藤沢翔陵高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
藤沢翔陵高等学校
FujisawaShoryo highschool.jpg
過去の名称 藤沢商業学校
藤沢商業高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人藤嶺学園
校訓 信と勇と
設立年月日 1931年
共学・別学 男女別学(男子校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科、商業科
高校コード 14555G
所在地 251-0871
神奈川県藤沢市善行7-1-3
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

藤沢翔陵高等学校(ふじさわしょうりょうこうとうがっこう)は、全日制商業科および普通科を持つ男子のみの私立高等学校。略称は「翔陵」「藤翔(とうしょう)」。

目次

[編集] 概要

設置者は藤嶺学園(時宗総本山清浄光寺が母体)であり、藤嶺学園藤沢中学校・高等学校鵠沼高等学校とは兄弟校。 学校長は、篠原充。

2011年に創立80周年を迎えた。学校生活・学問に関して情熱のある教員が多く、各検定試験前になると頻繁に講習が開かれる。また、外部での講座を持つ教員も存在する。

近年、進路指導に力を入れており、国公立では、東京農工大学東京藝術大学。私立では日本大学専修大学神奈川大学などに進学実績がある。

[編集] 沿革

  • 1931年(昭和6年) 藤沢商業学校として清浄光寺境内に創立。
  • 1943年(昭和18年)時局の要請で藤沢工業学校へ転換。
  • 1945年(昭和20年)藤沢商業学校を藤沢工業学校より分割復元。
  • 1947年(昭和22年)現在地に移転。
  • 1948年(昭和23年)新制度により藤沢商業高等学校(藤商、とうしょう)へ昇格。藤沢工業学校は廃校。
  • 1970年(昭和45年)普通科開設。
  • 1992年(平成4年) 普通科に特進コース開設。
  • 1998年(平成10年) 普通科の生徒数のほうが多くなったことから、藤沢翔陵高等学校に校名変更。同時に校章も変更。
  • 2004年(平成16年)新総合グラウンド完成。
  • 2008年(平成20年)校舎外壁改装工事完了。
  • 2009年(平成20年)8月にテニスコート改修。12月には学校グラウンド改修。
  • 2011年(平成23年)創立80周年を迎える。

[編集] 部活動

  • バレーボール部は「バレーの藤商」として全国的にも有名であり、春高バレーで5回の優勝(1978年~1980年には三連覇達成)、当時のインターハイ(現在の選手権)で2回の優勝、国体では4回の優勝をしている。ただし、「高校バレー三冠」は達成していない。
  • 陸上競技部は全国高校駅伝に29回出場(2009年現在)し、入賞3回(最高位は1986年の3位)。また5000mの神奈川県高校記録は、1979年~2007年まで28年間、同校の部員が樹立・更新をし続けていた。(ただし、1999年9月に別の高校の選手が記録を更新し、同年12月にその更新した記録と同記録で藤沢翔陵の選手が走るまでの3ヶ月間は空白となる。しかし厳密に言えば、記録会の記録は申請の上で年末に承認され、「記録更新」の認定はその後となるため、履歴上は27年間保持し続けたことになる。)

[編集] その他

  • 昭和30年代に校舎を焼失する火事に見舞われ、現在の県の競技場となっている所有地を売却することになった。不振期には当校を廃止し、藤嶺学園による短期大学を設立する計画があった。学長には福本和夫が招聘される予定であった。
  • 2009年1学期の中間試験において、国語科の教諭が生徒40人の定期試験の点数データを保存せず生徒へ返却。答案用紙を再回収の上データ回復を試みるも、6名の生徒が既に答案用紙を紛失していたため、対象生徒全員に再試験を実施したことが、7月15日毎日新聞により報道された。学校側の発表によると漏洩は無く、保護者への説明はすでに済ませており、再発防止に努めるという。

[編集] 交通

[編集] 主な出身者

[編集] プロ野球選手

[編集] バレーボール選手

[編集] その他

[編集] 参考文献

  • 藤嶺学園藤沢商業高等学校編『藤嶺学園藤沢商業の歴史』上巻・下巻(藤嶺学園藤沢商業高等学校、1986年)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス