スーザン・ライス

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スーザン・ライス
Susan Rice
Susan Rice, official State Dept photo portrait, 2009.jpg
スーザン・ライス
生年月日 1964年11月17日(50歳)
出生地 ワシントンD.C.
出身校 スタンフォード大学オックスフォード大学大学院
所属政党 民主党
称号 博士

任期 2013年7月1日 -
大統領 バラク・オバマ

アメリカ合衆国の旗 第27代国連大使
任期 2009年1月22日 - 2013年7月1日
大統領 バラク・オバマ

任期 1997年 - 2001年
大統領 ビル・クリントン
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スーザン・エリザベス・ライス(Susan Elizabeth Rice、1964年11月17日 - )は、アメリカ合衆国外交政策顧問、前アメリカ合衆国国際連合大使。2013年7月1日から国家安全保障問題担当大統領補佐官を務める。

クリントン政権2期目には、国家安全保障会議スタッフ、アフリカ担当国務次官補を務め、オバマ政権では、2009年1月22日上院議会で全会一致で国連大使に指名された。女性としてはマデレーン・オルブライトジーン・カークパトリックに続きアメリカ合衆国史上3人目、アフリカ系アメリカ人女性としては初の国連大使である[1]。なお同じアフリカ系アメリカ人女性だが、ジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官を務めたコンドリーザ・ライスとの血縁関係はない[2]

生い立ち[編集]

1964年11月17日ワシントンD.C.のシェパード・パーク地区に生まれる[3]。父親のエメット・J・ライスは、コーネル大学経済学教授で、1979年から1986年までは連邦準備制度理事会の理事も務めた[3]。 母親ロイス・ディクソン・フィットは、教育政策学者である。大学入学まではワシントンD.C.にある全日制の私立女子校であるナショナル・カテドラル・スクールに通い、トライアスロンの選手であった他、生徒会の会長や卒業生総代も務めた[4]。 バスケットボールのチームではポイントガードとしてオフェンスを指揮し、"Sportin'."[5]を略した"Spo,"というニックネームを得ていた[4]

父親からは、決して人種を言い訳にしたり、利点として利用しないように常々教えられていた。幼いころはいつも「コロンビア特別区からの初の上院議員になるのが夢だ」と言っていたという[3]。 彼女はまた、自分の功績が差別撤廃措置によるものだとして軽んじられるのではないかという不安を常に抱えていた[3]。 大学はスタンフォード大学に入学し、トルーマン奨学金を受け、1986年に歴史学の学士号を得て卒業した。成績優秀な学生で構成されるクラブ「ファイ・ベータ・カッパ[6]」の会員にも選ばれている[7]。卒業式当日には、学長ドナルド・ケネディが「私は君が誰だか知ってるよ。」と声をかけ握手してきた[4]。なおコンドリーザ・ライス国務長官は、姓が同じ「Rice」で、共に女性の外交政策専門家であり、アフリカ系アメリカ人、スタンフォード大学に縁がある(コンドリーザ・ライスは2009年からスタンフォード大教授)といった共通点があるが、血縁関係があるわけではない[2][8]ローズ奨学生となり、オックスフォード大学の大学院に進学したライスは、1988年に修士、1990年に博士号を取得して卒業。王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)はライスの博士論文「ジンバブエにおける共和制構想、1979年-1980年:国際的平和維持活動が意味するもの」を、英国で最も優れた国際関係分野の論文と評した[3][9]

オックスフォード大時代のクラスメートや教授には、国連や国際法の役割を主張するもの(アダム・ロバーツ、ベネディクト・キングスベリー[10])、世界規模での経済ガバナンスと国際的な経済協力体制構築を主張するもの(ナイリ・ウッズ、ドナルド・マークウェル[11])、ロシアの権威主義に断固たる態度をとるべきと主張するもの(マイケル・マクフォール[12])などがいる。なおアダム・ロバーツは国際的な人権侵害問題専門家でもあるが、ライスもこの問題には特別な関心を払っている。

ライスはカナダ・ブリティッシュコロンビア州ビクトリア出身で、スタンフォード大学時代に知り合った[13]ABCニュース・プロデューサーのイアン・キャメロンと1992年に結婚[14]、2人の子供を授かり、家族と共にワシントンD.C.で暮らしている[7][15][16][17][4]

キャリア[編集]

