サンペドロ (哨戒フリゲート)

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USS San Pedro.png
艦歴
発注:
起工: 1943年4月17日
進水: 1943年6月11日
就役: 1943年10月23日
退役: 1945年7月12日
その後: 海上自衛隊に貸与
除籍: 1961年12月1日
性能諸元
排水量: 1,264 トン
全長: 303 ft 11 in (92.6 m)
全幅: 37 ft 6 in (11.4 m)
吃水: 13 ft 8 in (4.2 m)
機関: ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力: 20ノット
航続距離:
乗員: 190名
兵装: 3インチ50口径対空砲3門
40mm機関砲 4門
20mm機関砲 9門
ヘッジホッグ 1基
対潜爆雷投射機(Y砲)8基
爆雷投下軌条 2条

サンペドロ (USS San Pedro, PG-145/PF-37) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はカリフォルニア州サンペドロに因む。

艦歴[編集]

サンペドロは海事委任契約(船体番号1448)の下1943年4月17日カリフォルニア州ウィルミントンコンソリデーテッド・スチール社で起工した。4月15日まではPG-145と呼ばれた。1943年6月11日にヴァージニア・アン・マッセーによって命名、進水、1943年10月23日に艦長C・O・アシュレイ沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

整調後サンペドロは太平洋南西部に向けて出航した。1944年4月始めはアドミラルティ諸島で短期間の船団護衛任務に従事し、同月末は西部ニューギニア統合部隊の一部となった。サンペドロは部隊の最初の任務でホーランディアに移動し、6月にはビアク島に、7月にはヌムフォル島、8月にはサンサポア岬に移動した。9月にはモロタイ島に向かう、PTボート用の完全装備された拠点を整備するためのタグボートと艀船船団の護衛を行った。

10月18日にサンペドロはレイテ島攻撃のための船団と共に出航した。月末には日本軍による航空攻撃に対する対空支援を行い、敵機2機を撃墜した。レイテ島への攻撃は陸上へ継続した一方、サンペドロはホーランディアとレイテ島間の補給船団を護衛した。12月5日、レイテ島付近で1機の日本軍機が船団に対して攻撃を行い、リバティ船アントワーヌ・ソーグレイン (SS Antoine Saugrain) に魚雷を発射した。日本軍機は友軍機を引き連れ再びリバティ船に致命的な打撃を与えた。サンペドロはリバティ船の生存者178名を救助し、同時に沈みゆく船に対する三度目の攻撃を撃退するのを支援した。

サンペドロは1944年12月17日に太平洋南西部を出航し、オーバーホールのためマサチューセッツ州ボストンに向かう。4月にオーバーホールが完了すると、サンペドロはアリューシャン列島に向けて出航した。サンペドロは1945年7月12日アラスカ州コールド・ベイで退役し、翌日ソ連海軍に引き渡された。

ソ連では、「護衛艦」を意味する「EK」の略号を与えられ、EK-5(ЭК-5エーカー・ピャーチ)の艦名で7月23日付けで太平洋艦隊に編入された。EK-5は、8月12日に行われた羅津上陸作戦に参加した。

1949年10月17日にはアメリカ海軍に返還され、1953年4月2日に相互防衛援助計画の下海上自衛隊に貸与された。海上自衛隊ではかや (PF-8) として就役した。かやは1957年9月1日にPF-288へ艦番号が変更され、1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日付けで貸与から供与へと変更された。1972年YAC-23(保管船)に区分変更され、1977年4月1日に退役、1978年7月26日にアメリカ海軍に返還された。

サンペドロは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。サンペドロは現在カリフォルニア州サンペドロのドックで保管されている。

外部リンク[編集]