海難事故
海難事故(かいなんじこ)とは、船舶の運用中に起きた事故のこと。難破(なんぱ)とも言う。
文字どおりには海で起こる事故全般を意味する。しかし、本項では海難審判法2条に定義される「海難」(以下参照)を中心とした船舶に関する事故について述べる。川や湖で起こるものも含む。
- 船舶の運用に関連した船舶又は船舶以外の施設の損傷(海難審判法2条1号)
- 船舶の構造、設備又は運用に関連した人の死傷(海難審判法2条2号)
- 船舶の安全又は運航の阻害(海難審判法2条3号)
類義語に水難事故(すいなんじこ)がある。ただしこの語には船舶の事故に限る意味合いはなく、船舶以外(海水浴など)について使うことも多い。
一般的に、戦争に起因する被害は海難事故に含まれないことが多い。
目次 |
[編集] 海難事故の種類
[編集] 海難事故の原因要素
海難事故の原因となるものには、以下のようなものがある(例示)。
- 操縦のミスによるもの。
- 船員の操船判断に関連するもの
- 船舶の堪航能力に関連するもの
- 設計ミス、材質の強度不足、構造欠陥などによるもの。小規模な船体損傷から船体折損などの重大なものまで、さまざまなものがある。当初予定していたものとは別の用途に転用されるなどした際に、問題点が顕在化するケースなどもある(運用の問題とも関係する)。
- 船舶の搭載機関・搭載機器の性能・整備・運用に関連するもの
- 故障や火災など施設の管理問題に由来するもの。老朽化に由来するもの。積載重量オーバー・荷崩れなど運用管理に由来するもの。
- 故意によるもの
- 戦争・海賊行為・船内での騒擾などによるもの。
[編集] 海難事故の様式種別
海難事故の様式としては、以下のようなものがある(例示)。
- 船体が水面下に沈んでしまうもの。潜水艦の浮上不能も含む。浅海で沈没した場合、船の上部構造物が海面上に出ていることがあるが、座礁とは異なる。
- 船体がなんらかの理由で上下逆になるもの。横倒しになるとたいてい沈没するが、さかさまになってしまうと案外沈まない。
- 座礁・触底・乗揚げ
- 船底が海底・川底と接触し操船が不能になるもの。船の多くは、液体の水の上に浮くことで全体で分散して重量を負担する設計となっているため、固体の海底などに接触しそこに重量が集中すると、容易に船体断裂などの損壊を引き起こす。潮の満ち引きなどの影響で結果として同等になる場合はあるが、座礁・触底は「通常の喫水で航行中に浅くなっているところに乗り上げる」ものであり、沈没とは異なる。
- 機関故障・推進器故障・かじ故障などによる漂流
- なんらかの理由で航行できなくなり、海上を漂うもの。
- 落水
- 船上から乗組員・乗客・積荷が転落するもの。
- その他
- 火災や浸水
[編集] 海難事故の影響
引き起こされる結果としては、以下のようなものがある(例示)。
- 人的損害
- 物的損害
- 船体の喪失・荷物の流失・港湾施設の損壊など。
- 自然損害
[編集] 海難事故の複合的様態
海難事故は、個々に様態が異なり、またさまざまな複合的要素を持つ。たとえば「荒天による操船不能→座礁→船体断裂→燃料流出」など。また、関係者が生還しないケースも少なくなく、原因の解析が困難なことも珍しくない。
[編集] 海難事故の法的扱い
海難事故は、船という陸上での経験があまり通用しない交通機関にかかわるものであること、独特の法的規制や慣習があることなどに鑑み、法的に特殊な扱いがなされる場合がある。
[編集] 日本における海難事故の法的扱い
日本では、一般に事故をめぐる責任の追及については民事上の責任や刑事上の責任が問題となり、海難事故に関しても同様であるが、海難事故の場合には特に将来的な海難の防止という観点から、運輸安全委員会による海難事故の究明(運輸安全委員会設置法1条)がなされ、故意・過失によって海難を発生させた船員に対しては海難審判所の海難審判による懲戒がなされる(海難審判法1条)。なお、海難事故の究明や海難審判について以前は海難審判庁が担っていたが、2008年10月の法改正により海難審判庁は廃止され現行の体制に移行した。
[編集] 海難事故の損害賠償枠組み
一般的な海難事故の損害賠償については、通常の損害賠償保険によって扱われる。
しかしながら海難事故の場合、特にオイルタンカーの座礁事故などの際には、その汚染規模が大きく、被害額・除染費用などが巨額に上ることが少なくなく、補償の実効性には疑問が持たれるケースも少なからず存在した。そのため、1967年のトリー・キャニオン号事故を契機として1969年には「油による汚染損害についての民事責任に関する国際条約」が作られ、以下幾度か改定されている。
この条約では、タンカー事故などについて、ほとんど無過失責任であるといえるレベルの損害賠償責任を負わせている。また、現実的な被害救済のために、一定量以上の荷主に拠出を義務付けるなどして国際基金を整備し、確実に補償がなされるような枠組みを作っている。
日本国内では、この条約に基づいて船舶油濁損害賠償保障法が制定されている。また、保険未加入船舶については入港を拒否するといった方法で、補償が期待できないような被害の発生を防止している。
[編集] 年表
ここでは特に社会的影響の大きかったものに限り、便宜的に記載する。
[編集] 1900年代以前
- 唐船(17人乗組)紀伊熊野に漂着
- 1865年4月
- 客船ドイッチュラントがテムズ川河口でブリザードに遭遇し、砂州に座礁。翌日に救助が来たが、乗客・乗務員100名以上が死亡する惨事となった。この事故は社会に大きな衝撃を与え、「ドイッチュラントの遭難」という詩が作られた。
- 北海道瀬棚海岸沖にてロシア軍艦「アレウト」がおりからの暴風に煽られ座礁。乗組員60人全員が地元住民により救助されるも、翌1878年(明治11年)4月20日迎えに来た軍艦「エルマック」へ「アレウト」乗組員がボートで向かう途中高波により転覆、12人が犠牲になった。
- 1878年(明治11年)12月
- 1886年(明治19年)12月
- 日本海軍の巡洋艦畝傍がフランスから日本への回航中、シンガポールを発ったのを最後に消息を絶つ。荒天により沈没と思われるが原因や状況などは現在に至るまで不明。フランス人乗組員や日本海軍の将兵など計90人が行方不明となった。
- 客船ブリタニックが霧のためセルティックと衝突。激しく損傷したが沈没の恐れがなかったため援助にきた船とニューヨーク港に移動した。
(詳しくはブリタニック (客船・初代)を参照のこと)
- 1890年(明治23年)9月16日 - エルトゥールル号遭難事件
[編集] 1900年代
- ニューヨークにて遊覧船「ジェネラル・スローカム」がイースト川で火災。犠牲者1031人。
[編集] 1910年代
