星一徹
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星 一徹(ほし いってつ)は、梶原一騎原作・川崎のぼる作画の野球漫画『巨人の星』に登場する架空の人物で、主人公である星飛雄馬の父である。右投げの三塁手だった。現役時代は右投げ左打ちだったか、引退後、飛雄馬を鍛えるときと中日コーチ就任時は右投げ右打ちとなった。
アニメ版での声優は加藤精三。
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[編集] 来歴
[編集] 巨人軍選手時代
物語開始以前(昭和16 - 18年頃?)巨人軍に在籍、のちに川上哲治が「幻の史上最高の三塁手」と評したほどの名選手だった。太平洋戦争の折に徴兵を受け戦場へ赴く。戦場で利き肩を負傷し、以前の様な送球能力を失ってしまった。帰国当初は野球にやる気を失っていたが、妻・春江の励ましで再起。巨人へ復帰後は送球の遅さを補うため、一塁へ走る打者走者の目の前を横切ってから急激に曲がって一塁手に渡る「魔送球」なる奇手を編み出す。が、球が当たらぬ事を読まれない為に時折走者にぶつけると発言、その考えを川上哲治に否定される。また自らもその過ちに気付き、プロ野球界から去った。
原作冒頭で記者が読み上げた資料によると、一徹は巨人軍で昭和17年と同23年だけに登録されていた。ちなみに、原作第1巻の川上哲治が魔送球を回想したシーンでの一徹の背番号は18。
[編集] 息子・飛雄馬誕生後
市井の民となった後はドヤ街の長屋に住み、日雇い人夫として家族を養うが野球への未練を断ち切れず、酒浸りの荒れた日々を送る。そんな思いは妻・春江の死を経て、息子・飛雄馬への猛烈な野球の英才教育へ傾倒する原動力となった。
この頃の特訓は後年に比べても常軌を逸したものも多く、ある時などは長屋の真ん中で、ガソリンをかけ火をつけたボールを飛雄馬(このときの格好は猿股一丁にサンダル)にノックし、飛雄馬にサンダルで火の球を蹴りかえさせ、一塁方向へ送る訓練を連日続けたりしている。
この様な日々が続き、幼い飛雄馬は相当に父を憎んだが、前述の通り(飛雄馬・幼少期の項参照)なんとか野球の楽しさに目覚めてくれた飛雄馬はジャイアンツ入団の決意を父に語る。この際、一徹は宵の明星を指差し「巨人の星」に例え、飛雄馬に巨人の大きな明星となる様に励ます[1]。以後一徹はその日まで禁酒を宣言して[2]ぷっつりと酒を断ち、以降は若干親らしい愛情も見せる様になった。但し、厳しい特訓癖はその後も永きに亘り持続している。
- ^ このシーンは後年アニメのエンディングで繰り返し流され、本作を代表するシーンとなった。「巨人の星」が具体的にどの星か、という問はファンの興味を引き、テレビ番組やウェブサイトなどでしばしば取り上げられる。長屋が壊された時、野球への情熱を失っていた飛雄馬は「巨人の星も意味はなくなり、スーパーマーケット上空の星に過ぎん」と言っている。もちろん、星が店の上に固定されているわけではない。『新・巨人の星』では伴重工業グラウンドのベンチから見えた夜の一番星となっている。
- ^ 『新・巨人の星』では屋台などで酒をあおる様になったシーンが見られる。
[編集] 親子から師へ、そして敵へ
飛雄馬の青雲高校在学中、野球部監督の候補者を探し回っては断られた伴大造の依頼で青雲高校の野球部監督を引き受けるが、部の実力が甲子園レベルまで向上した事を見届けるかの如く、東京都大会直前に退任。
1968年オフ、川上監督直々の二軍コーチ就任要請を断り、打倒・巨人に燃える中日ドラゴンズの招聘によりコーチとなる。背番号は「84」。就任と同時にカージナルスよりオズマを獲得し、“大リーグボール打倒ギプス”(大リーグボール養成ギプスの強化改良版)による特訓の結果、オズマは「見えないスイング」を習得。超人的なスイングにより飛雄馬の大リーグボール1号を破る事に成功する。
