ジェイムズ・ボールドウィン

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ジェイムズ・ボールドウィン

ジェイムズ・アーサー・ボールドウィンJames Arthur Baldwin1924年8月2日 - 1987年11月30日)はアメリカ合衆国小説家著作家劇作家詩人随筆家および公民権運動家である。代表作に『山にのぼりて告げよ』がある。

ボールドウィンの著作の大半は20世紀半ばのアメリカ合衆国における人種問題の問題を扱っている。その小説は自己の疑問を探索する個人的な方法や、黒人であり同性愛者であることに関連した社会的なコンプレックスや心理的圧力を掘り下げる方法で特徴があり、それらのテーマは黒人や同性愛者がそうであると見なす社会的、文化的あるいは政治的平等性の問題の前に来ている[1]

生い立ちと青年時代[編集]

ボールドウィンは1924年にその母から生まれた9人の子供の長子として生まれた[2]。 ボールドウィンは実の父に会ったこともなかったし、父がどういう人であるかを知ることも無かった[3]。 その代わりに継父のデイビッド・ボールドウィンに父の姿を見ていた。デイビッドは工場労働者であり街頭説教師でもあったが、家にあっては大変残酷であったと言われている[4]。 その父はボールドウィンが文学を志すことに反対であったが[5]、ボールドウィンは恩師やニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアからの支援を得た。ボールドウィンは14歳の時にハーレムの小さなファイアサイド・ペンテコステ教会に入った。ブロンクスのデウィット・クリントン高校を卒業すると、グリニッジ・ヴィレッジに移住し、文学の修行に勤しむことになった。

ひらめきと友情[編集]

ボールドウィンは、「私にとって世界で最も偉大な黒人作家」と呼んでいた年上の作家リチャード・ライトから支援を受けることになった。ライトとボールドウィンは短期間友達になり、ライトはボールドウィンが「ユージーン・F・サクソン記念賞」を受ける手助けをした。ボールドウィンはその随筆集の題に『アメリカの息子のノート』(Notes of a Native Son)としたが、これはライトの小説『アメリカの息子』に掛けたものだった。しかし、ボールドウィンの1949年の随筆『みんなの抗議小説』(Everybody's Protest Novel)が2人の友情を終わらせた[6]。 というのも、ライトの小説『アメリカの息子』がハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』に似て信憑性のある人物や心理的描写に欠けていると主張したからであった。しかし、ジュリアス・レスターとのインタビューの時に[7]、ボールドウィンはライトに対する憧憬は残っているとして「私はリチャードのことを知っているし、愛してもいる。私は彼を攻撃しているのではなく、自分として何かを明らかにしようとしただけだ」と説明した。

もう一人、ボールドウィンの人生に影響を与えた人物はアフリカ系アメリカ人の画家ビュフォード・デラニーであった。ボールドウィンは『切符の値段』(The Price of the Ticket、1985年)で、デラニーのことを「黒人が芸術家になれるという最初の生きている証。暖かい時と不敬でもない場所で、彼は私の先生であり私は彼の生徒であると考えられた。彼は私にとって勇気と強さ、謙遜と情熱の見本になった。絶対的な強さ、私は彼を見て何度も揺り動かされ、私は彼が折れたのを見たが決して屈服するのを見たことはない」と表現した。

その後の人生と死[編集]

当時の多くのアメリカ作家と同様にボールドウィンは1948年から長期間ヨーロッパに渡って住んだ[8][9]。 最初の目的地はパリであったが、そこではアーネスト・ヘミングウェイガートルード・スタインF・スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ライトなど多くの作家が住み、著作をものにしていた。アメリカに戻ったボールドウィンは積極的に公民権運動に関わるようになった[10]マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと共に首都ワシントンD.C.へ行進を行った[11]1980年代早くに、マサチューセッツ州西部の5大学の教職に就いた。そこにいる時に、マウント・ホリヨーク・カレッジで将来の劇作家スーザン=ローリ・パークスの師となった。パークスは2002年ピューリッツァー賞 戯曲部門を受けた。しかし、ボールドウィンは長くアメリカに留まらず、余生は国外での居住を繰り返し、特にトルコイスタンブール[12]および南フランスサン=ポール=ド=ヴァンスでの滞在が長かった。ボールドウィンは1987年、63歳のときにサン=ポール=ド=ヴァンスで食道癌のため死んだ。

文学の経歴[編集]

1953年、ボールドウィンの処女作、自伝的教養小説『山にのぼりて告げよ』を出版した。2年後には最初の随筆集『アメリカの息子のノート』が出た。ボールドウィンは生涯その文体における実験をつづけ、詩、戯曲とともに小説や随筆を出版した。

1956年に出版されたボールドウィンの2番目の小説『ジョバンニの部屋』(Giovanni's Room)は、その露骨な同性愛描写のために出版された時から議論が沸騰した。ボールドウィンはこの作品の出版で既存の価値に抵抗することになった[13]。 ボールドウィンがアフリカ系アメリカ人の経験を扱う作品を出版すると大衆が期待していることは分かっていたが、『ジョバンニの部屋』は白人のみが登場するものであった[14]。 次の2作品、『もう一つの国』(Another Country)と『列車はどのくらい前に出たか教えて』(Tell Me How Long the Train's Been Gone)は、黒人と白人が登場し、異性愛、同性愛および両性愛を扱った秩序を掻き回すような実験小説であった。これらの作品は1960年代の社会的動揺をふまえてもがき、激しい不安や怒りという意味で溢れていた。