1988年の大統領選ではマイケル・デュカキスの外交政策顧問を務めた。1990年代初頭には世界的なマネジメントコンサルティング企業であるマッキンゼー・アンド・カンパニー社で、マネジメント・コンサルタントとして働いた[18]。マッキンゼー時代は、トロント・オフィスに勤めている。クリントン政権では、1993年から1997年まで国家安全保障会議スタッフを務め、うち1993年から1995年までは国際機関・平和維持担当部長、1995年から1997年まではアフリカ政策大統領特別補佐官兼上級職を務めるなど、様々な立場で政権運営に関わった。

国務次官補時代[編集]

ライスと家族ぐるみの付き合いがあり、昔からの師でもあったマデレーン・オルブライトは、1997年国務長官に就任すると、クリントン大統領に(当時)にアフリカ担当国務次官補としてライスを推薦した[3]。一方で、連邦議会黒人幹部会Congressional Black Caucus)の黒人議員幹部らは、ライスを「ワシントンに同化した黒人エリート」の一人であるとみなし、国務次官補の第一候補とはしなかった[3]

だが、ジェシー・ヘルムズ上院議員が議長を務めた、上院の助言と同意を得るための公聴会が開かれると、ライスはまだ乳飲み子だった息子を抱いて出席し、これが公聴会の民主・共和両党の上院議員に好印象を与え、ライスは「"助言と同意"を得るプロセスを楽々とパスした」[3]。ライスは、クリントンが2001年に政権を去るまで、アフリカ担当の国務次官補を務め続けた。

多くの官庁職員や外交官がライスを「とても聡明だが、経験不足で柔軟性に欠ける」と評している[19]。「若く、頭脳明晰な野心家」で、「アメリカの安全保障を強化することを目的として、アフリカを世界経済の枠組みの中に組み入れる」ために働いていると考える者もいた[3]。一方で「権威主義者。生意気。自分と違う意見を考慮することを嫌がる」と批判する声もあり、伝えられるところによれば国務省アフリカ局の外交官といざこざを起こしたとされる[3]ニューズウィーク誌国内版記者でもあるマーサ・ブラントはスタンフォード・マガジン誌の記事にこう書いている。

ライスが国務省での5年間を終えホワイトハウスを去った時、同僚たちはライスにズールーの戦士のをプレゼントした。友人のひとりは「外交局の凝り固まった官僚主義と戦うとき必要だろ?」と話している。事実、ライスが"霧の底地"(米国務省の俗称)に来る前から対空砲火のような激しい批判が起きていた。ライスの就いた職は、それまで何十年もの間長く経験を積んだアフリカニスト達が占めてきたポジションだったのだ。そのため、昔からいる官僚たちはライスは未熟すぎる、政治的理由で雇われただけだと不満を漏らしていた。

また、クリントンが指名した人物の多くはライスと同じ「若さゆえの傲慢さ」という問題を抱えていると主張するものもいた。ライスと仕事をしたあるアフリカ専門家はこう漏らす。「彼女は、自分が何を知らないのかを知らない。そして自分に反対するものを許さない。」アフリカのある雑誌からは、ライスは伝統的なアフリカの男性指導者らにほとんど何の影響も与えなかったのではないかとの疑問が呈された。南アフリカ「ビジネス・デイ」誌のサイモン・バーバーは「米国のアフリカ政策をこんなに若い女性に託すとは、クリントンは実に進歩的だったかもしれない。」と述べ、続けて「クリントンはアフリカ文化の現実を完全に無視したとも言える。」と記している。ライスはこうした懸念を退けるように次のように発言している。「彼らは私とプロのやり方で交渉するほかないのです。私はアメリカ合衆国を代表しているのですから。」「最初は分からずに後で気付くかもしれません。でも気付いた後は(私が)何を言うか、それをどう言うか、そして言ったことについて何をするかについて、耳を傾けなくてはならないのです。」[4]

政府以外での仕事[編集]

2001年から2002年まで、戦略分析機関インテリブリッジ最高経営責任者兼代表を務める[20][21]。 2002年、米シンクタンクブルッキングス研究所に外交政策・グローバル経済開発プログラムのシニアフェローとして参加し、米国の外交政策、破綻国家、世界的貧困の影響、国家安全保障への国境を越えた脅威といったテーマで研究を行った。2004年の米国大統領選では民主党ジョン・ケリー候補の外交政策顧問であった。2002年、スタンフォード大学の黒人卒業生の栄誉の殿堂入りを果たしている[9]

オバマ政権[編集]

ブルッキングス研究所を辞職し、2008年米国大統領選挙においてバラク・オバマ上院議員(当時)の上級外交政策顧問を務め、オバマ氏当選後の2008年11月5日、オバマ・バイデン政権移行チームの諮問委員会に選出された[22]2008年12月1日、オバマ次期大統領は、彼女をアメリカ合衆国国際連合大使に推薦し[23][24]、同時にその地位を閣僚級に格上げした[25]。ライスは史上2番目の若さで[25]、史上初の黒人女性の国連米国代表となった[26]。ライスはニューヨークの他、新たにヒラリー・クリントンが国務長官に就任した国務省のあるワシントンD.C.に政権移行作業チームを構える予定であると発表している。

