ピョコタン

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ピョコタン1977年11月18日 [1]- )漫画家。男性。本名・横尾和慶 東京都荒川区出身。千葉県立国府台高等学校卒業。血液型はO型(RH+)。身長は173cmフジテレビ公式ホームページのデジタルコミック『少年タケシ』に連載の「西日暮里ブルース」や『月刊コロコロコミック』や『ゲームラボ』誌上での漫画(ピョコタンのマンガレポート)や挿絵で知られる。同人ボードゲームアイソポス」の世界ランカーである。

人物・略歴[編集]

  • 東京都荒川区西日暮里で生まれ、その後千葉県市川市で育つ。
  • 1995年に国府台高等学校を卒業後、翌年1996年に『ボンバーマン4コマまんが王国3』で漫画家デビューする(本人のホームページより)。
  • デビュー前には本名・横尾和慶の名義で『月刊コロコロコミック』の読者コーナーへの投稿を行っており、「スチャダラ通信」の最多掲載者(50回)でもあり、この頃から現在の画風・作風が確立しつつあった。その縁もあり、老朽化で取り壊されることになった小学館ビルに落書きをする企画に参加したと、後日、ヤフー知恵袋にて、この企画に参加した理由の質問に対して回答している[2]。もっとも、コロコロコミック系の雑誌にて連載しており、かつ比較的キャリアの長いピョコタンが落書き企画に参加すること自体さほど不自然なことではない。
  • 雑誌のアシスタント体験企画として施川ユウキアシスタントをしたことがある。
  • 自称「日本一まずいラーメン屋」彦龍の常連客であり、店主の原憲彦とはプライベートでも親交が深い。本人が来店した時の様子は度々ピョコタンのマンガレポートにネタとして取り上げられる。「アホ汁」というスープを共同開発したことがある[3](現在は閉店している)。
  • 健康マニアであり、かつて「長命源」という長生きできる液体を毎日飲んでいた。また、インスタント食品やスナック菓子はあまり食べないらしい。
  • カタンというボードゲームが得意であり(自称最強)、国内で行われる大会には頻繁に出場している。また、一時期はカタンの攻略を扱ったホームページを作成していた。また、カタンの他にも対人戦のゲームを好んでいるらしく(麻雀・ボンバーマン・パワフルプロ野球等)、基本的に先手を打って相手を追い詰める戦法が得意らしい。また、ポーカーの世界大会にも参加経験あり。
  • 以前は視力がかなり悪く両目が0.07ほどしかなかったため、コンタクトレンズを愛用していたが、2006年11月にレーシックの手術を行い視力が大幅に回復した。
  • 彼と交流のあるジャンクハンター吉田が語るには、XBANDで出会った頃は今の人物像とは違い、尖った人物だったと懐述している(実際に会うきっかけとなったXBANDのイベントでは、頭にパンスト・水中メガネ・くわえタバコの出で立ちであったとか)。
  • SFC末期頃にデパート等で投げ売りされていた新品SFCソフトをゲームショップへ転売(正確には中古買い取りのシステムを利用)した錬金術を駆使していた事があり、2日で5万円稼いだとの本人談[4]
  • 基本的には漫画の中で実際の自分として登場する(画像として)場合、自分の素顔をキャラの自分の絵で隠したりするが、他雑誌の企画等では普通に素顔を出している(但し、後述するWiiリモコン騒動の際は自分の単行本で隠していた)。
  • 尊敬する漫画家として、長谷川町子[5]やなせたかしを挙げている。
  • 2011年8月ごろからニコニコ生放送で生主として個人的に活動を始め、頻繁に放送を行っている。
  • 任天堂株式会社のファンであり、株式も所有している。

逸話[編集]

  • 本人は「本物の漫画家に失礼なので、自分では漫画家とは名乗らない。自分はカルチャーブレーン学生だ。行ってないけど学生証をいつも持っている」とゲームラボのインタビュー内で語っている(数年経った現在、『ほぼニート』と語っている)。また、ゲームスクールに通っていた時代に当時カルチャーブレーンが製作していた『忍たま乱太郎』のゲーム(どのシリーズかは不明)の制作(ごく一部)に少しだけ関わっていた。(本人談)
  • テレビ番組『笑っていいとも』の「勝ち抜きプチ芸スターコンテスト」に出演し後ろ向きホッピングの芸で挑戦したものの敗退している。(判定ではタモリが評価していた。)
  • カルチャーブレーンの学生時代、軽い気持ちで家を知人達とシェアしていた。しかしその結果、いつからか見ず知らずの人間までが家に入り浸るようになってしまい収拾がつかなくなってしまう。
  • 友達のナベケン(変態大学生)と共に即興コンビ「ピョコタンとナベケン」として2005年M-1グランプリに出場したことがある。結果は1回戦敗退。その内容はひたすら下ネタを連呼するといった内容であり、1回戦終了後、審査員から「途中、下ネタばかりの内容を披露したコンビがおり、後続の出場者が振るわなかったのはここで調子が狂ったのではないか」といった旨の、名指しこそされないものの痛烈な批判を受けたという。
  • タマちゃんブーム当時、首都圏で様々なタマちゃんのファンクラブ的組織が結成されていたのに乗じてナベケンと二人でタマちゃんになる会を結成、ブームに沸く多摩川でナベケンを泳がせたことで、タマちゃんを見守る会とのトラブルに発展する。
  • 精子バンクに精子提供者として登録申請しているがオファーはまだ無い。
  • マリオの衣装を着てソニー株主総会に参加した。
  • 「オレ的ゲーム速報@刃」ブログ内に漫画(単発)を提供したことがある[6]

Wiiリモコン騒動[編集]

  • 任天堂の家庭用ゲーム機Wiiを購入するためにナベケンと共に発売日前日の深夜から有楽町ビックカメラに徹夜で並んだ際、マスコミを利用して何とか自身の著書を全国にコマーシャルできないものかと考えたピョコタンは、ナベケンに拾ってきたダンボールで作成したWiiリモコンスーツを着用させ、その格好をさせたまま一緒に電車に乗りゲームショップへ向かった。到着後はピョコタンの思惑通り、ナベケンは大勢のマスコミの注目の的となり、翌日の新聞や多くの報道番組で(自著を広げたピョコタンが脇に写っている)写真が取り上げられる事態となった[7]。また、海外のサイト等にもナベケンの写真が掲載され、その反響の大きさに本人も驚いていたという[8]

千葉ロッテマリーンズ[編集]

  • 1992年に球団が千葉に本拠地を移転して以来の熱狂的なマリーンズファンであることを公言している。中学生時代は年間30回ほどマリンスタジアムに足を運びマリーンズに声援を送る少年だった。マリーンズの歴史や逸話を披露する際には好んで「メル・ホール外野手)」について話す。

主な作品[編集]

一部の作品は単行本『アホ汁』シリーズなどに収録されている。

著書[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]


外部リンク[編集]