同様にボールドウィンの長編随筆『交差点で降りろ』(Down at the Cross、出版された時の題で『次は火だ』(The Fire Next Time)の方が知られている)は、1960年代の小説に激しい不満を表している。この随筆は当初ザ・ニューヨーカーの2回の特大版で出版され、ボールドウィンが思い通りにならない公民権運動について南部を講演旅行している間に、1963年タイム誌の表紙を飾ることになった。この随筆では、キリスト教と急成長する黒人イスラム教運動との穏やかでない関係について述べていた。ボールドウィンの次の作品も長い随筆で、『通りでは名無し』(No Name in the Street)は1960年代後期の流れの中での自己体験を下に、具体的には個人的な3人の友人メドガー・エバース、マルコムX、およびマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺に触れていた。

1970年代および1980年代のボールドウィンの作品は、大まかにみて批評家に取り上げられていなかった。1960年代の黒人指導者の暗殺と共に、ホモ嫌いのエルドリッジ・クリーバーによる『氷の魂』(Soul on Ice)によるボールドウィンに対する悪意有る攻撃や、ボールドウィン自身が南フランスに戻ったことが、或る意味で読者の心に触れなかった要因であった。1972年に「One day when I was lost」という映画化されなかったシナリオが出版された。ボールドウィンは書きたいものを書き続けた。1970年代に書かれた2つの小説『ビール・ストリートが話すことができたら』(If Beale Street Could Talk)と『私の頭の真上』(Just Above My Head)は黒人家族の重要性を強く強調しており、続いて詩集『ジミーのブルース』(Jimmy's Blues)と長編随筆『まだ見てもいない物の証拠』(The Evidence of Things Not Seen)を出版して文学活動を終えた。最後の随筆は1980年代早くに起こったアトランタ子供連続殺人事件によって喚起された考察を繰り広げた。

遺産[編集]

他の作家に与えたボールドウィンの影響は深いものがある。トニ・モリソンはライブラリー・オブ・アメリカのボールドウィンの小説と随筆の巻を編集し、最近の重要随筆集でもこの2人の作家を結び付けている。

1987年、メリーランド州ボルチモアの写真報道家ケビン・ブラウンは国立ジェイムズ・ボールドウィン文学協会を設立した。この協会はボールドウィンの生涯と遺産を祝う無償の公開行事を行っている。

2005年、アメリカ合衆国郵便公社はボールドウィンを描いた1級郵便切手を発行した。これは表面にボールドウィンの肖像、裏面の紙を剥がすと短い伝記が書かれていた。ボールドウィン豊かな短編『ソニーのブルース』(Sonny's Blues)は多くの短編集にも掲載され、大学の文学入門講義にも使われている。

作品[編集]

(リンクは全て英語版)
共著作品
その他の翻訳書
  • 『白人へのブルース』 -- 新潮社、1966年4月単行本、1971年 (新潮文庫)
  • 『黒人はこう考える : 人種差別への警告』 -- 弘文堂(フロンティア・ブックス)、1963年

刊行作品集[編集]

  • Early Novels & Stories: Go Tell It on the Mountain, Giovanni's Room, Another Country, Going to Meet the Man (トニ・モリソン編集) (Library of America, 1998) ISBN 978-1-883011-51-2.
  • Collected Essays: Notes of a Native Son, Nobody Knows My Name, The Fire Next Time, No Name in the Street, The Devil Finds Work, Other Essays (トニ・モリソン編集) (Library of America, 1998) ISBN 978-1-883011-52-9
  • 集英社(愛蔵版世界文学全集第45巻)、もう一つの国(ボールドウィン) 九つの物語(サリンジャー) 、1973年
  • 荒地出版社 (現代アメリカ文学選集第4巻)、ボールドウィン他、1968年

脚注[編集]

  1. ^ Gournardoo (1992) p 158 p 148-200
  2. ^ Jean-Francois Gounardoo, Joseph J. Rodgers, The Racial Problem in the Works of Richard Wright and James Baldwin. Greenwood Press, 1992.
  3. ^ Gournardoo (1992) p 149-150
  4. ^ Gournardoo (1992) p 149-150
  5. ^ Gournardoo (1992) p 150
  6. ^ James Baldwin Now, ed. McBride, 208
  7. ^ New York Times, Baldwin Reflections
  8. ^ Gournardoo (1992) p 152
  9. ^ Lawrie Balfour; The Evidence of Things Not Said: James Baldwin and the Promise of American Democracy. Cornell University Press, 2001
  10. ^ Gournardoo (1992) p 153-158
  11. ^ Gounardo, p 156
  12. ^ Gournardoo (1992) p 153-156
  13. ^ Balfour (2001) p 51
  14. ^ Balfour (2001) p 51

外部リンク[編集]