2012年にオバマが大統領に再選されると、第2期政権においてクリントンの後任として国務長官への就任が取り沙汰されていたが、2012年9月リビアで起きた領事館襲撃事件をめぐり「(計画的なテロではなく)自然発生的に起きたもの」と発言したことに対し議会共和党などから「政治的な意図から国民に誤った情報を流した」との強い反発を受けたことを考慮して、自ら辞退した[27][28]

2013年7月1日、アメリカ合衆国国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任した[29]。アジア安保に関して、彼女は米国と中国との大国関係には注目しているが、日本などへの関心は薄いとされる。また2014年11月、ヘーゲル国防長官は、シリアやイスラム国対応に関してライス補佐官と対立して辞任した。

その他の経歴[編集]

ライスは、アメリカ民主党国際研究所 (National Democratic Instituteやユニセフ・アメリカ基金 (U.S. Fund for UNICEFなどの役員を務める他[20]、米シンクタンク大西洋評議会  (Atlantic Councilの評議員[30]、スタンフォード大学フリーマン・スポグリ国際教育研究所  (Freeman Spogli Institute for International Studies諮問委員[31]、米独立系情報サービス会社BNA  (Bureau of National Affairs役員[32]、NPOパートナーシップ・フォー・パブリック・サービス  (Partnership for Public Service[15]役員、ボーボワール・ナショナル・カテドラル小学校(Beauvoir National Cathedral Elementary School)理事、およびNPO団体インターニュース・ネットワークの役員などを務めた[33][34]

外交問題評議会およびアスペン戦略グループ  (Aspen Strategy Group のメンバーでもある[18][35]

受賞歴[編集]

批判[編集]

1998年10月5日号のニューズウィークには、ライスについて、"聡明ではあるが、経験不足で柔軟性に欠ける、と多くのアフリカの外交官や米国の専門家にみなされている”と記述した記事が掲載された。同記事では、

"ワシントンは、1996年のルワンダからザイールへの多国籍軍の侵攻および、その後の悪名高い独裁者モブツ・セセ・セコの打倒について偽装的発言をした。(当時のクリントン)政権の情報源は、この侵攻について前もっての情報は持っていなかったと主張したのだ。しかし、ある軍事戦略立案部門高官によると、ワシントンはそのような事変が起きたとしても反対しないことをあらかじめ約束していたという。それは、クリントン政権の考えとしては、些細なことなのだろう。スーザン・ライスは当時知人に、”誰であれ、モブツよりはまし。”と述べていたことがある。だが多くのアフリカ問題専門家は、ワシントンが暗黙のうちにコンゴの国境侵犯に共謀したとすれば、それは地域を危険なほどに不安定化するものだと考えている。"[19]

サマンサ・パワーは、2001年9月のアトランティック・マンスリーに、スーザン・ライスが政府内の電話会議で、"もし我々が、現在進行中の事態に対してジェノサイドという言葉を使いながら、それを座視しているとみられるとしても、それが11月の議会選挙にどのように影響するでしょうか?"と発言したと書いている。しかし同じ記事で、パワーは、ライスがその過ちを認めていると指摘し、"そのことについて責任を感じているようだ"とも書いている。[36]

2002年のワシントン・ポストの読者投稿記事にて、前スーダン大使のティモシー・カーニーとニュース寄稿者のマンスーア・リアズは、ライスと対テロ責任者のリチャード・クラークが、オサマ・ビン・ラディンがスーダンにいる間に、彼を無力化する機会を逃したことにかかわりがあると指摘している。カーニーとリアズは、スーダンとオルブライト米国務長官は、オサマ・ビン・ラディンの逮捕につながる可能性のある情報分野での協力について合意寸前であったのに、ライスとクラークが国家安全保障担当の大統領補佐官のサンディ・バーガーを説得して、オルブライトの決定を覆したという[37]

同様な疑惑は、2002年1月号のバニティ・フェアーで寄稿編集者デビッド・ローズが[38]、また"Losing bin Laden"の著者リチャード・ミニターも2003年11月号の雑誌ワールドのインタビューで指摘している[39]