- 日本海軍の第六潜水艇が、広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に沈没。艇長佐久間勉大尉以下乗員14名全員殉職。後日引き上げられ、最後まで規律を保って配置を守っていた乗組員の遺体と、佐久間が絶命の瞬間まで書き綴った遺書が発見された。その様子は国内では教科書や軍歌に取り上げられるほどの社会現象となり、アメリカ・イギリスなどにおいても大きな話題となった。
- 1912年(明治45年)9月1日
- 1912年(明治45年)9月23日
- カナダ船籍客船「エンプレス・オブ・アイルランド」(総トン数14191トン)が濃霧のセントローレンス川でノルウェー船籍貨物船「ストールスタッド」(総トン数6028トン)と衝突して沈没。1024人が死亡・行方不明。
[編集] 第一次世界大戦時
- 1917年(大正6年)12月6日 - ハリファックス大爆発
- イギリス軍に輸送船として徴用された客船「オリンピック」が「U-33」の雷撃を受けたものの、「オリンピック」は発射された魚雷をかわして体当たりによる逆襲を敢行、「オリンピック」に体当たりされた「U-33」が沈没した。
[編集] 1920年代
- カムチャッカ半島で漁業保護任務中の巡洋艦「新高」がオゼルナヤ沖で停泊中に暴風に遭遇し走錨。海岸に座礁、転覆した。15人は救助されたが、残りの327人は死亡した。
- 京都府舞鶴港に向かっていた海軍の工作艦「関東」が、吹雪の気象条件のなか位置を誤認もしくは確認できないまま航路を逸脱。福井県下糠浦海岸の二ッ栗岩に座礁して沈没、乗組員と便乗者のあわせて99名が死亡。
- 漁船「良栄丸」(総トン数42トン)が本州東方海上で機関を破損して航行不能となって漂流。乗組員全滅後、27年10月末に北アメリカ西岸に漂着した。
- 島根県美保関沖で夜間演習中の軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突して「蕨」が沈没、軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」も衝突し、将兵119名が殉職した。「神通」艦長水城圭次大佐は軍法会議にかけられ、判決の前日に自決した。
[編集] 1930年代
- 1934年(昭和9年)3月24日 - 神竜湖遊覧船沈没事故
- 広島県の帝釈峡にある神竜湖の遊覧船が沈没。比婆郡田森村(現在の庄原市東城町)の粟田尋常小学校と粟田尋常高等小学校児童の卒業遠足一行(計42名)が乗船しており、児童12名と引率教諭2名、合計14名が死亡した。
- 広島県の尾道を出航して豊島へ向かう汽船「大崎丸」(総トン数33トン)が生野島沖で暴風雨によって沈没。乗っていた30名以上のうち11名が死亡。
- 1935年(昭和10年)7月3日
- 大分県の別府を出航して兵庫県神戸市へ向う途中の大阪商船の客船「船緑丸」(総トン数1724トン)が小豆島の近くで大連汽船の「千山丸」(総トン数2775トン)と衝突。この事故で「船緑丸」は沈没。乗員乗客107名が死亡。
- 日本海軍第四艦隊が演習中、台風に遭遇。54名が死亡。
- 1936年(昭和11年)2月5日
- 1936年(昭和11年)5月19日
- 埼玉県の川柳村から彦成村へと通う中川の彦成の渡し船が定員20名のところ、無理に36名を乗せて出航したところ川を半分ほど渡ったところで浸水して沈没、10名が死亡。
- 1936年(昭和11年)6月21日
- 1936年(昭和11年)10月22日
- 樺太・栄浜沖で「相州丸」(総トン数1219トン)が浅瀬に座礁する事故が起きた。「相州丸」は救助船「大浦丸」に曳航されて函館港に向かっていたが、「大浦丸」は天売島沖で舵を損傷。「相州丸」は23日に増毛の南に漂着した。また「大浦丸」の救難ボートに乗り移った者もいたが、この救難ボートは23日に留萌付近に着岸する前に転覆した。これらの事故により19名が行方不明になった。
- 1937年(昭和12年)2月14日
[編集] 1940年代
- 琵琶湖に面する滋賀県大津市に合宿していた第四高等学校(現・金沢大学)の漕艇部員8名と他の3名(合計11名)が強風の中を同県今津町(現・高島市)から琵琶湖へボートを出艇させて遭難し、全員が死亡した。遭難の原因は強風で転覆したものと推測されるが全員が死亡したため詳細は不明。なお、この事故は後日、その悲劇を悼む歌として琵琶湖哀歌(歌は東海林太郎と小笠原美都子)としてレコード発売された事により全国的に有名な事件となった。
- 茨城県にある香取神宮や鹿島神宮への参拝客77名を乗せた水郷汽船「水郷丸30号」(総トン数4トン)が鹿島郡豊津村(現・鹿嶋市)から潮来町(現・潮来市)へ向かう途中の利根川で転覆・沈没し49名が死亡。定員30名のところを77名も乗せて運航したのが原因とされた。
- ニューヨーク港で軍の徴用に向けて改装中だった「ノルマンディー」が火災を起こし、消火時の放水で浸水したことにより転覆。船体が巨大であったこと、狭い埠頭で転覆したことから上部構造物を全て撤去して引き上げたが、結局第二次世界大戦後に解体された。
- 1942年(昭和17年)5月12日
- 東亜海運客船「長崎丸」が上海から長崎港外に到着し、附近の哨戒艦と連絡のため、指定航路を僅かに外れた時、日本海軍の機雷に触れて沈没。死者13名、行方不明者26名。生き延びてしまった菅源三郎船長の切腹と言う壮絶な結末で有名な海難事故。
- 1944年(昭和19年)12月
- 青森港内にて青函連絡船の「第五青函丸」が折からの暴風に煽られ防波堤に接触し浸水、沈没した。死者・行方不明者82名。戦時設計のため二重船底が廃止された上に外板が薄く設計されていたこと、重心が高かったことなどが沈没の要因としてあげられる。
- 朝鮮人労働者とその家族を乗せた「浮島丸」が舞鶴湾内で機雷に触れて沈没。乗員と便乗者549名が死亡。
- 尾道港発今治港行き瀬戸内海汽船の今尾連絡船「第十東予丸」(総トン数162トン)が、荒天の中、定員210名の3倍を超える乗客を乗せた為、復元力を失って伯方島木浦港沖で転覆・沈没し、死者・行方不明397名を出す惨事になった。地元で架橋運動が始まるきっかけとなり、1957年の第五北川丸沈没事故もあり、しまなみ海道の建設につながった。
- 阪神 - 多度津航路の「女王丸」が瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れて沈没。死者行方不明183名。
[編集] 第二次世界大戦時
- 1943年(昭和18年)3月19日
- 1944年(昭和19年)8月22日
- 沖縄からの児童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の雷撃により沈没。疎開児童708名を含む1484名が死亡。3隻の疎開船団(「暁空丸」、「和浦丸」、「対馬丸」)の唯一の犠牲。また、沖縄方面からの疎開船(延べ187隻)の中で、唯一撃沈されてしまった船でもある。
