ミゼットプロレス
ミゼットプロレス(Midget professional wrestling)は、いわゆる低身長症の人間が行うプロレス。通称「小人プロレス」。闘う人をミゼットレスラーと呼ぶ。日本では全日本女子プロレス(全女)で前座として行われていたのが有名。
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概要 [編集]
これも立派なプロレスであり、体格の小ささを利用したロープの隙間をくぐり抜けてのドロップキック、ロープに振られた際ロープの反動を利用して戻ってくるのではなくロープの間をくぐって戻ってくる、軽量を活かした高いジャンプなど、一般のプロレスでは見られない見せ場も多い。
北米 [編集]
日本 [編集]
日本においては1960年代前半に数回、日本プロレスと関わりのあったプロモーターが、アメリカのミゼットレスラーを招へいし、「小人プロレス国際試合」もしくは「小人国プロレス大会」と称し、ミゼットプロレス中心の興行を独自で打った記録が残っている。その際には前座で日本プロレスの選手も出場した[1]。
全日本女子プロレスが旗揚げされた際、ミゼットをメインとして行われ女子プロレスが前座扱いとされていたが、マッハ文朱がデビューして人気を得てからはメインは女子プロレスに移って行った[2]。
コミカルな面が強く、彼らを笑い物にしているとして一部の人権団体からは非難があり(これにより全女のテレビ中継でも全く扱われなかった)、森達也によるとあるミゼット選手が「どうして大きいのはいいのに小さいのは駄目なんでしょう」と漏らしたという。「自分が唯一輝ける場所がリングなのに、人権団体がうるさいからプロレスが出来なくなった。生き甲斐も仕事も失った」「自分は人前に出てはいけない人間なのか?唯一の認めてくれる場所を失って死ねというのか?俺たちは寿命も短いんだ。死ぬ前にもう一度リングに上がりたい」との選手の発言も記録されている(ミゼットの選手達は「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていた。実際、「自分の技に笑って1人くらい死ぬ人がいれば本望」と発言した選手もおり記録に残っている)。
また、かつては低身長症者は奇形の如く扱われ、就職などで差別されることも現在とは比べ物にならないくらいに多かったことから、ミゼットプロレスは低身長症の者にとって生活の糧を得る重要な就職口の一つであった。試合がない時には、テレビ局などからの依頼を受けて、小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もこなしていた。
身体的ダメージが蓄積されて身体障害を負うなど、健康を害する選手も多く、リスクに見合った金銭的な評価も期待しづらいため、後継者難に悩まされている(全女が経営難になる前は、秩父市に存在した全女の施設の管理人と言う形で、引退後の生活を保障されていたが、現在は施設も存在しないため、引退後の保障も無いと言う厳しい状況となっている)。一時期は選手がMr.ブッタマン一人しかいなくなり、試合が組めなくなったこともある。全女解散直前にプリティ太田がデビューして久方ぶりに試合が組めるようになり、全女解散後はAtoZに引き継がれるが、選手が2人しかいない状況が現在まで続いているため、NEO女子プロレス、NEO解散後はREINA×WORLDで一般レスラーと試合を組ませるようになり、ミゼット同士の試合は年1回あるかないかの状態である。
メキシコ [編集]
メキシコのプロレス(ルチャリブレ)においては、「ミニ・エストレージャ」と称した、大型レスラーのキャラクターを模した小柄なルチャドール(ルチャリブレのレスラー)が相当数いる。その大半はミゼットというより若干小柄という程度の体格だが、中には明らかに小柄な選手もおり、大柄な選手ではできないようなトリッキーかつ素早い動きによって観客の目を引き付ける重要な役割を果たしている。またリングネームに小さいの意味のある、cito(シート)やpequeño(ペケーノ)を付ける場合が多い。中にはマスカリータ・サグラダなど、本家を凌ぐ人気を誇る選手さえ存在する。一時期、日本のミゼット選手とメキシコのミニ・エストレージャによる対抗戦が行われたこともある(ただし、両者のファイトスタイルが違っていたので、噛み合ったとは言い難かった)。
有名なミゼットレスラー [編集]
- ジョージ・岡部
- 唐柔太
- ダイナマイト・キング
- 東健三
- スマイリー・キング
- ミスター・ポーン(ミスター・ポン)・・・Mr.ブッタマンの父親
