添田豪

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添田豪
Go Soeda2008.jpg
添田豪
基本情報
ラテン文字名 Go Soeda
国籍 日本の旗 日本
出身地 同・神奈川県藤沢市
生年月日 1984年9月5日(27歳)
身長 178cm
体重 67kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2003年
4大大会最高成績・シングルス
全豪 1回戦(2007)
全仏 1回戦(2011)
全英 1回戦(2010)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 81位(2012/2/13現在)
ダブルス 291位
獲得メダル
男子 テニス
アジア競技大会
2006 ドーハ シングルス
2006 ドーハ 団体

添田 豪そえだ ごう, 1984年9月5日 - )は、神奈川県藤沢市出身の男子プロテニス選手。空旅ドットコム所属。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPランキング自己最高位はシングルス81位、ダブルス291位。

目次

[編集] ジュニア時代

4歳から荏原SSCテニスを始め、以降同クラブに所属し本格的にテニスを学ぶ。ジュニア時代には藤沢市立大庭中学校在学中の1999年に全国中学生テニス選手権大会シングルスで優勝[1]藤沢翔陵高等学校在学中の2001年3月には高校選抜で出場試合全てに勝利しチームを準優勝に導くと[2]、4月のトヨタジュニアで優勝し[3]、8月の高校総体でも単複優勝[4][5]。11月には全日本テニス選手権シングルスに初出場。2回戦で第13シードの宮尾祥慈を6-4,0-6,7-5のフルセットで下す活躍で本村剛一との3回戦まで進出した[6]。2002年には劉泰瑋(台湾)と組んで出場した2002年ウィンブルドンの男子ジュニアダブルス部門でベスト8進出の成績を収めると、10月の世界スーパージュニアテニス選手権大会では男子シングルスで1994年大会の鈴木貴男以来8年ぶりの同部門日本人決勝進出を果たし準優勝[7]。11月には全日本テニス選手権に2度目の出場。この年はシングルスとダブルスの2部門に出場し、シングルスでは第11シードの茶園鉄也との4回戦まで[8]岩見亮と組んだダブルスでは2回戦まで進出している[9]。これらの活躍により高校時代には全日本男子18歳以下年間ランキングで1位を記録するなど[10]既に日本トップジュニアの一人として知られていた。

[編集] プロ転向後

[編集] 2003年-2005年

藤沢翔陵高等学校を卒業後の2003年4月にプロ入りしミキプルーンに所属。2004年は11月に第7シードで出場した全日本テニス選手権シングルスで寺地貴弘との準決勝まで進出[11]。一方、岩見亮と組んで第4シードで出場したダブルスでは準優勝の成績を収めた[12]。12月からのテニス日本リーグでは出場全試合で勝利し[13][14][15]大会MVPを受賞。2005年からはサーキット大会でも結果を残すようになり、フューチャーズ4大会で2優勝2準優勝の記録を残すと、7月にはデビスカップアジア/オセアニアゾーン・グループ Iプレーオフ2回戦対タイ代表戦でデビスカップ日本代表に初選出。消化試合となった第5試合のシングルスで起用されソンチャット・ラティワタナと対戦。これを6-3,6-3のストレートで下し代表デビュー戦を勝利で飾った[16]。9月には予選を勝ち上がって出場したベトナム・オープン男子シングルスでツアー本戦初出場。1回戦で当時世界ランク10位、大会第一シードのマリアノ・プエルタ(アルゼンチン)と対戦。自身初のトップ10選手との対戦でフルセットに持ち込む健闘を見せるも4-6,7-6(5),4-6のスコアで惜敗した[17][18]。第2シードで出場した11月の全日本テニス選手権シングルスでは自身初の決勝進出を果たす。決勝では岩渕聡と対戦し2-6,6-1,6-7(6)のフルセットで惜敗。[19]一方岩見と組んで第3シードで出場したダブルスでも決勝に進出したが、決勝戦では岩渕聡&松井俊英組に4-6,6-3,3-6のフルセットで敗れ単複準優勝となった[20]。これらの活躍によりシングルスランクも年初の500位から年末には302位まで上昇し、全日本年間ランキングでも前年の9位から2位に上昇した[10]

[編集] 2006年

2006年は6月のコメリカバンク・チャレンジャーシングルスで初めてチャレンジャー大会決勝に進出し準優勝。9月にはアジアテニス連盟の主催によりウズベキスタンタシュケントで行われた「アジアン選手権」決勝でデニス・イストミン(ウズベキスタン)[21]を7-6(2),6-4のストレートで下し優勝[22]。大会優勝者に与えられる翌年の全豪オープンシングルス主催者推薦の切符を手にした。これらの活躍によりシングルス世界ランクも年末には188位と100番台にまで上昇させ、この時点で日本男子トップに立つ[10]。また12月にカタールドーハで開催された2006年アジア競技大会にも日本代表として選出され、シングルス銅メダル、団体銀メダルを獲得した。