- 1944年(昭和19年)9月18日
- 捕虜交換船「順陽丸」英潜水艦の雷撃により沈没。連合国軍の捕虜など約5620名が死亡。
- 1945年(昭和20年)1月30日
- バルト海にてソ連潜水艦の雷撃によりドイツ客船「ヴィルヘルム・グストロフ」が沈没。乗船していた難民など9331名が死亡。
- 1945年(昭和20年)2月10日
- ドイツ客船「シュトイベン」がソ連潜水艦の雷撃により沈没。難民など4500名が死亡。
- 安全航行を保障されていた緑十字船「阿波丸」が台湾海峡にて米潜水艦により撃沈される。乗客2000名以上が死亡。「阿波丸」は協定に違反して戦略物資を積み込んでいたことが明らかになっている。
- 1945年(昭和20年)4月16日
- ドイツ客船「ゴヤ」がソ連潜水艦の雷撃により沈没。難民など6666名が死亡。
- 1945年(昭和20年)5月3日
- ドイツ客船「カップ・アルコナ」が英空軍の空襲により沈没。5594名が死亡。強制収容所の収容者が多く犠牲となった。
- 1945年(昭和20年)7月29日
- 米重巡洋艦「インディアナポリス」が日本潜水艦伊58の雷撃により沈没。米海軍は同艦沈没の事実を人為的ミスによって丸四日間気付かず、乗員1196人中、880名が死亡した。同艦は広島へ投下された原子爆弾の輸送任務を終えた直後だった。生き残ったマクヴェイ艦長は軍法会議にかけられ有罪となり、1968年に自殺している。この事件は海軍の真相隠蔽疑惑と、マクヴェイ艦長の名誉回復を巡って今も論争が続いている。
- 樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」・「第二新興丸」・「泰東丸」が停船命令に従わず、ソ連潜水艦(L-12、L-19)の雷撃・砲撃を受け小笠原丸と泰東丸が沈没、第二新興丸が大破した。1700名以上が死亡。犠牲者の大半は民間人だったという。なお、第二新興丸の反撃により、ソ連潜水艦も1隻(L-19)が沈没している。
[編集] 1950年代
[編集] 1950年(昭和25年)
- 静岡県伊東市の「盛徳丸」(総トン数30トン)が伊豆大島の沖合いで沈没。乗組員32名が死亡。
- 広島県佐伯郡にある長島の近くで漁船が操業していたところ、付近に浮遊していた大型機雷が爆発。これにより漁船4隻が大破し2隻が損壊した。犠牲者46名。
- 北海道厚岸郡の霧多布沖で捕鯨船が救難信号を出した後に行方不明となった。21名が乗り組んでいたが生存者は発見されなかった。
- 三重県北輪内村(現・尾鷲市)の漁船が岩手県三陸海岸の魹ヶ崎(とどがさき)付近で行方不明。48名死亡。
- 愛媛県の今治市から大阪へ向かう定期旅客船「第2高島丸」(総トン数161トン)が沈没。16名が死亡。
- 長崎から名古屋へ向かっていた「豊丸」(総トン数725トン)がSOSを発信した後に消息不明となった。その後救命ボートに乗っていた5名が助かったが26名が犠牲となった。
- 青森県の深浦沖にて東邦海運の貨物船(総トン数1684トン)が座礁の後に沈没。乗組員40名が死亡。
[編集] 1951年(昭和26年)
- 横浜市の大岡川に浮かぶ日雇い労務者用の水上ホテルが転覆。7名が犠牲となった。定員250名のところに432名が乗り込みバランスが崩れたのが原因と思われた。
- 東京湾および関東付近の太平洋で吹雪まじりの嵐となり漁船などの連続遭難事件が発生した。14日と15日の両日だけで小型漁船を中心に沈没43隻、流失46隻、損壊15隻、行方不明9隻、座礁6隻を出す事態となった。
[編集] 1952年(昭和27年)
- 当時活発な活動を繰り返していた海底火山の明神礁の調査に向かった海上保安庁の測量船「第五海洋丸」が、明神礁付近で調査を行っている際に突如発生した海底火山噴火に巻き込まれて沈没。船長以下乗組員22名、学術調査員9名、計31名全員が死亡。
- 静岡県の漁船「福徳丸」(総トン数64トン)が宮城県塩釜沖の太平洋で沈没。21名が犠牲。
- 北海道の稚内沖で「日進丸」が定置網の引き上げに出航したまま行方不明になった。31名が乗り組んでいたが強風により沈没したものと思われる。
[編集] 1953年(昭和28年)
- 沖永良部島から与論島へ向っていた機帆客船「新生丸」(総トン数25トン)が沈没。乗客82名のうち80名が死亡。
- 米国の貨物船と日本の水産指導船が静岡県白浜沖の太平洋で衝突。これにより水産指導船が沈没して11名が死亡した。
- 福島県のカオマグロ漁船「みどり丸」(総トン数98トン)が宮城県の金華山沖で消息を絶った。海上保安庁だけでなく在日米軍の協力も得て海難地点付近を捜索したが、「みどり丸」のものと思われる釣竿や魚を入れる道具しか発見できないまま8月8日に捜索を打ち切った。乗員51名全員が行方不明。
[編集] 1954年(昭和29年)
- 北海道で荒天のため小型漁船などの連続遭難事件が発生。3日間に沈没17隻、大破11隻、中破29隻、小破21隻、座礁39隻を出し、死者・行方不明者の合計は37名にも及ぶ事態となった。
[編集] 1955年(昭和30年)
- 大阪府の大阪港第3埠頭に停泊中だった関西汽船の「にしき丸」(総トン数1850トン)から出火。その後、消火活動が始まったが消防の放水を浴びてバランスを崩して転覆・沈没した。出火の原因は船員の寝室にあった石油ストーブの火の不始末と考えられた。死者や怪我人はなかった。
[編集] 1956年(昭和31年)
- イタリア客船「アンドレア・ドーリア」(総トン数29083トン)と、スウェーデン客船「ストックホルム」(同12165トン)が濃霧の中で双方ともレーダーを過信し、20ノットの高速で航行中に北大西洋・ナンタケット島沖で衝突。「アンドレア・ドーリア」は沈没し、双方で55名死亡。
[編集] 1957年(昭和32年)
- 瀬戸内海の定期客船であった「第5北川丸」が、定員の3倍超の乗客を乗せて生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航したところ、途中の暗礁に座礁・転覆し、死者・行方不明113名を出す惨事になった。海難審判では船長の職務上の過失に加え、運航会社による管理が不適当であったとされた。
[編集] 1958年(昭和33年)
- 紀阿連絡航路の旅客船「南海丸」が和歌山市に向け徳島県小松島市から出航したところ、悪天候に遭遇したため紀伊水道沼島沖で沈没。乗員乗客167名全員が死亡・行方不明になった。沈没までの詳細な過程は生存者がいないため不明である。
[編集] 1959年(昭和34年)
- 福岡県にある米軍芦屋基地の沖で八幡製鉄所構内の小型貨物船「松栄丸」(総トン数422トン)が沈没、10名死亡。
[編集] 1960年代