1969年から1970年までの年末年始をはさんだオフ、契約切れによるオズマの帰国後は巨人よりトレードで伴を獲得。伴に鬼と呼ばれるほどの苛烈な特訓を課し、伴を飛雄馬の刺客に改造する事に没頭した。
1970年の開幕戦で、伴と共に大リーグボール2号をあと一歩まで追い込みながら、大リーグボール1号を投げてまで悪戦苦闘する飛雄馬の姿につい涙し、それをごまかすためにサインミスをしてしまうという致命的なミスを犯す。それまでの狂気じみた態度は全て飛雄馬を一流の野球人にする為にあえて行っていたものであったのだ。
最後は投手生命を犠牲にして伴と自身との最終決戦に勝利した飛雄馬をたたえ、アニメでは飛雄馬を背負い、親子共々球場を去っていくという感動的なシーンを迎えた(原作ではそこまではしないが、やはり飛雄馬との勝負終了を微笑と共に宣言した)。
中日コーチ時代、一徹は水原監督から作戦や代打起用の面でも指揮を任され、ヘッドコーチに近い役割だった。本来なら1970年から巨人OBの与那嶺要が中日のヘッドコーチになっていたはずだが、作品ではほとんど描かれておらず、与那嶺は『侍ジャイアンツ』と『新・巨人の星』で中日の監督、後に巨人コーチとして登場する。
[編集] その後(『新・巨人の星』以降)
老境後、頭髪こそ急速に白髪化した(設定では当時まだ55 - 58歳)ものの、若いうちに鍛え上げた心身は老いてなお健在(服装はなぜか和装に変わった)で、花形と明子の結婚後も「ご立派な佇まい」の花形邸に住もうとはせず、安アパートで独居生活を営む。
そんな折、伴を通して巨人軍復帰を密かに誓いトレーニングを積む飛雄馬と再会する。当初は巨人復帰に反対し、「左腕時代の飛雄馬は完全に巨人の星をつかんだとはいえなかった」と厳しい評価をするが、飛雄馬が復帰してからは、伴と同様、巨人OBとして飛雄馬に協力。下半身につける「大リーグボール養成ギプス右投手用」を作って飛雄馬に与え、伴とともに飛雄馬の「大リーグボール右1号」開発の特訓に参加している(アニメでは大リーグボール右1号開発は飛雄馬とアニメオリジナルキャラクターの丸目の二人)。
これ以降、アニメと漫画原作とでは彼の人生に大きな違いが見られる。
- アニメ『新・巨人の星II』のラストでは、飛雄馬がまだ現役で活躍する中、一徹は自室の床で誰にも看取られる事無く、独り静かに、だが飛雄馬の雄姿を見届けながら激動の人生を終えていく(享年58)。
- 漫画『新・巨人の星』及び『巨人のサムライ炎』では最後まで存命、二軍コーチとして巨人に尽力する飛雄馬を「飛雄馬は二度も巨人の星になった」と言って評価するようになっている。
このようにアニメの終盤では死んだことになっているが、その後のパロディやCMなどでは、たびたび「復活」している。
[編集] 人物像
[編集] 父親としての一徹
一徹というキャラクターは、日本でもっとも有名な父親像のひとつである。
身を粉にして高度経済成長期を日雇い労働者として支え、同時に息子を一流投手に育てあげ、後に彼の乗り越えるべき最大の壁として立ちはだかる一徹は、昭和中期における理想の父親像でもあった。自分の果たせなかった夢を息子に強要するのは、作中で飛雄馬もくりかえし反発している通り父親のエゴであるが、戦争のため、あるいは戦後の復興期を支えるために自分の夢を諦めざるを得なかった一徹らの世代には自然な感情でもあったのである。
しかし、日本が豊かさを取り戻す頃には、そうした父親像は時代とズレを生じるようになり、「ちゃぶ台返し」「火の玉ノック」などの奇行面が強調され、パロディ化されて描かれる様になっていく。1980年代子供への体罰が問題視されるようになると、この傾向はいっそう強まる。他方、「父性の喪失」が言われる様になると、その存在はある種の郷愁をまとってふりかえられる様にもなる。
