グランド・オール・オプリ

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Grand Ole Opry

グランド・オール・オプリ(The Grand Ole Opry)とは、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュヴィルのラジオ局WSMの毎週土曜夜のカントリー・ミュージックの公開ライブ放送のラジオ番組であり、グレート・アメリカン・カントリー(GAC)ネットワークでTV放送化された番組。1925年11月28日からWSMで放送開始され、現在でも続いているアメリカ最古の番組である[1][2]

カントリー・ミュージック、およびその歴史を存続させるため、オープリーではカントリー、ブルーグラスフォークソングゴスペルの巨匠や現代のヒットチャートに入っている者を取り混ぜ、コメディ寸劇などのパフォーマンスも行なう[3]。アメリカのアイコンと考えられており、世界中から何十万もの観客が集まり、何百万もの人々がラジオやインターネットで聴いている。オープリーは「カントリー・ミュージックを有名にした番組」とされ[4]、「アメリカン・ミュージックの本拠地」または「カントリーの最も有名な舞台」と呼ばれる[3]。グランド・オール・オープリーはRyman Hospitality Properties によって所有される。

1930年代、番組はプロを雇い、これまで1時間番組だったのが4時間となり、WSMは当時5万ワットで土曜の夜に30州近くに放送していた[5]。1939年、NBCラジオにより全米放送開始。1943年、ライマン公会堂を常設活動拠点とした。これらの発展により、ナッシュビルはアメリカの「カントリー・ミュージックの首都」となった。

オープリーのメンバとなることは、カントリー・ミュージック界において最高の功績の1つとされる[6]ハンク・ウィリアムズパッツィ・クラインロイ・エイカフカーター・ファミリービル・モンローアーネスト・タブキティ・ウェルズミニー・パールなどの巨匠がオープリーの舞台にレギュラー出演した(ただしウィリアムズはたびたび酒に酔っ払って出演したために1952年に出演禁止となった)。近年はドリー・パートンガース・ブルックスリーバ・マッキンタイアジョシュ・ターナーキャリー・アンダーウッドブラッド・ペイズリーラスカル・フラッツダークス・ベントリーケリー・ピックラーディキシー・チックスなどのコンテンポラリー・カントリーのスターも出演している。1974年から、ナッシュビルのダウンタウンより東側のグランド・オール・オープリー・ハウスから放送され、ラジオ番組に加え時々テレビ放送もされる。

目次

歴史 [編集]

グランド・オール・オプリは、ナッシュヴィルのダウンタウンの、National Life & Accident Insurance Companyという保険会社に新しく作られた第5スタジオでスタートした。[7] 最初のショウの演奏者は当時77歳のフィドル演奏者、アンクル・ジミー・トンプソンだった。アナウンサーは番組のディレクターでもあったジョージ・D・ヘイ、別名「The Solemn Old Judge(ソロモンの老判事)」。彼はこの時30歳でしかも判事ではなかったが、シカゴの通信会社シアーズ・ローバックが所有するラジオ局WLS [8] で1924年4月に開始されたフィドルとスクエアダンスの番組、「National Barn Dance(全米バーン・ダンス)」ですでに人気を博しており、この分野のパイオニアだった。

初期にレギュラー出演していたバンドには、ポッサム・ハンターズ、フルート・ジャー・ドリンカーズ、クルーク・ブラザース&グリー・ジャンパーズなどがいた。彼らは順番に演奏したが、しかしヘイ判事はフルート・ジャー・ドリンカーズがお気に入りで、いつも毎回番組の最後を締める「red hot fiddle playing」のコーナーにもう一度登場させた。ヘイ判事は、開始当初から出演者を田舎風の愛称で呼び、女性にはあごひものついた帽子にエプロン、男性にはオーバーオールにチェック柄のシャツを着せて、農場にいるかのような演出をつけた。

1926年、数曲のレコードを出してボードビルショーを巡回していたテネシー州のバンジョー奏者、アンクル・デイヴ・メイコンは、番組で最初のスターとなった。番組名はもともと「バーン・ダンス(Barn Dance)」だったが、正式にグランド・オール・オプリに決まったのは1927年の12月だった。当時この番組は、全国ネットのNBCの、クラシック音楽やオペラなどの教養音楽を流す番組の直後に放送されていた。番組のオープニングで、蒸気機関車の音の後に「ハーモニカの天才」デフォード・ベイリーが彼のクラシック・トレイン・ソング、「パン・アメリカン・ブルース(The Pan American Blues)」を演奏すると、ヘイ判事が南部訛りでコメントする。「グランド・オペラはいかがだったでしょうか。ここから数時間はグランド・オール・オプリをお楽しみ下さい」[9]。これ以来、その名前は番組名として今日も使用されている。