[編集] 1960年(昭和35年)
- 津軽海峡東方で対潜訓練中の海上自衛隊の護衛艦2隻、「あけぼの」と「いなづま」が、操船ミスで衝突し2人が死亡、2人が負傷した。なお翌日には修理中の「いなづま」で室内での清掃作業に用いたガソリンへの引火による爆発事故が発生し、3人が死亡した。
[編集] 1961年(昭和36年)
- 岩手県の三陸沖でギリシャ船籍の貨物船「アトランチック・サンライズ」(総トン数14408トン)と大洋漁業の捕鯨船「第7文丸」(同391トン)が衝突。「第7文丸」はたちどころに沈没して死者不明16名となった。
- 北海道の広尾港を出港した刺し網漁船「第18雲浦丸」(総トン数53トン)が襟裳岬東南35キロでバラバラとなった船体の破片が発見された。状況から他の船と衝突して沈没したものと思われたがぶつけた相手の船は判らなかった。この事故により乗組員14名全員が行方不明となり全員が死亡したものと推察される。
- 東京湾の各所にて強風のため遊漁船や小型の釣り船が沈没して3隻の合計11名が死亡した。
- 韓国の済州島の北西約370キロの海上で漁船「第8山田丸」(総トン数92トン)が突然の横風を受けて沈没。乗組員13名のうち3名は救助されたものの10名が行方不明。
[編集] 1962年(昭和37年)
- 神奈川県川崎市の京浜運河を航行中の出光興産所有の小型タンカー「第一宗像丸」(総トン数1972トン)が、ノルウェー船籍の大型タンカー「タラルド・ブロビーグ」(同21634トン)に衝突。「第一宗像丸」の積荷のガソリンが炎上し、付近を航行していた太平丸(同89トン)と宝栄丸(同62トン)も巻き込まれて炎上、4隻で41人が死亡。海難審判では「第一宗像丸」の船長と「タラルド・ブロビーグ」の水先人が見張りを疎かにしていたためとされたが、狭い運河に揮発性の高い積荷を満載した船舶が過密航行していることも原因のひとつであった。
[編集] 1963年(昭和38年)
- 北海道枝幸郡枝幸町のはえなわ漁船「第二瑞宝丸」(総トン数74トン)が北海道の千島列島沖で操業中に火災発生。夜間で乗組員全員が就寝中だったため火災の発生に気付くのが遅れて乗組員14名のうち6名死亡、3名が重軽傷。
- 2月26日午前1時過ぎ - りっちもんど丸・ときわ丸衝突事故
- 兵庫県神戸市和田岬沖で貨物船「りっちもんど丸」(総トン数9547トン)と鳴門・阪神間の定期旅客船「ときわ丸」(同238トン)が衝突。「ときわ丸」は衝撃で沈没し乗員7人と乗客40人が死亡し3人が負傷した。海難審判では「りっちもんど丸」船長の職務上の過失が主とされたが、「ときわ丸」側にも過失があったと認定された。
- 東京湾内で海上自衛隊護衛艦「てるづき」の右舷に貨物船「賀茂春丸」の船首が衝突し、自衛官5人が死亡。
- フィリピンからラワン材を運搬していた「洞南丸」(総トン数4815トン)が和歌山県潮岬沖で遭難。乗員33人が死亡・行方不明。荷崩れにより転覆の危険があるため総員退避すると通信があったことから、荷崩れで横倒しになり沈没したとみられている。また「洞南丸」が戦時標準型貨物船(1945年(昭和20年)5月29日に三菱造船長崎造船所で進水)であったことも事故原因の一因であるとの指摘が、事故直後の6月12日の衆議院運輸委員会でなされた。
- 6月10日:深夜
- 北海道の松前沖にて兵庫県神戸市の正向海運所属の貨物船「加明丸」(総トン数998トン)が積荷の硫化鉱の荷崩れが原因で沈没。死者20名。
[編集] 1964年(昭和39年)
- 青森県の下北半島沖にて広島県豊田郡安芸町(現広島市)の進徳海運所属の貨物船「第二進徳丸」(総トン数757トン)が積載量を超えた荷物を積んで出航し、また時化にあったことにより沈没。乗組員11名のうち一等航海士1名は救命ボートにより脱出に成功して生還したが両手足に凍傷を負った。残り10名は死亡行方不明となった。
- 午後9時頃(日本時間:午後8時頃)オーストラリアのニューサウスウェールズ州のジャーヴィス湾にてオーストラリア海軍所属の空母「メルボルン」(総トン数19000トン)と駆逐艦「ボイジャー」(同2800トン)が衝突して約3時間後に「ボイジャー」が沈没。死者82名。
- 北海道小樽市の沖合いで底引漁船「第三豊善丸」(総トン数82トン)が消息を絶ち、乗組員17名が行方不明となった。
- 3月15日午前9時頃
- ギリシャ船籍の貨物船「マリア・G・L」(総トン数7238トン)がアメリカのロングビーチから横浜港へ肥料を運んでいたところ、千葉県勝浦市布良鼻の沖で座礁して動けなくなった。またこのあと「マリア・G・L」を救助するため現場へ向かったアメリカ船籍の貨物船「ダディビレジ」(同8245トン)も座礁してしまった。そして2日後の17日になって「マリア・G・L」は船体が真っ二つに割れて沈没。乗組員は沈没前に全員救助されて無事だった。「ダディビレジ」も船体が危なくなったので全員が退船するなどした。
- オーストラリア西岸のインド洋で操業していた三重県志摩郡浜島町(現・志摩市)のマグロはえ縄漁船「第三幸喜丸」(総トン数179トン)が行方不明となった。僚船やオーストラリア空軍などにより捜索が行われたが手かがりが得られず全員遭難したものと判断され、4月3日に捜索は打ち切られた。乗組員24名全員行方不明[5] 。
- 5月6日午前0時30分頃
- 5月11日午後4時過ぎ頃
- 鹿児島県薩摩半島の西約で台湾船籍の貨物船「チュンカイ」(総トン数1873トン)が積荷の火薬が爆発してSOSを出す間もなく沈没。翌12日の午前0時30分頃に同海域を通りかかったギリシャ]船籍の貨物船「バアン」(同6729トン)が漂流する「チュンカイ」の救命ボートを発見して佐世保海上保安本部へ連絡したため、事故が発覚した。このあと現場海域で大がかりな捜索が行われ、救命イカダで漂流する乗組員などを救助したが、全乗組員45名中24名については行方不明のまま5月13日の日没をもって捜索は打ち切られた[7] 。
- 5月15日午後9時15分頃
- 北海道亀田郡椴法華村東(現・函館市)の噴火湾で日魯漁業のサケマス漁船「協宝丸」(総トン数7158トン)と、北海道漁業公社の「第三海鳳丸」(同84トン)が衝突し、「第三海鳳丸」は転覆・沈没した。「第三海鳳丸」は衝突と同時に転覆してしまい、また夜間で海が暗かった事もあり、「協宝丸」はすぐに救助作業を始めたものの1名も救助する事はできなかった。また朝になり海上保安庁の船も付近を捜索したが生存者の発見は出来ず、「第三海鳳丸」の乗組員21名の命は絶望とされた。[8] 。
- 北海道襟裳岬東南東約240kmで、岩手県大船渡市のサケマスはえ縄漁船「第八成徳丸」(総トン数39トン)が沈没。釧路海上保安部の巡視艇「宗谷」が救助に向かったところ6月5日に乗組員17名中13名を乗せた救命ボートを発見。しかし、13名全員が死亡していた。[9] 。