[編集] 2007年

2007年は前年のアジアン選手権で勝ち取った主催者推薦により2007年全豪オープン4大大会にデビュー。1回戦で当時世界ランク10位、大会第9シードのマリオ・アンチッチ(クロアチア)と対戦し、4-6,3-6,2-6のストレートで敗れた。6月にはウィンブルドンシングルス予選に出場。予選決勝でボーダン・ウリラッハ(チェコ)に 7-5,6-4,1-6,2-6,2-6の逆転で敗れ、本戦出場を逃した。翌8月にはトロフェオ・マンタ・オープンシングルス決勝でエドゥアルド・シュワンク(アルゼンチン)を6-4,6-2のストレートで下し、チャレンジャー大会初優勝。11月のブリスベン・チャレンジャーシングルスでも準優勝の成績を収めた。またこの年の8月から新たに元プロテニス選手の増田健太郎をコーチに迎えている[23]

[編集] 2008年

2008年は添田にとってキャリア最高の年となり、シングルスでは3月の島津全日本室内決勝でマティアス・バッキンガー(ドイツ)を7-6,2-6,6-4をフルセットで下し優勝すると、4月のプサン・オープン・チャレンジャー決勝では盧彦勳と対戦し、6–0,0–0とした所で盧の途中棄権により優勝。5月のニューデリー2チャレンジャー決勝でも盧との対戦となり、これを6-3,3-6,6-4のフルセットで下し優勝。9月チャイナ・オープン本戦1回戦で中国人選手を破りATPツアー初勝利を挙げると、2回戦では同大会第3シード、当時世界ランク11位のフェルナンド・ゴンザレスチリ)と対戦。添田はこのトップ選手からファーストセットを先取すると、セカンドセットでもタイブレークまで持ち込む接戦を見せたが、ファイナルセットでは調子を取り戻したゴンザレスに押し切られ、結果6-3,6-7(4),1-6のスコアで惜敗[24]。11月最終週のダンロップワールドチャレンジテニストーナメント決勝では李亨澤を6–2, 7–6(7)のストレートで下し、この年のチャレンジャーツアーでトマス・ベルッチ(ブラジル)、ティムラズ・ガバシュビリ(ロシア)、クリストフ・ブリーゲン(ベルギー)らと並ぶ年間最多優勝タイの4大会優勝を記録する。この年は他にも11月第3週の慶応チャレンジャーで準優勝、またチャレンジャー2大会でベスト4の成績を収める活躍でシングルスランクも年初の212位から年末には114位まで大幅に上昇。またダブルスでもこの年は2大会で準優勝し、11月には自己最高の291位を記録。一方7度目の出場となった全日本テニス選手権男子シングルスでは2度目の決勝に進出。決勝では同じミキプルーン所属の伊藤竜馬を6-7(2),6-3,6-4のフルセットで下し、悲願の初優勝を果たした[25]

[編集] 2009年

2009年は前年と打って変わって不調に陥り、ツアーでも1~2回戦負けや予選落ちを重ねてランクも大きく下降してしまう。しかし年後半に入ると次第に成績が上向いていくようになり、ノーシードで出場した10月のロイヤルバンク・オブ・スコットランド・チャレンジャーでは準決勝で当時95位、第2シードのケビン・キム(アメリカ)を7-5,6-1のストレートで下す活躍で11ヶ月ぶりにチャレンジャー大会決勝に進出。決勝ではイリア・ボゾリャック(セルビア)と対戦し、これを3-6,6-3,6-2のフルセットで下し優勝[26]。11月には、ディフェンディングチャンピオンとして「自分の力を出し切って、圧勝したい」と語って[27]第1シードで臨んだ全日本テニス選手権男子シングルスで、フルセットに縺れたのも準決勝の三橋淳戦のみという隙のない試合運びで大会2連覇を果たす[28]。また岩見と組んで2年ぶりに出場したダブルス部門でも決勝に進出したが、こちらは決勝戦で岩渕聡&松井俊英組に2-6,7-6(3),6-2のフルセットで惜敗し、同部門3度目の準優勝となった[29]