『新・巨人の星』冒頭で一徹が飛雄馬の少年時代から左腕破壊までを回想するが、ほとんど作者による新読者への説明のようになっており、「楽しかるべきはずの食卓をひっくり返しわが子をなぐりつける狂乱の父!」、「狂気とも見ゆる父の火だるまボールのノック」などと一徹自身を酷評している。
現在に於いても『一徹』という名前は「スポーツ選手の父親」の代名詞的存在である。しかし、そこには「息子(娘)をエリート選手に育てようとするあまり、度がすぎて(飛雄馬の様な)歪な人格の持ち主に育ててしまう人物」という揶揄が含まれることが多い。プロ、アマを問わず、一部有名スポーツ選手の親にもそういう性向が見られる。だが、「獅子は千仞の谷にわが子を落とし、這い上がったものを後継とする」という本来の一徹像とは異なるものである。
星一家(星飛雄馬星一徹星明子星春江)は、根性この言葉を常に頭に置いてあるが、一家は、涙もろい面もあり星一徹でも涙をこぼすこともある。
[編集] 野球人としての一徹
とかく傑出した野球人の才能を持つ一徹だが、飛雄馬の育成にあたっては「協調性」や「チームプレー」については後手に回らざるをえなかった。秘密主義を通したのは、(昨今の若手スポーツ選手に見られる)早いうちからマスコミに持ち上げられ精神的な成長がないまま自滅するのを嫌ったためであるが、これが 後の飛雄馬の個人プレイ体質を促したと言える。
一徹はもっぱら長屋で飛雄馬に一対一で野球を教えており、飛雄馬が初めてチームプレーの野球を経験したのは、皮肉にも野球を嫌悪して家出し、花形満と出逢ったからであった。つまり、父親に押し付けられていた野球を嫌がって家出した少年が、草野球にたまたま参加して野球の本当の面白さを知るという話である。そこで飛雄馬は王によって守備の甘さを突かれるなど個人コーチの限界を味わった。一徹自ら飛雄馬にチームプレイを諭すのは高校野球まで待たなければならない。 青雲高校野球部の短期監督に就任した際などは、大リーグのベルト打法にヒントを得たという「へそ打法」で青雲の打者に飛雄馬の剛球を打ち込ませ「自分一人さえいれば勝てる」と鼻を高くする飛雄馬を打ち込み、チームプレーの尊さを教えた。
一徹の育成方針はいわゆるスパルタ式に相当するものであるが、いたずらに特訓したり単純に精神論を説くというものではなく、技術的な裏付けと目標に到達するための精神(=根性)を育成させるためのである。オズマの大リーグボール打倒ギプスや伴のトレードに関しても、相手を論理的に説得している。
左門豊作が飛雄馬の消える魔球に関する弟、妹たちからのスパイ情報を拒否したことについて、一徹は「勝負魂」として評価していたが、一方で、一徹は明子が口を滑らした情報は採用している(左門も牧場春彦がうっかりして漏らした「スコアを見た星君のお父さんが急に青ざめ…」の言葉から飛雄馬の速球の弱点に気づいた)。
[編集] 住まい
飛雄馬と明子がマンションに引っ越して一徹の一人暮らしになったのち、中日コーチ就任以後は名古屋住まいとなるが、しばらくは東京下町の長屋の星家を借り続け、オズマによる大リーグボール1号打倒直後のオールスターの時期などは長屋に帰って春江の遺影に語りかけていた。しかし、消える魔球が打倒されたあとには長屋が取り壊されている。
河崎実は『巨人の星の謎』(宝島社)で「一徹の名古屋での生活は作品に全く出てこない」とし、「一徹は明子が結婚したあとも豪邸を拒否して独居するほどの偏屈だったから、中日コーチ時代から質素なアパート暮らしだったのだろう」と推定しているが、実際は大リーグボール3号登場直後に「中日ドラゴンズ宿舎」で和服を着てくつろぐ一徹とワイシャツ姿の伴が「関西スポーツ」紙の記事について語る場面がきちんと描かれている(終盤の「ある座談会」後半)。
河崎実は一徹が東京の長屋で「巨人軍の親会社の新聞」ともう一紙別のスポーツ新聞を購読していたことに注目し、「名古屋に引っ越した一徹は購読紙を『中日新聞』に変えたか」と推定している。
アニメでは民宿のようなところに泊まっている場面が多い。
[編集] 経済面
