アラン・ロイド・ホジキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アラン・ロイド・ホジキン
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1963年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:神経細胞の末梢および中枢部における興奮と抑制に関するイオン機構の発見

サー・アラン・ロイド・ホジキン(Sir Alan Lloyd Hodgkin、1914年2月5日 - 1998年12月20日)は、イギリス生理学者で生物物理学者。中枢神経系の調節に応じて各器官が動くために必要な、神経細胞活動電位の研究により、アンドリュー・フィールディング・ハクスリーとともに1963年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。1963年にはシナプスの研究者のジョン・C・エックルスも同賞を受賞している。ホジキンとハクスリーはイオンチャネル仮説を打ちたてたが、この仮説はわずか10年後に検証された。

イオンチャネル仮説を証明するために活動電位を測る実験で、「ボルテージクランプ」と呼ばれる電気生理学的な技術が初めて用いられた。この実験に使われたもう一つの大きな要素はアメリカケンサキイカ英語版(Loligo pealei)の巨大な軸索であり、これによって、通常は扱えないほど小さな神経線維の電流を記録することができた。この実験は1935年にケンブリッジ大学でカエルの坐骨神経を使って始められ、第二次世界大戦による中断を挟みながら1940年代まで続けられた。

戦中は、自発的にイギリス空軍衛生兵として従軍し、後に情報通信研究所でVillage Innなどのセンチメートル・レーダーの開発に関わった。

戦後、ホジキンとハクスリーは1952年に理論を発表した。

パッチクランプ法が開発されると、イオンチャンネルの存在は確かに確認され、この業績でエルヴィン・ネーアーベルト・ザクマンは1991年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

オックスフォードシャーバンベリー出身。ノーフォークホルト英語版グレシャム・スクール英語版ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで教育を受けた。彼は1972年に大英帝国勲章ナイト・コマンダーを[1]、1973年にメリット勲章を受勲した[2]。1948年に王立協会フェローに選出され、1970年から75年にかけて王立協会の会長となった[3]。1978年から84年にかけてはトリニティ・カレッジの学長を務めた[4][5]

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ London Gazette: (Supplement) no. 45554, p. 8, 1971年12月31日. 2012年3月29日閲覧。
  2. ^ London Gazette: no. 45959, p. 5049, 1973年4月19日. 2012年3月29日閲覧。
  3. ^ Hodgkin; Sir; Alan Lloyd (1914 - 1998); Neurophysiologist” (英語). Library and Archive catalogue. The Royal Society. 2012年3月29日閲覧。
  4. ^ London Gazette: no. 47590, p. 8395, 1978年7月13日. 2012年3月29日閲覧。
  5. ^ London Gazette: no. 49797, p. 9207, 1984年7月5日. 2012年3月29日閲覧。
先代:
ブラケット男爵
王立協会会長
第52代: 1970年 - 1975年
次代:
トッド男爵
先代:
初代エイドリアン男爵
レスター大学総長
第2代: 1971年 – 1984年
次代:
サー・ジョージ・ポーター
先代:
バトラー男爵
トリニティ・カレッジ学長
第34代: 1978年 – 1984年
次代:
サー・アンドルー・ハクスリー