- 8月30日夕方
- 東京湾を航行していた館山発竹芝桟橋行の水中翼船「バカンス号」(総トン数39トン)が浮遊していた障害物と接触して急停船。この事故で乗客51名のうち23名が座席から放り出されるなどして負傷した。負傷した乗客は竹芝桟橋に入港後、すぐさま病院へ搬送されるなどした。東京水上署が調べたところ船体両側にある水中翼が二つとも損傷していたことから障害物は水面すれすれに浮かんでいた巨大な丸太などではないかと推察されたが結局のところ何がぶつかったのかは判らなかった[10] 。
- 愛知県常滑市沖の伊勢湾でイギリス船籍の貨物船「イースタンテイク」(総トン数11222トン)と、大阪府大阪市の日化汽船所属のケミカルタンカー「日化丸」(同339トン)が衝突し、「日化丸」はまもなく沈没し乗員9名全員が死亡した。
- 北海道茅部郡南茅部町(現・函館市)のイカ釣り漁船「美保丸」(総トン数1.54トン)が漁に出たまま行方不明となった。海上保安庁の巡視船が捜索したところ椴法華村の沖合いで転覆して船底を上にして漂流している「美保丸」を発見。しかし乗組員4名は発見されなかった。
- 千葉県富津岬の沖合いで個人所有のヨットが荒天のため転覆し乗っていた会社員2名が死亡。
- 兵庫県高砂市の沖合いで砂利運搬船「第二天祐丸」(総トン数198トン)が強風に煽られて横転し沈没。乗組員5名中1名が死亡。
- アメリカニュージャージー州沖の大西洋でイスラエル船籍の客船「シャローム」(総トン数24500トン)と、ノルウェー船籍のタンカー「ストルトダガリ」(同12723トン)が衝突。この事故で「ストルトダガリ」は船体が2つに裂けて沈没、乗組員43名のうち16名が死亡した。また「シャローム」は船首部分を大破したものの自力航行が可能な状態で怪我人を多数乗せたままニューヨーク港まで自力で戻った。
- 12月6日午後6時半頃
- 北海道稚内市にある結城水産所属のタラ漁船「第11幸福丸」(総トン数105トン)が千島列島・アライト島の北方約26kmのオホーツク海で火災発生。乗組員17名のうち8名は逃げ遅れて焼死。9名は付近で操業していた宮城県石巻市の漁船に救助されたがうち2名は大火傷の重傷を負った。
- アフリカのアンゴラ沖の大西洋で福岡県北九州市の日本水産戸畑支社所属のトロール漁船「宇治丸」(総トン数535トン)が行方不明となった。その後、同水産会社所属の漁船が「宇治丸」のものと思われる“浮き”や“木箱”“海面に浮く重油”などを発見した。乗組員33名は1名の遺体が発見されたが残りの者は全員が行方不明となった。その後、船体は陸地からすぐ近くの深さ85mの海底に沈んでいるのが魚群探知機により発見された
[編集] 1965年(昭和40年)
- マリアナ諸島アグリガン島の島陰で台風29号を避けていた日本のかつお・まぐろ漁船群が、台風の予想外の針路変更と急発達のため暴風圏内に巻き込まれた結果、6隻沈没、1隻が陸に打ち上げられて大破沈没し、死亡及び行方不明者209名の大量遭難となった。
[編集] 1966年(昭和41年)
[編集] 1967年(昭和42年)
- イギリス沖で、リベリア船籍の大型タンカーである「トリー・キャニオン」(Torrey Canyon、載貨重量トン数118285トン)が座礁。同船はクウェート産の原油を満載しており、船体破損で船外に流出した。船体は3月26日に二つに破断。英国政府は船内に残った原油の流出を避けて燃焼させるために船体を爆破、3月30日に沈没した。流出した原油は8万トン以上に及び、タンカー事故で広範囲に原油が流出して海洋を汚染した最初の事故となった。これをきっかけに国際海事機関(IMO)は1969年に「油による海水の汚濁の防止に関する国際条約」を改正、さらに1973年にこれを発展的に強化した海洋汚染防止条約(マルポール条約)が採択されるに至った。
-
- このころから世界中で大型タンカーが建造され始めたが、当初知りえなかった現象(静電気の発生、それが残油に引火)により、多くの船が爆発炎上している。日本のタンカー及び日本に寄港したタンカーにおいても、サウジアラビアにおける海藏丸火災事故(同国ラス・アル・カフジに入港中のタンカー海藏丸(総トン数20949トン)が、船内に侵入・滞留した石油気化ガスに引火して爆発炎上し14名が死亡)や、室蘭港におけるヘイムバード火災事故(ノルウェー船籍のタンカー・ヘイムバード(総トン数35355トン)が室蘭港への接岸に失敗し、原油を大量に流出させた所へ曳船のエンジンの火の粉もしくは火花から石油気化ガスに引火。同船は大爆発を起こして27日間にわたって燃え続け、10名が死亡すると共に一時は周辺住民に避難命令が出された)など、大規模な炎上事故が起こっている。
-
[編集] 1968年(昭和43年)
[編集] 1969年(昭和44年)
- 野島崎南東沖合を航行中のばら積貨物船「ぼりばあ丸」(総トン数33768トン)の船首部分が突然折損脱落して航行不能となり、約1時間後に沈没。長沢吉三郎船長ほか乗組員30人が行方不明となった。翌1970年(昭和45年)2月9日にも野島崎東方沖合で鉱石船「かりふおるにあ丸(同34001トン)」の遭難事件(船体破損により浸水沈没。船長ほか4名死亡)が発生し、どちらも就役して5年も経たない(ぼりばあ丸:3年3ヶ月、かりふおるにあ丸:4年4ヶ月)新鋭大型貨物船が相次いで船体破損で沈没したことは、当時大型船の建造を推し進めていた日本の造船業界に大きな衝撃を与えた。
[編集] 1970年代
[編集] 1970年(昭和45年)
- 静岡県の田子ノ浦港を出航した合洋海運の砂利運搬船第1合洋丸(総トン数349トン、乗員5名)が行方不明となったと船主より海上保安庁に届出があった。1月31日以降同船と連絡が取れておらず太平洋上で沈没したものと推察された。
- 千葉県犬吠埼の沖合い約300kmの太平洋上で第一中央汽船の鉱石運搬船「かりふぉるにあ丸」(総トン数61000トン、乗員29名)が、船首部分を破損して浸水をおこして沈没。乗組員のうち24名は無事に救助されたが、住村博船長(当時45歳)は船長としての責任を取るべく「船と運命を共にすると」言い残し、救助される事を拒否。ブリッジより乗組員へ別れを告げ、そのまま沈没した船と運命を共にした。この事故では船長の他に合計5名が死亡した。
[編集] 1971年(昭和46年)
[編集] 1972年(昭和47年)
[編集] 1974年(昭和49年)
- 和歌山県南端の潮岬沖でリベリア船籍の貨物船「オーシャン・ソリバーン」が高知県のマグロ漁船「第十一昌栄丸」に衝突、「第十一昌栄丸」は転覆・沈没。死者行方不明14名。
[編集] 1976年(昭和51年)