カーニー、リアズ、ローズ、ミニターはいずれも、スーダンはオサマ・ビン・ラディンを米国に引き渡すという提案をし、ライスはこのスーダンの提案を受けないと決定するにあたって、その中心人物であった、と書いている。合衆国に対するテロリスト攻撃についての調査委員会(いわゆる9-11調査委員会 (9/11 Commission)は、その調査報告書で、"スーダン国防相ファティワ・エルワは、スーダンはオサマ・ビン・ラディンをアメリカに引き渡す提案をしたと主張しているが、当委員会は、それが真実であるという、信用に足りる証拠を見つけることは出来なかった。スーダン駐在大使カーニーは、スーダンに、オサマ・ビン・ラディンを追放させるように指令を受けていただけである。当時、オサマ・ビン・ラディンにたいする訴追はなかったので、大使カーニーは、追放以上の要求をスーダンに対して行う法的論拠を持っていなかった。”と結論づけている[40]

脚注[編集]

  1. ^ More Obama Cabinet Nominees Confirmed”. ニューヨーク・タイムズ (2009年1月22日). 2013年7月10日閲覧。
  2. ^ a b Profile: Susan Rice, BBC News, December 1, 2008
  3. ^ a b c d e f g h i j "The Meteoric Rise of the State Department's Susan Rice." The Journal of Blacks in Higher Education: 20 (Summer 1998), p. 40-41.
  4. ^ a b c d e Brant, Martha (January-February 2000). “Feature Story - Into Africa”. Stanford Magazine. Stanford Alumni Association. 2008年12月4日閲覧。
  5. ^ 「スポーツ好きな」、「スポーツマンらしい」または「冒険を伴う」、「賭博的な」の意味。出典:英和辞典 Weblio辞書「sporting」
  6. ^ 成績優秀な学生から成る米国クラブ。出典:英和辞典 Weblio辞書「Phi Beta Kappa」
  7. ^ a b c “Susan Elizabeth Rice”. Who's Who (Marquis Who's Who): pp. K2014871257. (2007年). http://www.marquiswhoswho.com/ 2008年5月14日閲覧。 
  8. ^ “Susan E. Rice” (Reference). Times Topics: People (The New York Times). http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/people/r/susan_e_rice/index.html?inline=nyt-per 2008年12月3日閲覧。 
  9. ^ a b "Black Community Services Center Hall of Fame." Stanford Alumni Association.
  10. ^ Roberts, Adam; Kingsbury, Benedict, ed (December 1993) (English) (Book). United Nations, Divided World: The UN's Roles in International Relations (Second ed.). Oxford University Press. ISBN 9780198279266. http://www.oup.com/us/catalog/general/subject/Politics/InternationalStudies/InternationalOrganizations/?view=usa&ci=9780198279266 2008年12月3日閲覧。. 
  11. ^ Markwell, Donald John (December 2006) (English). John Maynard Keynes and International Relations: Economic Paths to War and Peace. Oxford University Press. ISBN 9780198292364. http://www.oup.com/us/catalog/general/subject/Politics/InternationalStudies/InternationalSecurityStrategicSt/?view=usa&ci=9780198292364 2008年12月3日閲覧。. 
  12. ^ McFaul, Michael; Stoner-Weiss, Kathryn (January/February 2008). “The Myth of the Authoritarian Model: How Putin's Crackdown Holds Russia Back” (Journal). Foreign Affairs (Council on Foreign Relations). http://www.foreignaffairs.org/20080101faessay87105/michael-mcfaul-kathryn-stoner-weiss/the-myth-of-the-authoritarian-model.html 2008年12月3日閲覧。 
  13. ^ Pickert, Kate. “U.N. Ambassador: Susan E. Rice - Obama's White House - TIME”. Time Magazine. 2008年12月28日閲覧。
  14. ^ The Calgary Sun - Susan Rice on tap to become the U.S. ambassador to the United Nations”. Calgary Sun (2008年11月25日). 2008年12月28日閲覧。
  15. ^ a b Board of Directors - Susan E. Rice, Ph.D”. The Partnership for Public Service. 2008年5月13日閲覧。
  16. ^ “WEDDINGS; Susan E. Rice, Ian Cameron”. The New York Times (New York City). (1992年9月13日). http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9E0CE1D61030F930A2575AC0A964958260 2008年5月13日閲覧. "Susan Elizabeth Rice, the daughter of Dr. Emmett J. Rice and Lois Dickson Fitt, both of Washington, was married there yesterday to Ian Officer Cameron..." 
  17. ^ Person Profile for Ian Cameron”. Leadership Directories, Inc.. 2008年5月13日閲覧。 “Senior Producer, World News with Charles Gibson, ABC News”