公開番組の聴衆は増えて、会場を数度変更し、1943年にはライマン劇場へ移動した。1954年10月2日、まだ10代のエルヴィス・プレスリーがショーに最初で唯一の出演を果たした。「ケンタッキーの青い月」を、その曲の作曲者で当時レギュラー出演者だったビル・モンローの前で演奏した。モンローはそのアレンジに怒り出すとプレスリーは思ったが、逆に感心された。司会者のジム・デニーは、プレスリーに「メンフィスに戻ってトラックの運転手をやり直した方がいい」と言ったといわれている。

1974年、その後はナッシュビルのダウンタウンの数マイル東に4000席のグランド・オール・オプリ・ハウスが建設され、ショーも移動した。2年後には「オプリランドUSA」というテーマパークが隣接して完成する。このテーマパークは1997年に閉鎖され、オプリ・ミルズ・モールとして生まれ変わり、北米最大のカジノのないホテル、「ゲイロード・オプリランド・リゾート & コンベンションセンター」が建てられた。現在も世界中のファンが、オプリの音楽とコメディを見にナッシュビルに観光に来ている。現在オープリーはライマン公会堂の年に一度の冬季公演を除き、グランド・オール・オープリーで週に数回収録される。2010年5月、オープリー・ハウスはカンバーランド川沿岸決壊により浸水し、どれだけの被害を受けたか未知数であるが復旧まで一時的に火曜日は戦争記念館で収録し、それ以外はライマン公会堂で収録を行う。

文化、経済的側面 [編集]

あらゆる面において、オプリはアメリカのカントリー音楽の登竜門と定義されている。新人、スーパースター、伝説の人を問わず、数百の演奏家が出演した。グランド・オール・オプリに出演することは、カントリー音楽のエリートであることを意味していた。番組開始当初は出力も小さく、ナッシュビル発の電波を受信できるような地域では、オプリは例外として早朝か昼に放送されることが一般的で、それは聴取者が主に農家であったことによる。アパラチアの山村の農民たちは、土曜の夜のオプリを聞くために、数マイル離れたラジオのある家に集まって熱心に聞いた。特に、辺境の地に住むミュージシャンはその一流のミュージシャンたちの演奏技術を盗もうと耳をそばだてて聞いた。チェット・アトキンスもオプリを聞いて独学でギターを学んだ一人である。

オプリでは出演者へのギャラはないこともしばしばで、演奏者たちは、代わりに自分達のツアーやコンサートの告知ができればいいと思っていた。しかし、やがて出演者たちは、隔週でレギュラー出演するとしても、年に少なくとも26回はナッシュビルで番組にノーギャラで出ることが重荷になっていった。このため、1960年代中期には出演料が出されることになり、落ちていた番組の質は向上した。

長年、グランド・オール・オプリへの出演はカントリー音楽のスターへの道と考えられていたが、1970年代終わりと1980年代前半には、かつてのスターしか出演しなくなったため、「古くさいお遊び」として見放されるようになった。特にドラムとエレキ楽器の使用がされなかったという点では、新しくて若いカントリーロックのアーティストは出演できなかった。保守的なカントリー音楽の伝統を守っていることで、よくも悪くも、オプリは長年続けることができたとも言える。

2004年9月、グランド・オール・オプリはカントリー料理のチェーンレストラン、クラッカー・バレルを提供スポンサーに迎え、「グランド・オール・オプリ presented by クラッカー・バレル」となった。

メンバーシップ [編集]

Category:グランド・オール・オープリー・メンバー 参照

カントリー・ミュージックの老舗、本場であり不朽の殿堂でもあるグランド・オール・オープリーのメンバーになることは、カントリー界のエリートと認められることと同等である。様々な意味でオープリーのアーティストやレパートリーはアメリカのカントリー・ミュージックに定義される。新人、スーパースター、巨匠など何百もの演奏者がゲスト・メンバーとして長年演奏してきている。