- 宮崎県の細島港から広島県の広島港に向かっていた日本カー・フェリー所属のカーフェリー「ふたば」(総トン数1933トン)が山口県のミルガ瀬戸で、パナマ船籍の貨物船「グレート・ビクトリー」(同7519トン)と衝突、「ふたば」が沈没。「ふたば」の乗員28人と乗客58人のうち5人が死亡・行方不明となり車両24台も水没した。日本国内でカーフェリーで発生した初の人身死亡事故となった。
- リベリア船籍のタンカー「アルゴ・マーチャント」がアメリカのマサチューセッツ州ナンタケットで座礁。数日後に船体は破断し、積荷の燃料油29000キロリットル全量を流失、極めて深刻な海洋汚染を引き起こした。
[編集] 1978年(昭和53年)
- 今治市東門町一、寿汽船所属の「第8福徳丸」(総トン数342トン、野崎幸夫船長ら4人乗り組み)は午後2時半過ぎ、セメント原料約600tを積んで香川県・直島港を出港、福岡県・苅田町の三菱セメント苅田工場に向かったが、同4時頃、坂出沖付近を航行中、船舶電話で「17日午前7時ごろ到着する」と苅田工場に連絡したのを最後に消息を絶った。寿汽船からの連絡で、第六管区海上保安本部は18日朝から巡視船20隻、飛行機3機動員して捜索を開始。23日朝からも走査線を10隻に減らしたものの、飛行機3機を引き続き飛ばして捜したが手がかりは全くなかった。同本部では「遭難したとすれば海面に油が浮いたり漂流物が見つかる。全く謎の蒸発」と言った。予定を変更して上陸した形跡はなく、船内で何かが起きて外洋に出たという情報もない。
- 兵庫県の神戸港から宮崎県の細島港に向かっていた日本カー・フェリー所属のカーフェリー「さいとばる」(総トン数6574トン)が、愛媛県の来島海峡で大韓民国のタンカー「チャン・ウォン」(同3409トン)と衝突して転覆沈没した。乗用車69台とトラック69台とコンテナ4個と多数の積荷が水没する甚大な被害が生じたが、幸い深夜かつ強潮流の悪条件の中から乗員・乗客245人全員無事に救出された。
[編集] 1980年代
[編集] 1980年(昭和55年)
- 野島崎東南東沖合約800海里(約1500km)を航行中のばら積貨物船「尾道丸」(全長226.4m、総トン数33833トン)が、船首方向からの強いうねりの中、波高20mほどの大波に突っ込んだ際に船首部分が上方に折損(スラミング現象による)、その後脱落して航行不能となった。「尾道丸」の前方を航行していた鉱石運搬船「だんぴあ丸」が引き返し、翌1981年(昭和56年)1月1日に「尾道丸」乗組員29名全員を無事救助する。この事故が乗組員全員を無事救助した初のケースとなった。
[編集] 1980年(昭和56年)
- 下甑島付近を航行中の貨物船「日昇丸」(総トン数2350トン)にアメリカ海軍所属のジョージ・ワシントン級原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン」が海中から急浮上したため衝突、「日昇丸」は船底を破壊されたため沈没した。乗員2名が死亡。なお潜水艦が救助せずに現場海域から離れたことに対し、非難された(米原潜当て逃げ事件)。
- 旧ソ連のウィスキー級潜水艦「U-137」が、航法の誤りからスウェーデンの領海を侵犯して座礁。死傷者はなかったが、事故発生場所がスウェーデンの軍港付近であったこともあり国際問題に発展した。
[編集] 1982年(昭和57年)
- ベーリング海で遠洋底引網漁業に従事中、原料置場の設備が破損して置いてあった大量の魚が流動化、船体動揺と魚などの流動化とが相まって激しく横揺れしたときに海水が船内に進入、沈没。乗組員33人中、24人が行方不明、8人が死亡した。
[編集] 1983年(昭和58年)
- 旧ソ連のウリヤノフスク近郊でヴォルガ川に架かるウリヤノフスク橋 (Ульяновский мост) の橋脚に客船「アレクサンドル・スヴォーロフ」 (Александр Суворов(英語)、定員400人) が衝突。橋脚が移動し、走行してきた貨物列車が脱線し、この船の上に転落した。死者176名以上。
[編集] 1984年(昭和59年)
- 2月15日 - ベーリング海漁船衝突事故
- ベーリング海で操業中、猛吹雪となったために支えの態勢をとっていた「第十一協和丸」(24人乗)と、他の船に引き渡すオブザーバー4名を乗せた「第十五安洋丸」(25人乗)が100m程度の視界の中で衝突、死者14名、行方不明者2名、負傷者5名を出す事故となった。
[編集] 1985年(昭和60年)
- カムチャッカ沖で操業中の「第五十二惣寶丸」が漁獲物を整理していたところ、船尾方向へ著しく沈み込み、大きなうねりで左舷側へ大きく傾斜した同船へ海水が流入して沈没。乗組員22名中、死者行方不明者20名。
- 定員超過の瀬渡船「開洋丸」が沖へ出たところ、大波を受けて転覆、乗員乗客26名全員死亡または行方不明。
[編集] 1986年(昭和61年)
[編集] 1987年(昭和62年)
- 銚子港より約十数km沖で乗員22名の青森県八戸市の福島漁業所属のイワシ漁船「第65惣宝丸」(総トン数80t)が強い横風と波高5mもの高波により沈没。船体2月27日に引き上げられたが、この沈没で死亡8名、不明7名となった。
- フィリピン客船「ドニャ・パス」(総トン数2640トン)とガソリンを積載した小型タンカー「ヴェクター」(同640トン)が、フィリピン・タブラス海峡で衝突し炎上、双方が沈没。正確な乗船数は不明だが、少なくとも1576人以上死亡、行方不明。平時における最大の海難事故といわれている。
[編集] 1988年(昭和63年)
- アイルランド向けに輸出される日本製自動車5458台を積載した自動車運搬船麗神丸(総トン数58000トン)がポルトガル沖で座礁。後日、この船の撤去には時間がかかり、また積荷の自動車が錆びて商品価値を失ってしまった事などにより積荷の新車ごと船ごと深度2000mの地点まで曳航した後に海に沈める事を提案、ポルトガル政府もこの案に合意した事により実行された。しかし、後日これは重大な環境破壊であると日本国内はもとより外国でも批判が高まった。
- 大阪港中央突堤北岸壁に停泊していたソ連船籍の貨物船「プリアムリーエ」(総トン数4870トン)が左舷中央客室付近から出火しロシア人旅行客の11名が死亡。船自体は消火活動により17時間後に鎮火、沈没は免れた。
- ペルー・カヤオ港外でペルー海軍所属の潜水艦「パコーチャ」に、日本の遠洋マグロ漁船「第8共和丸」が衝突して潜水艦が沈没。艦長ら8名が死亡。なお同艦は元は米海軍バラオ級潜水艦「アトゥル」で、1944年に浅間丸を撃沈した潜水艦であった。
[編集] 1989年(平成元年)
- 原油タンカーエクソンバルディーズがアラスカ州プリンスウィリアム湾で座礁、原油が流出した。流出量は推定で1080万ガロンとされ、周辺環境に重大な被害を与えた。
- 8月20日:午前1時45分 - マーショネス号転覆沈没事故
[編集] 1990年代