[編集] 2010年

1月には従来の増田に加え、新たなコーチとしてイタリアの元プロテニス選手ダビデ・サンギネッティと契約[30]。4月には空旅ドットコムが新たなスポンサーとなった[31]。3月にトレーニングと並行して出場したアディダス早稲田フューチャーズと甲府フューチャーズで貫禄の2週連続優勝。そのトレーニングの成果は続く遠征で発揮され、5月はマンタチャレンジャーで今季チャレンジャー大会初優勝、6月のウィンブルドン前哨戦となったノッティンガムチャレンジャーでは準優勝。ウィンブルドンでは予選決勝でジェシー・ウィッテン(アメリカ)に2-6, 2-6, 6-2, 4-6[32]で敗れたものの、上位選手の欠場による敗者復活枠で2007年全豪オープン以来となる4大大会本戦出場を果たした。日本人男子選手は錦織圭と2人が本戦に同時出場。4大大会の本戦に日本人男子が2人同時に出場するのは松岡修造、辻野隆三が揃って出場した1994年の全豪オープン以来の快挙となった。1回戦では予選勝者のマーティン・フィッシャー(オーストリア)に4-6, 3-6, 1-6[33]で敗退。続いて出場したキャンベルズ・ホール・オブ・フェイム・テニス・チャンピオンシップスでは、第8シードで元21位のテイラー・デント(アメリカ)の猛攻に耐えながら6-4, 3-6, 6-4[34]と接戦を制し、試合後「勝ったことが信じられない」と語っている[35]。年の最後の4大大会ある全米オープンでは第2シードとして臨んだ予選1回戦で杉田祐一と対戦、雨天により3日に渡って順延される中、大方の予想を裏切り、4-6, 6-2, 2-6[36]で敗退。「負けられないということを変に意識してしまった」と敗北を認めている[37]。その後もコンスタントに結果を残し、9月20日付けのランキングで自身の最高位である106位を更新し、104位となった。

[編集] 2012年

2月10日、日本が27年ぶりにワールドグループに復帰したデビスカップ(男子のみ)1回戦のクロアチア戦のシングルス第1試合で、世界ランク55位で格上のイワン・ドディグに4時間5分のフルセットの死闘の末、勝利。1981年にデビスカップが現行制度となってから、日本はワールドグループで1981年と1985年に戦った経験があったが、どちらも全試合敗退に終わっており、この勝利は日本人選手のワールドグループでの初勝利という歴史的な1勝となった。2月12日、日本はクロアチア戦の全5試合を終え、3-2(添田の1勝と錦織圭の1勝)で惜しくも敗れ、初の2回戦(ベスト8)には進めなかったが、2月13日付けの世界ランキングで、添田は90位から自己最高の81位に上がった。

[編集] プレースタイル

特に選手仲間も挙って「豪のバックハンドはやばい」と声を揃える程両手打ちのバックハンドストロークはラリーで抜群の安定感を誇る。元々小学4年時にフォアを片手打ちに変えた当初から、安定して威力もある両手バックハンドに得意意識が芽生え、それがプロ転向後もバックハンドラリーでは打ち負け無い事から、バックハンドにはキャリアを通じて一度も疑問を感じることが無いという程の武器となっているという[38]

[編集] シングルスタイトル

チャレンジャー (7)
No. 年月日 大会 サーフェス 対戦相手 試合結果
1. 2007年8月13日 エクアドルの旗 マンタ ハード アルゼンチンの旗 エドゥアルド・シュワンク 6–4, 6–2
2. 2008年3月3日 日本の旗 京都 カーペット ドイツの旗 マティアス・バッキンガー 7–6, 2–6, 6–4
3. 2008年4月14日 韓国の旗 釜山 ハード 中華民国の旗 盧彦勳 6–2, 0-0 ret.
4. 2008年5月19日 インドの旗 ニューデリー ハード 中華民国の旗 盧彦勳 6–3, 3–6, 6–4
5. 2008年11月24日 日本の旗 豊田市 カーペット 韓国の旗 李亨澤 6–2, 7–6(7)
6. 2009年10月12日 アメリカ合衆国の旗 ティブロン ハード セルビアの旗 イリア・ボゾリャック 3-6, 6-3, 6-2
7. 2010年4月26日 エクアドルの旗 マンタ ハード アメリカ合衆国の旗 ライラー・デハート 7-6(5), 6-2

