オラン

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オラン
وهران
Oran
アルジェリアの旗
Oran2.JPG
オランの眺め
Armoirie oran.png
市章
位置
オランの位置の位置図
オランの位置
オランの位置の位置図
オランの位置
座標 : 北緯35度41分48.84秒 西経0度37分59.16秒 / 北緯35.6969000度 西経0.6331000度 / 35.6969000; -0.6331000
歴史
建設 10世紀
行政
アルジェリアの旗 アルジェリア
  オラン県
 郡 オラン郡
 市 オラン
地理
面積  
  市域 64km2
標高 110m
人口
人口 (2008年現在)
  市域 897,700人
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間UTC+1
夏時間 なし
郵便番号 31000–31037
公式ウェブサイト : http://www.visitoran.com/

オランアラビア語: وهرانwahrān, Oran)は、アルジェリア北西部に位置する同国第二の都市である。人口は897,700人。オラン県の県都である。アルベール・カミュの小説『ペスト』の舞台にもなっている。


概要[編集]

アルジェリアの主要港の一つで、商業の中心地でもある。オラン市内には3つの大学があり、オランの旧市街部には、カスバや18世紀に建てられたモスクなどがある。

歴史[編集]

第二次大戦下のオラン港(1943年)

オランはムーア人によって10世紀に創られたが、1509年シスネロス率いるスペインに占領された。オラン包囲戦 (1556年)英語版で包囲された際には、トレムセンを占領した。1708年になるとオスマン帝国に征服されるようになった。1732年に再びスペインが奪い返したものの、オランの貿易都市としての必要性が下がったため、時のスペイン王、カルロス4世はオスマン帝国にこれを売却した。オスマン帝国の支配は1830年にフランスアフリカの植民地の拠点としてアルジェリアを占領するまで続いた。

第二次世界大戦時には事実上半ばドイツ占領下にあるヴィシー政権下に置かれ、1942年後半のトーチ作戦連合国軍によって占領されるまでそれが続いた。フランス海軍の艦隊がドイツの手に渡るのを恐れたイギリス軍がフランスに対して艦艇をイギリスの港に回航すること、自沈すること、英軍と戦闘を交えること(艦隊を壊すため)などの最後通牒を突きつけるが、フランスはこれを拒否したためフランス艦隊が停泊しているアルジェリアのメルス・エル・ケビールで戦闘が始まった(メルセルケビール海戦)。オランにも艦艇が10隻ほど存在したためここでも戦闘が行われていた。

1954年からアルジェリア独立戦争が始まるまで、オランはフランス領であり、北アフリカの中でも特に多くのフランス人を始めとしたヨーロッパ人(ピエ・ノワール)が居住していた。しかし、アルジェリア独立戦争が終わるまでにほとんどのヨーロッパ人やユダヤ人がフランスに去った。特にアルジェリア独立時の1962年7月5日にオランで起きたヨーロッパ人の大虐殺は、彼等のアルジェリア外への脱出を促進した。これによりオランはわずか3ヶ月で人口が半分にまで減少した。1962年7月5日以降は独立に伴い、アルジェリア領となる。

文化[編集]

ライ音楽の発祥地であり、現在も盛んである。アラブ人で最も有名な世界的歌手の一人であるライ歌手のシェーブ・ハーレドやロックミュージシャンのラシード・タハ英語版はここの出身である。

作家のアルベール・カミュバイオリン奏者アキム・エル・シカメヤファッションデザイナーイブ・サンローランもまたここが出身地である。

スペイン統治が長かったため、住民の言葉はスペイン語の影響を受けている。

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]