- 1991年(平成3年)8月
- ギリシャ船籍のクルーズ客船、オシアノス (総トン数14000トン) が防水設備の修理を終えないまま出航、南アフリカ東海岸沖で沈没した。この事故では乗客を残して先に逃げた乗員の対応が非難を浴びる。全員無事。
- 1991年(平成3年)12月
- 日本からグアムを目指すヨットレース『トーヨコカップ・ジャパングアムヨットレース'92』に参加していた「たか」が29日に悪天候の為に沈没した。乗員7名のうち6名がゴムボートで脱出したが、わずかな食料しかなかったため、漂流から27日目の1992年(平成4年)1月25日に発見されたときには生存者は1名だけであった。生存していた彼は後に『たった一人の生還』(新潮文庫)の題名で手記を出版している。また同レースに参加していた「マリンマリン」も同様に沈没して8名が死亡しており、参加9隻のうち2隻が沈没し14名が死亡する日本のヨットレース史上最悪の惨事になった。
- スウェーデン船籍フェリー「エストニア」(総トン数21794トン)がバルト海の荒天下でに転覆沈没。852名死亡。
- 1994年(平成6年)11月30日
- 客船「アキレ・ラウロ」が火災を起こし、3日後に沈没。「アキレ・ラウロ」は1985年10月にハイジャックされた船(上記参照)である。
- 1997年(平成9年)1月2日 - ナホトカ号重油流出事故
- ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」が波浪により船体を破断し、6240キロリットルのC重油が海上に流出、日本海沿岸各地の広い範囲に深刻な汚染。船長が死亡、乗組員は脱出。除去作業にあたったボランティアに5名の死者を出す二次被害が発生した。
- マニラ-セブ島の定期航路「PRINCESS OF THE ORIENT」(総トン数13599トン、Sulpicio Lines(フィリピン)所有、元・ブルーハイウェイライン「さんふらわあ11」)が台風7号の嵐の中を航行中に沈没し、死者51名、行方不明者216名を出した。直接の沈没原因は荷崩れであったが、フィリピンでの大幅なデッキ増設工事により船体が不安定になっていたとも云われる。
[編集] 2000年代
- 2002年(平成14年)11月26日
- 自動車運搬船「HUAL・ヨーロッパ」(バハマ船籍、HUAL社(ノルウェー)所有)が、伊豆大島沿岸にて暴風雨の直撃を受け座礁。乗員24名は全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊し火災が発生。航行不能および重油流出。
- 2002年(平成14年)12月5日
- 日立港で北朝鮮船籍のチルソンが座礁して重油が流出、のちに船体は放棄された。船舶所有者側による保障措置が何らなされなかったことから、無保険船の日本寄港を制限する油濁損害賠償保障法(改正後の名称は船舶油濁損害賠償保障法)改正のきっかけとなった。
- 2003年(平成15年)7月6日
- 上記海難事故の4日後、貨物船「コレックス・クンサン」(韓国船籍)が玄界灘にて、夜間の警戒不備により漁業取締船「からしま」(水産庁所属)に衝突。「からしま」は乗員全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊して沈没。「コレックス・クンサン」は乗員全員無事であったほか損壊もなかった。なお、相次いだ2件の海難事故については、事故の規模に対する報道の少なさが恣意的ではないかと問題視する者もいる(「同時期に発生した児童殺害事件が比較的大きく扱われていただけ」とも考えられる)[要出典]。
- コンテナ船「ZIM・アジア」(イスラエル船籍、ZIM社(イスラエル)所有)、北海道の根室市沖合いにて、夜間の警戒不備によりサンマ漁船「第三新生丸」(日本船籍)に衝突。「第三新生丸」は乗員7名死亡し、船体はほぼ全部を損壊し沈没した。「ZIM・アジア」は乗員全員無事で船体の損壊もほとんどなかったが、救助活動をおこなわず逃走した。
- サウジアラビアからエジプトに向かって紅海を航行していた1400人乗りのフェリー「アル・サラム・ボッカチオ98」が、フェリーデッキに積載していた車両からの火災が原因で沈没し、1000名以上の死者・行方不明者を出した。多くの犠牲者を出した原因としては、悪天候のほか、老朽船であったことや建造後の改造により重心が極めて高くなっていたことが要因となり、消火活動中にバランスを崩して転覆したことが指摘されている。なお、生存者の証言によれば船長が真っ先に逃亡したとされる。
- 2006年(平成18年)7月23日
- 自動車運搬船「クーガー・エース」(シンガポール船籍、総トン数55000トン、商船三井(日本)所有)、米国・アラスカ州のアリューシャン列島沖合いにて、暴風雨の直撃を受け転覆。乗員23名は全員無事だったが、船体はほぼ損壊ないものの80度に傾き横転し航行不能となる(重油流出なし)。積荷の乗用車4,703台(全てマツダ製)および小型トラック110台(全ていすゞ自動車製)が全損扱いとなり廃棄される。
- 『フローティングレストラン・スカンジナビア』として2005年3月まで静岡県沼津市西浦木負で使用され、現存していたクルーズ客船では最古の「ステラ・ポラリス」が、伊豆箱根鉄道より建造国であるスウェーデンの企業に買収された後、中国・上海での改修工事の行うため8月31日に出航し航行中、和歌山県潮岬沖3km(水深72m)の海上で沈没。乗船者はおらず死傷者はなかった。
- 2006年(平成18年)10月6日
- 茨城県鹿島港外にてパナマ船籍の貨物船「ジャイアント ステップ」が急速に発達した低気圧による暴風のため走錨して座礁し船体を切断。10名死亡または行方不明。ほぼ同時・同位置にて、「オーシャンビクトリー」、「エリダエース」も座礁し、連続事故となった。同日には、女川港沖でサンマ漁船「第七千代丸」が高波をかぶって機関停止し座礁・横転。16名死亡または行方不明となる事故も発生している。
- 2006年(平成18年)11月21日
- 海上自衛隊の練習潜水艦「あさしお」が宮崎県沖で訓練航行中、パナマ船籍の貨物船「スプリング オースター」と接触。「スプリング・オースター」は船底部にわずかな亀裂と少量の浸水を起こし、「あさしお」は縦舵を損傷するも、双方とも負傷者はなかった。なお、 「スプリング・オースター」側は当初、潜水艦との接触したことに気付かなかったという。また、一部の専門家によれば「あさしお」の損傷は『沈没してもおかしくない』ほどであったともされる[12]。
- 原子力潜水艦「ニューポート・ニューズ」(アメリカ海軍所属)がホルムズ海峡にて、警戒不備によりタンカー「最上川」(日本船籍、16万トン、川崎汽船(日本)所有)に衝突。「最上川」は乗員全員無事だったものの船底部を損壊し航行不能となった(重油流出なし)。「ニューポート・ニューズ」は乗員全員無事で損壊および放射能漏れもなかった。
