鈴木貴男

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鈴木貴男

鈴木貴男
鈴木貴男

基本情報
ラテン文字名 Takao Suzuki
国籍 日本
出身地 同・北海道札幌市手稲区
生年月日 1976年9月20日(32歳)
身長 175cm
体重 72kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1995年
ツアー通算 1勝
シングルス 0勝
ダブルス 1勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2005)
全仏 本戦出場なし
全英 2回戦(2003)
全米 1回戦(1999・2004)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2005)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 102位
ダブルス 119位
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鈴木 貴男(すずき たかお、1976年9月20日 - )は、北海道札幌市手稲区出身の男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス102位、ダブルス119位。所属は岩田屋-北日本物産と移り、現在は高木工業。身長175cm、体重72kg、右利き。フォア・バックともストロークは片手打ちであるが、14歳時までは両サイド両手打ちで、それから変更したという異例の経歴を持っている。

堀越学園高時代、インターハイで3冠(単複・団体)を達成。卒業と同時にプロに転じ、1995年の全日本室内選手権・サテライトサーキット第3戦で優勝。同年からデビス杯代表にも選出され、“ポスト松岡修造”として将来を大きく嘱望される。1996年アトランタ五輪に日本代表選手として出場。その後、1996年1997年全日本テニス選手権男子シングルスで2連覇を達成する。1998年にはチャレンジャーで3勝、ストックホルムオープンではベスト8に進出した。1999年には全豪オープンウィンブルドン全米オープンの3大会で本戦出場を果たし、全豪の1回戦では世界ランキング3位のアレックス・コレチャとフルセットにもつれこむ激戦を演じた。

その後故障で休養を余儀なくされたが、2000年にチャレンジャーで4大会連続優勝を果たす。翌2001年のデ杯では、タイパラドーン・スリチャパンを破り、日本チームの2回戦進出に貢献する。同年のAIGジャパンオープンでは、1989年全仏オープン優勝者のマイケル・チャンアメリカ)を破り、日本人として松岡修造以来13年ぶりのベスト8進出を果たした。同大会では2002年・2003年もベスト16に進出。2003年ウィンブルドンでは、日本人選手として松岡以来7年ぶりの4大大会本戦での勝ち星を挙げ、1回戦でディック・ノーマン(ベルギー)を破ったが、続く2回戦でカロル・クチェラスロバキア)に敗れた。

2004年のデ杯対インド戦では74年ぶりの勝利に貢献する。2005年全豪オープンでは、1回戦でアメリカのジャン・マイケル・ギャンビルをストレートで下し、同大会で松岡以来16年ぶりの勝利を挙げると、2回戦でも前年優勝者のロジャー・フェデラーと好試合を展開した。ダブルスでは盧彦勳台湾)とペアを組み、ユルゲン・メルツァーオーストリア)&アレクサンドル・ワスケ(ドイツ)組との3回戦まで進出した。これは1968年のオープン化(プロ解禁)以来では、日本男子としての4大大会男子ダブルス最高成績になる。同年のAIGジャパンオープンテニスでは岩渕聡とダブルスを組み、決勝でサイモン・アスペリンスウェーデン)&トッド・ペリーオーストラリア)組をストレートで破り、1970年の現行男子ツアー制度導入後、日本選手が組んだペアでは初のツアー優勝を飾った。

2006年のAIGジャパンオープンでは男子シングルス準々決勝に進出したが、当時世界ランキング1位のロジャー・フェデラーに6-4, 5-7, 6-7で敗れた。[1]この後、鈴木は世界ランキングを1078位から459位まで戻した。2007年の全日本選手権では、2連覇中だった岩渕聡、若手の添田豪を押さえ、久々の男子シングルス優勝を飾った。

好不調の波はあるが、潜在的能力の高さには定評がある。世界のトッププレーヤーにも引けをとらないサーブ、そしてボレーを軸とするサーブ・アンド・ボレーヤーである。デビスカップでも長く活動を続け、日本代表の全ての記録において代表歴代1位を保持している。

[編集] 著書

  • 試合に勝つテニス 鈴木貴男のサーブ&ボレーレッスン(実業之日本社

[編集] 脚注

  1. ^ フェデラーが世界ランク100位以下の選手にセットを失ったのは、2005年のモンテカルロ・マスターズで当時世界ランク101位のリシャール・ガスケフランス)に敗れて以来、実に1年半ぶりの事であった。

[編集] 外部リンク