アストリッド・ド・スエード

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アストリッド・ド・スエード
Astrid Sofia Lovisa Thyra de Suède,Astrid av Sverige
出生 1905年11月17日
スウェーデンの旗 スウェーデンストックホルム
死去 1935年8月29日(満29歳没)
スイスの旗 スイスシュヴィーツ州キュスナハト
配偶者 レオポルド3世
子女 ジョゼフィーヌ=シャルロット
ボードゥアン1世
アルベール2世
父親 ヴェステルイェートランド公カール
母親 インゲボー・ア・ダンマーク
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アストリッド・ド・スエード

アストリッド・ド・スエードフランス語:Astrid Sofia Lovisa Thyra de Suède, スウェーデン語:Astrid av Sverige, 1905年11月17日 - 1935年8月29日)は、ベルギー国王レオポルド3世の最初の妃。

生涯[編集]

スウェーデン国王オスカル2世の三男ヴェステルイェートランド公カールと、デンマーク国王フレゼリク8世の次女インゲボーの三女として生まれる。すぐ上の姉がノルウェー国王オーラヴ5世マッタである。

1926年11月4日、ブラバント公レオポルドと結婚。王族同士ではあるが熱烈な恋愛結婚だった。1934年にアルベール1世が亡くなり、夫の即位によりベルギー王妃となった。2人の間には、ジョゼフィーヌ=シャルロットルクセンブルク大公ジャン妃)、ボードゥアン1世アルベール2世の3子が生まれた。

彼女が育ったスウェーデン王家は、他のヨーロッパ王家よりは格段に堅苦しくなかったため、ブラバント公妃の時代に国王の住むラーケン宮殿から遠くない館に住んだ頃、アストリッドは子供たちのためになるべく普通の生活を送るよう心がけた。彼女が儀礼を心得ていないと批判する上流階級もいたが、多くの国民は、子供たちを連れてルイーズ大通りを散歩するアストリッドを愛した。

結婚後カトリックに改宗。当初は単にベルギー王家がカトリックだから、という動機だったが、彼女の気質とカトリックが非常に合い、敬虔なカトリック教徒となった。

1934年、王妃となってからは大恐慌の中で苦しむ国民のためにさまざまな活動を積極的に行った。

1935年8月29日、レオポルド3世の運転する車パッカード120スイスルツェルン湖畔の渓谷につっこみ、同乗していたアストリッドは亡くなった。ラーケンの聖母マリア教会に埋葬された。悲嘆に暮れたレオポルド3世は事故現場にアストリッドの名を冠した教会を建てさせた。

アストリッドの葬儀
アストリッド教会

アフリカの旧ベルギー植民地ルワンダ=ウルンディにあったアストリダ(現在のブタレ)は、彼女にちなんで名付けられた。

1983年、レオポルド3世が亡くなった。ラーケンの聖母マリア教会にアストリッド王妃と共に埋葬された。