- 2007年(平成19年)1月18日
- コンテナ船「MSC・ナポリ」(英国船籍、MSC社(スイス)所有)が英国・デヴォン州沖合いにて、暴風雨の直撃を受け座礁。乗員26名は全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊し航行不能となる。さらに重油の流出および、約50個のコンテナが沿岸に漂着した。
- 2007年(平成19年)7月6日
- 2007年(平成19年)7月27日
- 貨物船「アルファ・アクション」(ギリシャ船籍、総トン数77000トン)が伊豆諸島の利島沖合いにて、夜間の警戒不備により、コンテナ船「ワンハイ307」(シンガポール船籍、総トン数26000トン、ワンハイ海運(台湾)所有)に衝突。「ワンハイ307」は乗員全員無事だったものの、船尾を損壊し航行不能となり、重油が流出した。「アルファ・アクション」は乗員全員無事だったものの、船首を損壊し航行不能となった(重油流出なし)。
- 海上自衛隊のイージス艦「あたご」がハワイでのミサイル発射実験から帰投途中、千葉県野島崎沖の太平洋上で三宅島北方に向け移動中のマグロ延縄漁船団と交錯したさいに船団の一隻「清徳丸」と衝突、あたごの舳先で清徳丸は両断し沈没。乗員の父子2人が行方不明となった。
- 2008年(平成20年)3月5日
- 神戸市垂水区沖の明石海峡付近で、「第五栄政丸」が「オーシャンフェニックス」に衝突。その後「オーシャンフェニックス」が「ゴールドリーダー」(ベリーズ船籍)に衝突し、「ゴールドリーダー」が沈没。乗組員9人のうち3人が行方不明となった。
- 2008年(平成20年)6月22日
- フィリピンシブヤン島沖で、台風6号の影響によりフェリー「プリンセス・オブ・ザ・スターズ」が沈没。乗客700人以上が死亡または行方不明となった[13][14][15]。 ※詳細は、プリンセス・オブ・ザ・スターズ#転覆事故を参照。
- 2008年(平成20年)12月7日 - Hebei Spirit号原油流出事故
- 韓国・秦安近海に停泊していたタンカー「ホベイスピリット」にサムスン重工業所属のクレーン船が衝突。12547キロリットルの重油が流失し、韓国史上最大規模の海洋汚染となった。原因は、航行中であるクレーン船を曳航中のタグボートが、停泊中の船舶「ホベイスピリット」を迂回する義務があるにもかかわらずそれを無視し、近道をしようと「ホベイスピリット」に接近。その後、波浪と曳航ワイヤの破断等によってコントロールを失ったことである。しかし、韓国では「(停泊していた)タンカーに責任がある」とし、インド人の船長と一等航海士に有罪判決を下した。このことから、インドではサムスン製品の不買運動が発生したほか、各国の船員組合が韓国行きをボイコットしようとするなど波紋が広がった。
- 海上自衛隊の護衛艦「くらま」が観艦式から帰投途中の関門海峡において、他船を追い越そうとした韓国籍の貨物船「カリナスター」に衝突されて炎上し、乗組員6人が軽傷。この事故に関して、関門海峡事務所が事故直前にカリナスターに出した指示(前方を航行中の船を追い越すことを示唆)と、カリナスターの操船(海峡通過中にもかかわらず、前方を航行中の船を追い越そうとした)に疑問の声が上がった。
- 2009年(平成21年)11月13日
- 東京発志布志経由那覇行のフェリー「ありあけ」(マルエーフェリー、乗員21名乗客7名)が三重県熊野市の沖合を航行中、大波により積荷が片寄ったことにより船体が傾斜し、救難信号を発したのち熊野港に避難を試みるも座礁した。乗員乗客は全員救助されるが船体は横倒しになったほか、重油が流出した。[16] ※詳細は、マルエーフェリー#トラブルを参照。
[編集] 2010年代
- タンザニア・ペンバ島とザンジバル島の間の海域でフェリー「Spice Islander I」が沈没。死者240人以上。
- イタリアのジリオ島付近にある浅瀬で、「コスタ・コンコルディア」が座礁し、その後浸水・横転。
詳細は「コスタ・コンコルディアの座礁事故」を参照
[編集] 海難事故に関する創作物一覧
[編集] 映画
※ タイタニック沈没を扱った作品群についてはタイタニック (映画)を参照。
[編集] ノンフィクション
- 沈んだ船を探り出せ
- アメリカの小説家、クライブ・カッスラーが稼いだ印税を使って沈船の探索を行なった記録。
[編集] アニメ
[編集] コンピューターゲーム
[編集] クラシック音楽
- 超絶技巧練習曲集 - ブライアン・ファーニホウによる組曲。
[編集] 脚注
- ^ 朝日新聞・昭和38年1月18日朝刊記事
- ^ 朝日新聞・昭和38年1月19日朝刊記事
- ^ 朝日新聞・昭和38年4月25日朝刊記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年3月27日記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年3月31日及び4月4日記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年3月31日及び4月5日朝刊記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年5月12日及び14日記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年5月16日朝刊及び夕刊記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年6月5日夕刊記事
- ^ 朝日新聞・昭和39年8月31日記事
- ^ “貨物船尾道丸遭難事件”. 海難審判所. 2011年2月13日閲覧。
- ^ 『軍事研究』2007年3月号
- ^ フィリピン沖で沈没の大型フェリー、生存者28人を発見 - AFPBB News(2008年6月23日付、2010年8月16日閲覧)
- ^ 台風通過中のフィリピンでフェリー沈没、700人超が行方不明 - ロイター(2008年6月22日)
- ^ 人数については報道機関によりまちまちとなっている。
- ^ 三重県沖、フェリーから救助要請 乗客7人は全員救助 - 47NEWS(共同通信社、2009年11月13日付・2010年10月29日閲覧)
[編集] 関連項目
- 海浜事故
- 遭難
- 海上保安庁
- 海難審判所 - 海難審判
- 海難審判庁
- 日本水難救済会
- 安全工学
- ヒューマンエラー
- 潜水士
- 救難員
- 降下救助員
- 航海データ記録装置
- 浦終い
- 軍艦の事故
- 石油流出
- 漂流者
- 正福寺 (鳥羽市)