- プリティ・アトム(ミゼット・イーグル、ジョージ小山)
- 隼大五郎(スモール・ブッチャー)
- 天草海坊主
- リトル・タイガー
- リトル・トーキョー(en:Shigeri Akabane)
- スカイ・ロー・ロー(初代NWAミゼット王者、en:Sky Low Low)
- ホーンスワグル(WWE)
- リトル・ビーバー(en:Lionel Giroux)
- ダイアモンド・リル(en:Katie Glass)
- ファーマー・ブルックス(en:Farmer Brooks)
- ファジー・キューピット(en:Fuzzy Cupid)
- ハイチ・キッド(en:Raymond Kessler)
- クロード・ジロー(ディンク、en:Claude Giroux (wrestler))
- ロード・リトルブルックス(en:Eric Tovey)
- マスカリータ・サグラダ(en:Mascarita Sagrada)
- マスカリータ・ドラダ(en:Mascarita Dorada)
- オクタゴンシート
- ラ・パルキータ
- ツキ(en:Tzuki)
- クイヘ
- チャッキー
- グアピート
- ブラウン・パンサー
- ブロック・パアンド
- ピーウィー・ジェイムス
- トム・サム
- パンチト・ジミネス
- バウンシング・バーグ
主なタイトル [編集]
- NWA世界ミゼット王座
- UWF世界ミゼット王座
- CMLL世界ミニエストラージャ級王座
- AAA世界ミニエストラージャ級王座
- AAAマスコットタッグ王座
- メキシコナショナルミニエストラージャ級王座
- WWA世界ミニエストラージャ級王座
- LLLミニエストラージャ級王座
- WWWA世界ミゼット王座
備考 [編集]
概要の項に既述した事情から、日本ではミゼットプロレスは試合中継などが難しい状況にあるが、過去においてテレビに登場した事例はいくつかある。
1960年代前半に「国際試合」と称した興行が日本で行われた際には、フジテレビが下記のとおり、試合中継を放映した。
- 1960年8月6日「小人国プロレス大会」(於:名古屋市金山体育館、ミゼットプロレスの「日本初の中継」と銘打たれている)
- 1961年3月26日「国際小人プロレス大会」(於:日大講堂)
- 1961年9月23日「国際小人プロレス大会」(於:品川公会堂)
- 1962年5月19日「小人のプロレス大会」(於:日大講堂)
また、日本テレビでも、「三菱ダイヤモンドアワー・プロレスリング中継」の枠内において、「小人国プロレス大会」のもようを、1961年4月14日(於:大阪府立体育会館)と同年4月28日(於:台東体育館)の2度にわたり生中継した[3]。
1980年代にはTBSテレビのバラエティー番組「8時だョ!全員集合」のメインコントに、ミスター・ポーンが数回出演。
1984年5月に同じくTBSテレビで放映された女子プロレスを題材にしたドラマ「輝きたいの」には、舞台である「東洋女子プロレス」に特別参加する“男子レスラー”という役柄で、当時の全女所属のミゼットレスラー数名が出演、ドラマでは台詞無しながらも数シーンに登場して演技をこなしたり、また数秒ながら実際の試合の模様が流れたりした。
1992年9月30日にはフジテレビにて、深夜枠のドキュメンタリーという形で、「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」という90分番組が放送された。
脚注 [編集]
- ^ 日プロ(日本プロレス)勢を前座にした小人プロレス国際試合 - 東京スポーツ「高木マニア堂」
- ^ 「誰が小人を殺したか?」小人プロレスから見るこの国のかたち(前編) - サイゾー
- ^ 特に1961年4月28日は、午後にグレート・アントニオが神宮外苑にて、満員の大型バスを引っ張るデモストレーションを敢行した日でもあった。当夜にもアントニオは、グレート東郷やミスターXと共に、「小人国プロレス―」のカラー生中継が行われていた台東体育館に乗り込み、挨拶とデモストレーションを行ったという。
関連項目 [編集]
- 全日本女子プロレス
- 障害者プロレス
- ジャイアント馬場、アンドレ・ザ・ジャイアント - 巨人症のプロレスラー
外部リンク [編集]
- Micro Wrestling Federation
- Half Pint Brawlers
- 森達也オフィシャルウェブサイト - 『MovieWorks』のうち“TV作品”の欄に、「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」の項あり。