アンドリュー・モートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アンドリュー・モートン
Andrew Morton
2008年モスクワで開催されたInteropでのスピーチの様子
別名 akpm
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生誕 1959年
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
職業 プログラマ
配偶者 キャスリン・モートン(Kathryn Morton)
両親 父:デーヴィッド・モートン教授(Prof. David Morton)(故人)
子供 ヴィクトリア・モートン(Victoria Morton)
マイケル・モートン(Michael Morton)
マシュー・モートン(Matthew Morton)
業績
勤務先 Google
成果 mmツリー
テンプレートを表示

アンドリュー・キース・ポール・モートン英語: Andrew Keith Paul Morton, 1959年 - )はオーストラリアのソフトウェアエンジニア。イギリス生まれであり、Linuxカーネル開発を率いるリード開発者のひとりとしてもっとも良く知られている。彼は現在、ext3ファイルシステムとJournaling layer for block devices(JBD英語版; ext3を含め、Linuxカーネルがサポートするジャーナリングファイルシステムにおけるジャーナル管理用の共通API[1])の共同メンテナである。

経歴[編集]

1980年代末頃、シドニーにあるApplix 1616英語版というコンピュータを製造する会社で、(今は亡き)オーストラリアのゲーム製造会社Keno Computer Systemsへの機器納品のためハードウェアエンジニアとして勤務していた。彼はまた、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学電気工学学位学士)を取得している。

彼はmmツリーとして知られるパッチセットのメンテナンスに関わっている。このパッチセットには、リーナス・トーバルズによりメンテナンスされている公式のLinuxカーネルツリーにのちに取り込まれる可能性が高いが、「作業途上」("work-in-progress")のパッチが含まれている。カーネル開発における初期フェーズ用テスト基盤にあたるmmツリーは最早アンドリューの手に負えないほど巨大かつせわしい物となってしまったため、2008年に"linux-next"というソースツリーがその役割を完全に担うものとして作成された。

2001年、モートンとその家族はオーストラリアニューサウスウェールズ州ウロンゴンからパロアルトへ引っ越した。

2003年7月、彼は彼の以前の勤務先Digeo Inc.との合意の下、Open Source Development Labs(OSDL)に加入した(Digeo Inc.はMoxi英語版 home entertainment media centerを製造した会社である)。OSDLは彼がDigeoにおける先任エンジニアとしての待遇そのままでLinuxカーネル開発に従事できるよう支援した[2]

2006年8月、モートンはGoogleから給料を受け取るようになったものの、現在のLinuxカーネルのメンテナンスの仕事も続けることになった[3][4]

2004年のOttawa Linuxシンポジウムでモートンは基調演説を行った。またMontaVista英語版 Software's Vision 2007 Conferenceにおいても特別講演を行っている[5]

2003年から始まったSCOIBMUNIX著作権を巡る法廷闘争(SCO対IBM事件英語版)では証言台に立っている[6]

彼の電子メールアドレスやウェブページ(現在は消滅)のURLから彼のユーザー名がakpmであるのはまた良く知られている。ある人物が"KP"が何を意味するのか尋ねてみたところ、彼はこう答えた。「ある人はカーネルプログラマーKernel Programmer)と言うだろうね。 私の両親からはキース・ポールKeith Paul)と呼ばれるのだけれども[7]。」

脚注[編集]

外部リンク[編集]