  18. ^ a b Susan Rice, Former White House and State Department Senior Official, Joins Brookings Institution”. Brookings Institution (2002年9月13日). 2008年5月14日閲覧。
  19. ^ a b “Losing Africa, Yet Again” (Article). Policy (ニューズウィーク). (2008年10月5日). http://www.newsweek.com/id/93350?tid=relatedcl 2008年12月4日閲覧。 
  20. ^ a b Susan Rice”. U.S. Fund for UNICEF. 2008年5月13日閲覧。
  21. ^ Black Alumni Hall of Fame Inductees”. Stanford Alumni - Reunion Homecoming 2008. Stanford University (2008年2月). 2008年5月13日閲覧。 “[inducted] 2002”
  22. ^ Sweet, Lynn (2008年11月5日). “Jarrett, Podesta, Rouse to lead Obama transition; Bill Daley co-chair (Blog)”. The scoop from Washington. The Chicago Sun-Times. 2008年12月5日閲覧。
  23. ^ change.gov (2008年12月1日). “Key members of Obama-Biden national security team announced (Press release)”. Newsroom. Office of the President-elect. 2008年12月1日閲覧。
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  25. ^ a b “Ambassador to the United Nations - Susan Rice (Announced)” (Blog). Obama's Cabinet (Real Clear Politics). (2008年12月1日). http://www.realclearpolitics.com/lists/cabinet/rice.html 2008年12月4日閲覧。 
  26. ^ Lederer, Edith M. (2008年12月1日). “Trusted Obama adviser Susan Rice is first African-American woman named to be US envoy to UN”. Associated Press (Star Tribune). http://www.startribune.com/nation/35326694.html?elr=KArks:DCiUMEaPc:UiD3aPc:_Yyc:aUU 
  27. ^ ライス国連大使、国務長官への指名辞退”. AFPBB news (2012年12月14日). 2013年7月10日閲覧。
  28. ^ オバマ氏、ライス国連大使を大統領補佐官に起用 安全保障担当”. CNN. 2013年7月10日閲覧。
  29. ^ 米大統領補佐官にライス国連大使、7月就任へ AFPBB 2013年6月6日閲覧
  30. ^ The Atlantic Council of the United States - Board Members”. The Atlantic Council of the United States. 2008年5月13日閲覧。
  31. ^ Freeman Spogli Institute for International Studies Annual Report 2007 (PDF)”. Stanford University. pp. p. 47 (2007年). 2008年5月6日閲覧。
  32. ^ Bolbach, Cynthia J. (2008年3月28日). “Proxy Statement Pursuant to Section 14 (a) of the Securities Exchange Act of 1934”. The Bureau of National Affairs, Inc.. pp. p. 3. 2008年5月13日閲覧。 “[Rice a director since 2004]”
  33. ^ 2003 Annual Report (PDF)”. Internews International. pp. p. 10 (2003年). 2008年5月13日閲覧。
  34. ^ Internews - Directors and Officers”. Internews International. 2008年5月13日閲覧。
  35. ^ Aspen Strategy Group”. Aspen Institute. 2008年5月14日閲覧。
  36. ^ Power, Samantha (2001年9月). “Bystanders to Genocide” (Article). The Atlantic. http://www.theatlantic.com/doc/200109/power-genocide 2008年12月2日閲覧。 
  37. ^ Carney, Timothy; Mansoor Ijaz (2002年6月30日). “Intelligence Failure? Let's Go Back to Sudan”. ワシントン・ポスト. http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A64828-2002Jun29 2008年12月1日閲覧。 
  38. ^ Rose, David (January, 2002). “The Osama Files”. Vanity Fair. http://www.vanityfair.com/politics/features/2002/01/osama200201?currentPage=1 2008年12月1日閲覧。 
  39. ^ Belz, Mindy (2003年11月1日). “'Clinton did not have the will to respond'”. World. http://www.worldmag.com/articles/8206 2008年12月1日閲覧。 
  40. ^ “Responses to Al Qaeda's Initial Assaults”, The 9/11 Commission Report (official government edition ed.), National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States, (2004-07-22), pp. 110, ISBN 0-16-072304-3, http://govinfo.library.unt.edu/911/report/911Report_Ch4.htm 2008年12月4日閲覧。 

外部リンク[編集]

外交職
先代:
ザルメイ・ハリルザド
アメリカ合衆国国際連合大使
2009 - 2013
次代:
サマンサ・パワー
公職
先代:
ジョージ・ムース
アメリカ合衆国国務次官補(アフリカ担当)
1997–2001
次代:
ウォルター・カンシュタイナー
先代:
トーマス・ドロニン
国家安全保障問題担当大統領補佐官
2013-
次代:
現職