カダシャン・ベイ (護衛空母)

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1945年4月8日撮影
艦歴
発注
起工
進水 1943年12月11日
就役 1944年1月18日
退役 1946年6月14日
その後 1959年8月13日にスクラップ
除籍
性能諸元
排水量 7,800 トン
全長 512.3 ft (156 m)
全幅 108.1 ft (33 m)
吃水 22.5 ft (6.9 m)
機関 3段膨張式蒸気機関2基2軸、9,000馬力
最大速 19ノット
航続距離 10,240カイリ(15ノット/時)
乗員 士官、兵員860名
兵装 38口径5インチ砲1基
40ミリ機関砲16基
20ミリ機銃20基
搭載機 28機

カダシャン・ベイ (USS Kadashan Bay, AVG/ACV/CVE-76) は、アメリカ海軍護衛空母カサブランカ級航空母艦の22番艦。艦名はアラスカのカダシャン湾にちなむ。

艦歴[編集]

カダシャン・ベイは1942年8月20日に ACV-76 (補助空母)に艦種変更され、1943年7月15日に再び CVE-76 (護衛空母)へと艦種変更された。1943年12月11日に合衆国海事委員会の契約下ワシントン州バンクーバーカイザー造船所でオードリー・アッカーマンによって進水する。1944年1月18日にR・N・ハンター艦長の指揮下就役する。

整調後、カダシャン・ベイは1944年3月6日にサンディエゴを出航しエスピリトゥサント島へ向かった。同島へ2度の航海を行い、合計154機の航空機を送り届け、5月13日にサンディエゴに帰還した。修理及び訓練後、7月10日に出航し真珠湾の空母部隊に合流する。1ヶ月後ツラギ島へ向けて出航、9月に行われるパラオへの攻撃の最終準備に入った。

カダシャン・ベイは9月6日にツラギ島を出航、6日後に搭載航空団がペリリュー島の日本軍陣地に対する侵攻前の空襲を行った。地上部隊は9月15日に上陸し、フィリピン侵攻を支援するための航空基地として同島を占領した。マヌス島で準備が完了し、カダシャン・ベイはフェリックス・スタンプ少将率いる第77.4.2任務群(通称「タフィ2」)に加わり[1]、10月14日にレイテ湾に向けて出航した。10月21日にレイテ湾沖に到着すると、直ちに沿岸の部隊に対する支援攻撃を開始した。4日後、搭載偵察機の1機、ハンス・L・ジェンセン少尉機がサマール島沖で栗田健男中将率いる日本艦隊を発見した。サマール沖海戦でカダシャン・ベイは戦闘機3機と雷撃機3機を発艦させ、栗田艦隊への攻撃を行った。任務が完了するとカダシャン・ベイはマヌス島へ向けて出航し、11月3日に到着した。

フィリピンでの戦闘は継続し、カダシャン・ベイの航空部隊は12月中旬に11機の敵機と遭遇した。ルソン島上陸のための準備を行い、1945年1月3日に主力部隊に合流した。5日後の1月8日にルソン島沖に到着、早朝の航空攻撃に参加した。その日の午前、特攻機が主力部隊に攻撃を仕掛けてきた。この日の主力は日本陸軍の神風で[2]、オーストラリア重巡洋艦オーストラリア (HMAS Australia, D84) とカダシャン・ベイに1機ずつ突入した。敵機は艦橋下の艦中央部に激突し、一時間半に及ぶダメージ・コントロールの努力が続けられた。カダシャン・ベイは1月12日にレイテ島に到着し、応急修理が行われた後、2月13日に本修理のためサンフランシスコに向かった。

カダシャン・ベイは4月8日に真珠湾に向けて出航。14日に到着し、その後太平洋の島々の間を航空機及び便乗者を乗せて巡航した。7月には日本本土への攻撃を行う第3艦隊ウィリアム・ハルゼー大将)のための補給任務を命じられ、真珠湾への航海の途中に日本の敗戦の報を知る。それはカダシャン・ベイにとって新たな任務の始まりであった。

カダシャン・ベイは9月にマジック・カーペット作戦に参加し、帰還兵を乗せて9月26日にサンフランシスコに到着した。続く3ヶ月にわたって、戦いに疲れた兵士達を帰国させるため真珠湾、グアム島、沖縄、中国からの航海を繰り返した。12月22日にサンペドロに到着、これがカダシャン・ベイにとって最後の太平洋からの航海であった。1946年1月10日にサンディエゴを出航し、ボストンに向かう。1月29日にボストンに到着し、6月14日に退役、同地で大西洋予備役艦隊入りした。その後、1956年6月12日に CVU-76 (雑役空母)に艦種変更され、1959年8月13日にスクラップとして廃棄された。

カダシャン・ベイは第二次世界大戦の戦功での2つの従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ 金子, 116ページ
  2. ^ 永井、木俣, 139ページ

参考文献[編集]

  • デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー/妹尾作太男(訳)『ドキュメント神風 特攻作戦の全貌 上・下』時事通信社、1982年、ISBN 4-7887-8217-0ISBN 4-7887-8218-9
  • 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記 PARTIII』朝日ソノラマ、1991年、ISBN 4-257-17242-8
  • 金子敏夫『神風特攻の記録 戦史の空白を埋める体当たり攻撃の真実』光人社NF文庫、2005年、ISBN 4-7698-2465-3

外部リンク[編集]