一徹は長屋の貧乏生活時代にバネ6本で「大リーグボール養成ギプス」を作ったが、中日コーチ就任直後は約50本ものバネで「打倒ギプス」を製作(柳田理科雄は「49本」と書いているが、それは前から見えるバネだけ)。また、一徹は川上監督に伴トレードを承諾させるため、花形と左門の消える魔球打倒特訓を視察し、名古屋住まいのはずが冬の六甲山から九十九里浜まで一人で移動し(アニメでは一新聞記者に依頼して代理で調査させ、電話で報告させていた)、海外旅行中の川上夫妻に国際電話をかけ、川上監督一行が帰国する空港におもむいて一人で待ち受け、その場でトレードを成立させていた。
[編集] コーチ辞任の巨人、中日との関係
1970年の初め、一徹が語った伴トレードの目的は「打倒巨人」、「中日優勝」と「大リーグボール3号も4号もたたく」ことだった。しかし1970年に飛雄馬が3号のあとに失踪すると一徹と伴はあっさりと退団し、その年、中日は優勝できなかった。中日が優勝するのは1974年で、梶原漫画では与那嶺要率いる中日が大砲万作を起用して昇り竜のように強くなっており、大洋(現・横浜)の左門豊作以外の『巨人の星』レギュラーは球界を離れていた。一徹が伴を使って打倒するはずだった「大リーグボール4号」に当たる右1号の「蜃気楼の魔球」は一徹と伴自身が協力したもので、時代もすでに1978年になっており、この時期には与那嶺要も古巣・巨人に戻ってコーチとなり、飛雄馬たちの特訓を長嶋に報告していた。
[編集] その他
一徹には上記に挙げた厳格な性格が突出しているため、他のパーソナリティはあまり知られていないが、下記に記した様に、意外と博学な面も見せており、原作者・梶原一騎の思想を色濃く体現した“分身”的存在ともなっている(原作漫画連載当時、掲載誌・週刊少年マガジンには梶原が執筆した『星一徹の人生相談』なる題名の人生相談コーナーが巻末に連載され、読者の悩みを“一徹”が作中の如き厳格に、だが少々甘めにズバッとアドバイスしている時期もあった)。
- 明子・飛雄馬に対しては、鎌倉時代の執権・北条時頼にまつわる「鉢の木」の逸話、国定忠治と千葉周作の逸話、坂本龍馬の生き様などを語って聞かせるなどしている。カーブ (球種)の創始者についてはキャンディ・カミングスでなく、フレッド・ゴールドスミス(作中でフレディ・~)説を支持している(KC11巻、文庫7巻、「契約更改」)。
- 一徹が飛雄馬に教えた坂本龍馬の台詞「死ぬときはどぶの中でも前のめり」は出典不明。もちろん、龍馬が実際にそういう死に方をした訳ではない。ところが、宝島社『マンガの読み方』によると、漫画の性質上、龍馬がどぶの中で前のめりに倒れる絵が何度か出てくるせいで、一部読者の中には「龍馬はドブの中で腹ばいに倒れて死んだ」と勘違いした人が多いという。
- 妻・春江の遺影には、撮った方向から見て右斜め前と左斜め前の両方があり、裏焼きでない限り少なくとも3種類はある。
- 一徹が怒ったときのちゃぶ台をひっくり返すシーンは、後日パロディ化もされた。ただし実際劇中で一徹がちゃぶ台をひっくり返したのは2回のみである。主題歌の流れるエンディングの映像に毎回流れる事から、一徹は怒ると毎回ちゃぶ台をひっくり返すという印象がついたとされる。またちゃぶ台は丸いテーブルのイメージがあるが、実際は四角である。従来はこのちゃぶ台返しの場面は一度しかないとされていたが、この一度だけとの説は間違いで第2話、第120話の2回あることが2008年12/18放送『思い込みは一生の恥クイズ!本当にそれでいいんですね!?』で判明した。(ただし、原作漫画では1回のみである。)
※ この他、彼のパーソナリティに関する詳細な分析は恒星社厚生閣より2001年に出版された研究書『社会学的世界 増補改訂版』などに詳しい。
[編集] 関連項目
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