オープリーのメンバーシップはただ獲得するだけでなく、現役でいる限り最前線で活躍し続けねばならない。オープリーのメンバーであるアーティストが亡くなった場合、もはやグランド・オール・オープリーの常任メンバーではないとされる。しかしながら、2003年にハンク・ウィリアムズ没後50周年が開催され息子のハンク・ウィリアムズ・ジュニア、孫のハンク・ウィリアムズ3世が出演する特別イベントが行なわれるなど影響力はそのままである。

論争 [編集]

1963年4月、オープリーのマネージメントは、メンバーシップを保つためには年間最低26公演に出演すべきという規則を発表[10]。1964年1月、その数は20公演に下げられ[10]、2000年には12公演にまで下げられた[11]。年月をかけて最低公演数は下げられたが、メンバーであるアーティストは献身的に頻繁に出演することが要求される[11]

長年続いてきた他の論争は、ドラムや電気系楽器の使用に関してである。何人かの純正主義者は伝統的にカントリー・ミュージックのリズムを取るのはコントラバスで、打楽器はめったに使わないと考えていた。1940年代、当時新しかった電気系楽器はポピュラー・ミュージックやジャズで使用されていた。オープリーでは第二次世界大戦期にはエレクトリック・ギタースティール・ギターは容認されたが、ドラムや管楽器の制限は継続していた。ボブ・ウィルズ[12]ピー・ウィー・キング[13]はこのドラム規制に反抗。この規制は新規や若いファンの多かったウェイロン・ジェニングスなど多くのアーティスト達を苛立たせた。長い期間をかけてこれらの制限は取り除かれ、多くの古参の伝統主義者のファンを遠ざけることとなったが、長い目で見てオープリーの存続を考慮すると最善の選択であったとされる。

2010年にカントリー歌手のチェリー・ライトが同性愛者であることをカミングアウトしてからオープリーに出演していない。彼女のドキュメンタリー『Wish Me Away 』で、クリスチャンがファンの大部分を占めるカントリー・ミュージック界では同性愛者に対しどれだけ拒絶的であるかを語った。

脚註 [編集]

  1. ^ Radio – Long Players”. Guinness World Records. 2010年4月4日閲覧。
  2. ^ NRK article - Barnetimen er gammaldags (The 'Childrens-hour' is old-fashioned) (norwegian)”. Norsk RiksKringkasting. 2010年8月27日閲覧。
  3. ^ a b About The Opry”. Grand Ole Opry. Gaylord Entertainment. 2010年1月26日閲覧。
  4. ^ Grand Ole Opry”. Gaylord Opryland. Gaylord Hotels. 2010年1月26日閲覧。
  5. ^ Music/Grand Ole Opry”. The Radio Hall of Fame. 2010年1月26日閲覧。
  6. ^ Country Music History”. Country Music Hall of Fame and Museum. Country Music Foundation, Inc.. 2010年1月28日閲覧。
  7. ^ WSMは保険会社が所有するラジオ局で、、「We Shield Millions(私たちは億千万人を保障します)」の頭文字だった。
  8. ^ WLSとは、「Wolrd's Largest Store(世界最大の店)」の略。
  9. ^ "For the past hour, we have been listening to music taken largely from Grand Opera. From now on we will present the 'Grand Ole Opry.'"
  10. ^ a b “Four Dropped From 'Opry' To Return on Christmas”. Billboard: 50. (November 27, 1965). http://books.google.com/books?id=NykEAAAAMBAJ&pg=PA60#v=onepage&q&f=false. 
  11. ^ a b Morris, Edward (2000年4月20日). “Grand Ole Opry Looking Toward Building Its Audience”. CMT/CMT News. 2012年12月9日閲覧。
  12. ^ Kienzle, Richard. (2003). Southwest shuffle: pioneers of honky-tonk, Western swing, and country jazz. New York: Routledge. pp. 254-257.
  13. ^ Hall, Wade. (1998). "Pee Wee King". In The Encyclopedia of Country Music. Paul Kingsbury, Editor. New York: Oxford University Press. pp. 283–4.

参考 [編集]

  • en:Grand Ole Opry14:53, 15 May 2007の版より
  • 「ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景」(NHKブックス)
  • 「エルヴィス・プレスリー 世界を変えた男」(文春新書)

外部リンク [編集]