カサブランカ級航空母艦

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カサブランカ級航空母艦
キトカン・ベイ(USS Kitkun Bay, ACV-71/CVE-71)
艦級概観
種別 護衛空母
艦名 海、島、戦場の名
建造者 {{{建造者}}}
運用者 {{{運用者}}}
建造期間 {{{建造期間}}}
就役期間
同型艦 {{{同型艦}}}
前級 サンガモン級航空母艦
次級 コメンスメント・ベイ級航空母艦
主要諸元
排水量 基準:7,800トン 満載:10,400トン
全長 156.13m
全幅 19.89m
吃水 6.9m
深さ {{{深さ}}}
機関 ボイラー×4缶
スキナー式ピストン型ユニフロー蒸気機関×2基
スクリュープロペラ×2軸
機関出力 9,000 hp
電力 {{{電力}}}
速力 19.25ノット
燃料 {{{燃料}}}
航続距離 10,240カイリ(15ノット巡航時)
潜航深度 {{{潜航深度}}}
乗員 860名
搭載量 {{{搭載量}}}
装甲 {{{装甲}}}
兵装 38口径5インチ単装砲×1基
40mm機関砲×16門(連装8基)
エリコン20mm機銃×20基
搭載機 戦闘機 16機、艦上攻撃機 12機
搭載総数 {{{総艦載機数}}}
搭載艇 {{{艦載艇}}}
C4ISTAR {{{C4I}}}
レーダー {{{レーダー}}}
ソナー {{{ソナー}}}
電子戦
対抗手段
{{{電子戦}}}
特殊装備 {{{特殊装備}}}
その他 {{{その他}}}

カサブランカ級航空母艦(カサブランカきゅう こうくうぼかん、英語: Casablanca-class escort carrier)はアメリカ海軍護衛空母(CVE)の艦級。当初、補助空母(ACV)として建造され、イギリス海軍にレンドリース(貸与)される予定であったがアメリカ海軍で運用された。

概要[編集]

ヘンリー・J・カイザー

元来は、1942年にカイザー造船所社長ヘンリー・J・カイザー英語版が提案した30隻建造のプランによる[1]。当初、アメリカ海軍はさほど相手にはしていなかったが、フランクリン・ルーズベルト大統領の肝いりもあって、6月に入ってカイザー造船所に50隻の建造が発注された[1]。カイザー造船所のドックおよび船台はもともとリバティ船建造用に建設されたものだったが、やがて戦車揚陸艦の建造も手がけ、最後にカサブランカ級の一括建造に取り掛かった。1943年7月8日に一番艦のカサブランカを竣工させてから、最終艦のムンダがちょうど一年後の1944年7月8日に竣工するまでの間、ほぼ一週間に1隻のペースで建造されたので「週刊空母」の異名を持つ。カイザー社長は「ベビー空母」と呼んでいた[1]

前級のサンガモン級での経験により、艦載機を運用するに足りる最小限の規模で設計された。その構造も建造が比較的容易な商船型を採用し、既存商船の改装ではなく一からの新設計だったため無駄を極力排した艦となった。飛行甲板ボーグ級よりも余裕があったが、サンガモン級と同じく飛行甲板の位置はボーグ級と比べて低かった[1]。機関も安価で入手の容易なレシプロ機関を用いている。一方で抗甚性向上のため、護衛空母として初めて機関のシフト配置を採用する等、必ずしも「安かろう、悪かろう」の艦ではない。出力自体はボーグ級の蒸気タービン(1軸)と大差なかったが、排水量が少ない分最高速力は速かった[2]。にもかかわらず、カサブランカ級搭載のレシプロ機関は効率が悪く整備に手間がかかるという機関担当の乗員泣かせの代物で、評判はさっぱりだった[3]

艦名は当初、海や島の名前が宛がわれていたが、後に戦場となった地名や島も使用された。また、アンツィオとセント・ローの前名であるコーラル・シーとミッドウェイは、ともにミッドウェイ級航空母艦一番艦三番艦(当初は二番艦)の艦名に流用された。

