フレゼリク8世 (デンマーク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フレゼリク8世
Frederik 8.
デンマーク国王 (その他)
フレゼリク8世

先代 クリスチャン9世
次代 クリスチャン10世

出生 1843年6月3日
デンマークコペンハーゲンデト・ユレ宮殿
死亡 1912年5月14日(満68歳没)
ドイツハンブルク
埋葬 デンマークロスキレロスキレ大聖堂
実名 Christian Frederik Vilhelm Carl
クリスチャン・フレゼリク・ヴィルヘルム・カール
王室 グリュクスボー家
父親 クリスチャン9世
母親 ルイーセ・ア・ヘッセン
王妃 ルイーセ・ア・スヴェーリエ
子女
信仰 キリスト教ルーテル教会

ウィキメディア・コモンズ ウィキメディア・コモンズには、フレゼリク8世に関連するマルチメディアおよびカテゴリがあります。
テンプレートを表示

フレゼリク8世デンマーク語: Frederik 8.1843年6月3日 - 1912年5月14日)は、デンマーク国王(在位:1906年1月29日 - 1912年5月14日)。

目次

生涯 [編集]

王族でもなくグリュックスブルク公の息子の一人であったクリスチャン9世と、ヘッセン=カッセル方伯家出身でフレゼリク7世の孫に当たるルイーゼ(後の王妃)の長男としてコペンハーゲンに生まれる。彼が生まれた当時、王位継承者として注目もされていなかった両親は、コペンハーゲン市中の館でフレゼリクを初めとする子女たちを生み育てた。

王太子として1864年シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に従軍し、その後父王の統治をよく助けた。父王の死に伴い王位を継承した。大変遅い即位ゆえに、わずかな期間しか能力を発揮することしかできず、病気で衰弱もしていた。フランスへの旅行からの帰途、フレゼリクはドイツハンブルクに立ち寄った。到着の夕刻、フレゼリクはお忍びでユングフェルンスティークを散歩した。散歩の途中で彼は気を失い、公園のベンチに倒れているところを警官によって発見され、ハーフェン病院に搬送され、死亡が宣告された。死因は心臓麻痺と公表されている。他の王族と同様にコペンハーゲン近郊のロスキレ大聖堂に埋葬された。

人物 [編集]

フレゼリク8世は多くの点で父王以上に議会主義体制に好意的な自由主義的統治者であった。

また、デンマーク、ノルウェー、ベルギー王家およびルクセンブルク大公家はフレゼリク8世の血を引いている。デンマーク王家との繋がりは当然ながら、ノルウェー王家は次男カールを経たものであり、ベルギー王家およびルクセンブルク大公家との繋がりは次女インゲボーの娘アストリッドを通じてのものである。

家族 [編集]

スウェーデン国王カール15世の王女ロヴィーサ1851年10月31日 - 1926年3月20日)と1869年7月28日に結婚し、4男4女を儲けた。

関連項目 [編集]