃げ込むことへの報復処置、あるいは同グループの食料や武器を調達するため従事する民族村に対する嫌がらせと見られている。越境カヤンの居留地としてタイ当局が当初定めたナムピアンディンが放火されたため、現在はフアイプーケンに移設されている。現在、旧居留地には国境警備隊事務所がある。

難民か移住労働者か[編集]

2008年1月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)はタイの首長族観光が「人間動物園」だとし、ボイコットを呼びかけているとBBCは報道した。[3]難民に認定されているカヤン500名のうち20名は、受け入れを表明したニュージーランド及びフィンランドへの第三国定住を希望申請していた。しかし、タイ政府が「彼らは難民に該当せず」として彼らの出国を拒否したのを受けて、BBCはその現状を批判的に伝えている。また人権団体やNGOなども、チェンマイやチェンラーイに建設された民族村で「カヤンが人権を無視され、違法に軟禁されている」と弾劾訴訟を起こしたが、タイの裁判所は「正規の労働許可証を有しているため違法性が認められない」として2003年に無罪判決を下している。人道主義を謳うUNHCRやNGOと観光産業を重視するタイ当局の間には「難民か移住労働者か」という確執があることは確かであるが、難民条約に加盟しないタイへの強制力はない。現在、争議の解決に向けてアメリカが乗り出しており、難民キャンプでの仮滞在を条件にカヤンの一部には第三国定住が認められつつある。

観光収入の減少[編集]

1990年代後半から、カヤンを中心に据えた民族村が交通至便なチェンマイやチェンラーイに続々と建設されたことにより、辺境のメーホンソーンまで赴かなくとも「首長族観光」が可能になった。そのため、メーホンソーンにおける観光客と観光収入が急激に落ち込み、本来約束された月額1500バーツの「首長手当て」の支払いが滞る事態に陥っている。2008年7月、メーホンソーンの民族村から12名のカヤン(主に真鍮リングをまとった女性とその子供)が脱走し行方不明になった。チェンマイに新設された民族村が逃亡の受け皿になるとして、警察の捜査対象となったのだが、その姿は同村落内の何処にも認められず、後に全員がメーホンソーンに戻って来た。逃亡理由が「より良い収入を求めて」ということであったことからも、タイに暮らすカヤンが不安定な下層社会で困窮している現状がわかる。


首長族に関する研究[編集]

首長族カヤンは、興味深い風習を持つ民族としてしばしばメディアに取り上げられているが、現地での調査上の制限や限界も手伝い、その実態解明には至っていないのが現状である。また、観光客による様々な誤解や偏見によって彼らの文化が語られることも多い(※例えば、真鍮の首輪を外すと頭部の重みでが折れて死んでしまうなど)。

医師であったR. ローフとJ. カシシアンのそれぞれは、ビルマ(現ミャンマー)側の資料(X線撮影)を用い、カヤンの首部の非伸長を生態学的に立証している。タイ側では画家であったJ. ロークゲムが、「首は伸びていない」とする仮説の絵画(うち数点は民族村各所でコピーを購入することが出来る)を描き、真実の生態を説明しようと試みたことがある。いずれにせよ、カヤンに関する研究は生態学を除くと蓄積されているとは言いがたく、人類学的な研究では山地民の一部としての断片的記述に留まる傾向にあり、言語すら解明されていない。社会学者に至ってはガイドブックや噂の域を出ないものが見受けられる。

民族誌に近いモノグラフとしては、ブルッサパットとカムムアングによる共著(但しタイ語)があるが、細述に乏しいのに加え、出典の不明瞭さが難としてある。この論文の中でブルッサパットとカムムアングは、ミャンマー域内には他にも“首長”の風習を持つ集団がいることに言及している。また、NGOの白人宣教師たちは難民化したカヤンのためにタイ領の村落内に教会を建設しているが、カヤンの中に仏教徒が数多く存在している事実を知りながら仏教寺院を建設しないことに、二人は異議を唱えている。

日本における研究では、2008年一橋大学で催された第10回日本タイ学会[4]においてカヤンに関する報告がされている。


参考文献[編集]

  • สมทรง บุรุษพัฒน์ และ สรินยา คำเมือง (2542) "สารานุกรมกลุ่มชาติพันธุ์ กะเหรี่ยงกะยัน" มหาวิทยาลัยมหิดล, นครปฐม.
  • สำนักงานวัฒนธรรมแม่ฮ่องสอน(2549) "ประวัติศาสตร์วัฒนธรรมจังหวัด" กระทรวงวัฒนธรรมแห่งประเทศไทย, แม่ฮ่องสอน.
  • Golish, V. D. (1958) "Au Pays des Femmes Giraffes: expeditionss 1955 et 1957 en Birmanie" Arthaud, Palis.
  • Keshishian, J. A. (1979) "Anatomy of a Burmese Beauty Secret" National Geographic 155.6: pp798-801, Washington.
  • Pascal Khoo Thwe (2002) "From the Land of Green Ghosts" HarperCollins, New York.
  • Roaf, R. (1961) “Giraffe-Necked Woman.” The Journal of Bone and Joint Surgery, Vol.43B (1), pp114-115, Liverpool.
  • Van Roekeghem, J. (n. d.) "The Secret of the Giraffe Woman, Finally Revealed" Appear the back of a drawing.

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脚注[編集]

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  1. ^ 英版wikipedia"Kayan People". http://en.wikipedia.org/wiki/Kayan_Lahwi 
  2. ^ 須藤『現代の観光における「まなざし」の非対称性:タイの山岳民族「首長族(カヤン族)」の観光化を巡って』2007,p35. http://www.kitakyu-u.ac.jp/iurps/publication/01_bulletin/2007/01_3.pdf#search 
  3. ^ A. Harding "Burmese women in Thai 'human zoo'" . http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7215182.stm 
  4. ^ 齊藤『擬制的難民のエスノスケープ:北部タイにおける首長族カヤンの事例を中心に』. http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/thai-studies/program.html 

関連項目[編集]