ジーン・カークパトリック

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ジーン・カークパトリック

ジーン・ジョーダン・カークパトリックJeane Jordan Kirkpatrick1926年11月19日2006年12月7日)は、アメリカ政治学者外交官、反共産主義者。ジョージタウン大学教授(1967年 - 1980年)。

生涯[編集]

オクラホマ州ダンカン生まれ。12歳のときにイリノイ州へ引越し、1948年バーナード・カレッジを卒業。その後コロンビア大学でフランツ・レオポルド・ノイマンに師事し、政治学博士号を取得した。

当初はマックス・シャハトマン主宰する青年社会主義同盟の活動家であったが、ジミー・カーター政権の人権外交に反発し、民主党から共和党へ支持政党を転向し、アメリカ新世紀プロジェクトの賛同者に名を連ねる[1]など新保守主義者(ネオコン)の典型と言える。1980年ロナルド・レーガンの選対で外交政策顧問を務めた。その後、レーガン政権時代にアメリカ初の女性国連大使に就任、1983年に発生した大韓航空機撃墜事件では、当事国のソ連(当時)を徹底的に追及した。

2006年、メリーランド州ベセスダの自宅で、心不全により死去した。80歳。

参照[編集]

  1. ^ William Kristol, et al., Letter to George W. Bush, September 20, 2001, newamericancentury.org, n.d., accessed June 1, 2007.

外部リンク[編集]


先代:
ドナルド・マクヘンリー
アメリカ合衆国国連大使
1981 - 1985
次代:
ヴァーノン・A・ウォルターズ