[編集] 脚注

  1. ^ 日本テニス協会. “歴代優勝者<個人戦/男子シングルス>…決勝記録”. 2010年4月15日閲覧。
  2. ^ 日本テニス協会. “第23回全国選抜高等学校テニス大会”. 2010年4月15日閲覧。
  3. ^ 日本テニス協会. “トヨタジュニアテニストーナメント 2001”. 2010年4月15日閲覧。
  4. ^ 日本テニス協会. “全国高等学校総合体育大会(テニス競技)”. 2010年4月15日閲覧。
  5. ^ 日本テニス協会. “全国高等学校総合体育大会(テニス競技)”. 2010年4月15日閲覧。
  6. ^ 日本テニス協会. “第76回全日本テニス選手権大会2001”. 2010年4月15日閲覧。
  7. ^ 関西テニス協会. “2002ワールドスーパージュニアテニス選手権大会”. 2010年4月15日閲覧。
  8. ^ 全日本テニス選手権. “第77回全日本テニス選手権大会シングルス本戦”. 2010年4月15日閲覧。
  9. ^ 全日本テニス選手権. “第77回全日本テニス選手権大会男子ダブルス本戦”. 2010年4月15日閲覧。
  10. ^ a b c 日本テニス協会. “過去の全日本ランキング”. 2010年4月15日閲覧。
  11. ^ 全日本テニス選手権. “第78回全日本テニス選手権大会男子シングルス本戦”. 2010年4月15日閲覧。
  12. ^ 全日本テニス選手権. “第78回全日本テニス選手権大会男子ダブルス本戦”. 2010年4月15日閲覧。
  13. ^ テニス実業団委員会. “第19回テニス日本リーグ”. 2010年4月15日閲覧。
  14. ^ テニス実業団委員会. “第19回テニス日本リーグ”. 2010年4月15日閲覧。
  15. ^ テニス実業団委員会. “第19回テニス日本リーグ”. 2010年4月15日閲覧。
  16. ^ TENNIS FAN. “デ杯増刊号 VOL.4.鈴木がスリチャパンを破り、タイに完勝。”. 2010年4月15日閲覧。
  17. ^ ATP. “Ho Chi Minh City”. 2010年4月16日閲覧。
  18. ^ báo điện tử Dân trí trên (2005年9月25日). “Puerta lao đao ở trận đấu ra mắt giải VN Mở rộng”. 2010年4月16日閲覧。
  19. ^ 全日本テニス選手権. “男子シングルス本戦”. 2010年4月15日閲覧。
  20. ^ 全日本テニス選手権. “男子ダブルス本戦”. 2010年4月15日閲覧。
  21. ^ 添田豪 OFFICIAL BLOG (2006年9月8日). “決勝進出!”. 2010年4月16日閲覧。
  22. ^ 添田豪 OFFICIAL BLOG (2006年9月9日). “優勝!”. 2010年4月16日閲覧。
  23. ^ 日本テニス協会 (2009年8月28日). “プレーヤー:添田 豪”. 2010年4月16日閲覧。
  24. ^ La Tercera (2008年9月25日). “Fernando González avanzó con esfuerzo en su debut en Beijing”. 2010年4月16日閲覧。
  25. ^ 全日本テニス選手権 (2008年11月16日). “男子シングルス決勝 添田 豪 vs 伊藤 竜馬”. 2010年4月16日閲覧。
  26. ^ ATP. “Tiburon”. 2010年4月16日閲覧。
  27. ^ 全日本テニス選手権 (2009年11月10日). “男子第1シードは連覇に向け順調に「Go!」”. 2010年4月16日閲覧。
  28. ^ 全日本テニス選手権. “男子シングルス本戦”. 2010年4月16日閲覧。
  29. ^ 全日本テニス選手権. “男子ダブルス本戦”. 2010年4月16日閲覧。
  30. ^ 添田豪 公式ブログ - Go! Soeda! - (2010年1月5日). “新年!!”. 2010年4月16日閲覧。
  31. ^ 株式会社空旅ドットコム (2010年4月9日). “添田 豪選手(プロテニスプレイヤー)との所属契約締結のお知らせ”. 2010年4月20日閲覧。
  32. ^ Wimpledon Championships website Gentlemen's Qualifying Singles” (2010年6月17日). 2010年9月26日閲覧。
  33. ^ Wimpledon Championships website Gentlemen's Singles” (2010年6月22日). 2010年9月26日閲覧。
  34. ^ “[http://www.atpworldtour.com/posting/2010/315/mds.pdf Campbell's Hall of Fame Tennis Championships MAIN DRAW SINGLES]” (2010年7月5日). 2010年9月26日閲覧。
  35. ^ ATP Brown Prevails In Newport Opener; Past Champ Dent Falls” (2010年7月5日). 2010年9月26日閲覧。
  36. ^ US OPEN Men's Qualifying Singles” (2010年8月26日). 2010年9月26日閲覧。
  37. ^ テニスマガジン2010年11月号123頁, 豪ing My Way 第9回
  38. ^ テニスマガジン12月号50頁, そのときどうなっているの? 第7回 添田豪の両手打ちバックハンド

[編集] 外部リンク

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