川端龍子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川端 龍子(かわばた りゅうし、 1885年6月6日 - 1966年4月10日)は、大正~昭和期の日本画家。
目次 |
[編集] 生涯
本名は昇太郎。1885年(明治18年)和歌山県和歌山市に生まれ、10歳の頃に家族とともに東京へ移転した。弟は俳人の川端茅舎(ぼうしゃ)であり、龍子自身も「ホトトギス」同人の俳人でもあった。
画家としての龍子は、当初は白馬会絵画研究所および太平洋画会研究所に所属して洋画を描いていた。1913年(大正2年)に渡米し、帰国後、日本画に転向した。渡米中、ボストン美術館にて鎌倉期の絵巻の名作「平治物語絵詞」を見て感動したことが、日本画転向のきっかけであったという。1915年(大正4年)、平福百穂(ひゃくすい)らと「珊瑚会」を結成。同年、院展(再興日本美術院展)に初入選し、1917年(大正6年)には院展同人に推される。その後、1928年(昭和3年)には院展同人を辞し、翌1929年(昭和4年)には、「会場芸術」としての日本画を主張して「青龍社」を旗揚げして独自の道を歩んだ。大作主義を標榜し、大画面の豪放な屏風画を得意とし、大正~昭和戦前の日本画壇においては異色の存在であった。
1931年朝日文化賞受賞、35年帝国美術院会員、37年帝国芸術院会員、41年会員を辞任。
第二次大戦後の1950年(昭和25)、65歳になっていた龍子は妻と息子の供養のため、四国八十八ヵ所巡礼を始める。6年がかりで全札所を回り、各札所で淡彩のスケッチ(画家自らは「草描」と呼ぶ)を残した。これらは、札所で詠んだ俳句とともに画文集『四国遍路』として出版されている。
1959年(昭和34年)、文化勲章受章。没年の1966年(昭和41年)には、居宅に近い東京都大田区の池上本門寺大堂天井画として奉納すべく『龍』を描いたが未完のまま死去。後日、遺族の相談を受け龍子の遺作を実見した日本画家の奥村土牛は作品を激賞。奥村が画龍点睛して開眼の上、作品は大堂に奉納された。
[編集] 龍子記念館
1963年(昭和38年)には、喜寿を記念して、長年住んだ大田区に龍子記念館を設立し、自作を展示した。館は、当初は社団法人青龍社が運営していたが、1990年(平成2年)、同法人の解散とともに土地建物と龍子の作品は大田区に寄贈され、1991年(平成3年)からは大田区立龍子記念館として運営されている。館に隣接する龍子のアトリエと旧宅庭園も公開されている。
また、龍子は自邸内に持仏堂を建てて古仏を安置していたが、これらのうち重要文化財指定の応保2年(1162年)銘・毘沙門天立像は遺族により東京国立博物館に寄贈されている。
[編集] 代表作
- 『霊泉由来』 永青文庫蔵 1916
- 『慈悲光礼讃(朝・夕)』 東京国立近代美術館蔵 1918
- 『安息』 松岡美術館蔵 1919
- 『土』 大田区立龍子記念館蔵 1919
- 『芭蕉翁』 和歌山県立近代美術館蔵 1923
- 『鳴門』 山種美術館蔵 1929
- 『請雨曼荼羅』 大田区立龍子記念館蔵 1929
- 『草炎』 東京国立近代美術館蔵 1930
- 『草の実』 大田区立龍子記念館蔵 1931
- 『山葡萄』 大田区立龍子記念館蔵 1933
- 『愛染』 足立美術館蔵 1934
- 『曲水図』 京都国立近代美術館蔵 1941
- 『洛陽攻略』東京国立近代美術館蔵(無期限貸与) 1944
- 『爆弾散華』 大田区立龍子記念館蔵 1945
- 『千住大橋』 大田区立龍子記念館蔵 1955