本級の存在によりアメリカ海軍艦隊や船団の赴くところほぼ全てで艦載機が存在するということになった。戦後、1947年にスクラップとして売却処分された艦もあるが、ほとんどの艦が予備役に入ってモスボール(不活性化)処理がなされた。予備役の艦は1955年に特務空母(CVU)やヘリコプター護衛空母(CVHE)として復帰した。1960年に再び売却処分された艦があったものの、航空機輸送艦(AKV)に転用される艦もあり、それらの艦は1965年まで現役であった。

戦歴[編集]

カサブランカ級の戦歴で特筆すべきはサマール沖海戦であろう。1944年10月25日、カサブランカ級ホワイト・プレーンズ等6隻を主力とする第77任務部隊第4群第3群(第77.4.3任務群。通称「タフィ3」。クリフトン・スプレイグ少将)はサマール島沖でレイテ湾突入を目指す日本海軍栗田艦隊(第一遊撃部隊第一部隊および第二部隊)と遭遇。2時間の戦闘の末、ガンビア・ベイの他、駆逐艦護衛駆逐艦各一隻を喪失。さらにその後、セント・ローが神風特別攻撃隊の突入を受け轟沈。ホワイト・プレインズ、キトカン・ベイおよびカリニン・ベイも損傷を受ける。この少し前には、同第1群(第77.4.1任務群。通称「タフィ1」。トーマス・L・スプレイグ少将)のペトロフ・ベイおよびサンガモン級サンティーとスワニーにも特攻機が突入しており、わずか数時間の内に5隻もの護衛空母が沈没、または損傷した。

日本側の視点では、本海戦は戦艦大和や特攻隊が初めて戦果を挙げた戦いとしてよく記憶される。しかし、米軍側から見ると少々様相が異なってくる。「タフィ3」との戦闘により、栗田艦隊は重巡3隻を喪失(1隻撃沈、2隻は航行不能の末に自沈処分)し、大和も魚雷をかわすため進路を大きく狂わされた。栗田艦隊は再集結にも手間取り、レイテ湾突入前に貴重な戦力と時間を消耗することになってしまい、「タフィ3」はハルゼー艦隊やオルデンドルフ艦隊の準備や到着までの貴重な時間を稼いだ。

この海戦が、その後の栗田艦隊「謎の反転」の一因となった。栗田艦隊が「タフィ3」を正規空母部隊と誤認していたという幸運もあったとはいえ、全滅さえ覚悟したという困難な戦況の中で「タフィ3」はよく善戦し、レイテ湾の裸同然の輸送船団と数万の将兵を救った。太平洋艦隊司令長官の任にあったチェスター・ニミッツ元帥は後に、「タフィ3」をはじめとする護衛空母群の健闘に、最大級の賛辞を送った。また、大西洋方面の戦いに置いても、カサブランカ級は対潜掃討および船団護衛任務に従事し、何隻かのUボートを撃沈する戦果をあげている。

なお、詳細な戦歴は各艦の項を参照されたい。

同型艦[編集]

神風攻撃を受けるセント・ロー(USS St. Lo, CVE-63)

※1 艦名およびハルナンバー英語版の後の◎はレイテ沖海戦参加艦

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 大塚「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」138ページ
  2. ^ 大塚「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」138、139ページ
  3. ^ 大塚「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」139ページ

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 「世界の艦船増刊第10集 アメリカ航空母艦史」海人社、1981年
  • デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー/妹尾作太男(訳)『ドキュメント神風 特攻作戦の全貌 上・下』時事通信社、1982年、ISBN 4-7887-8217-0ISBN 4-7887-8218-9
  • 「世界の艦船増刊第15集 第2次大戦のアメリカ軍艦」海人社、1984年
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
  • 金子敏夫『神風特攻の記録 戦史の空白を埋める体当たり攻撃の真実』光人社NF文庫、2005年、ISBN 4-7698-2465-3
  • 大塚好古「アメリカの空母各級厳選写真集」「数は力 力は正義なり!護衛空母群の航空戦力」「太平洋戦争時における護衛空母全般の評価」「太平洋戦争における米空母の各種艦上機」『歴史群像太平洋戦史シリーズ53 アメリカの空母』学習研究社、2006年、ISBN 4-05-604263-2