セベロ・オチョア

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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1959年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:RNAおよびDNAの合成に関する研究

セベーロ・オチョア・デ・アルボルノス(Severo Ochoa de Albornoz, 1905年9月24日 - 1993年11月1日)は、スペイン出身のアメリカ合衆国生化学者で、1959年度のノーベル生理学・医学賞の受賞者である。

来歴[編集]

オチョアはスペインのルアルカで、弁護士でビジネスマンの父セベーロ・マヌエル・オチョアと母カルメン・デ・アルボルノスの間に生まれた。父親はオチョアが7歳の時に亡くなり、母子はマラガに移住し、ここでオチョアは高校まで通った。彼はスペインの神経科学者でノーベル賞受賞者のサンティアゴ・ラモン・イ・カハールの著書を読んで生物学に興味を持った。1923年、彼はマドリード大学の医学部に入学し、カハールの元での研究を希望したが、カハールは退官した後だった。1929年、医学博士号を取得した。1931年にカルメン・ガルシア・コビアンと結婚したが、子供はいない。

それ以来1938年まで、彼は様々な場所で様々な人と様々な地位で仕事をした。例えばオットー・マイヤーホフハイデルベルクのカイザー・ウィルヘルム医学研究所に客員助手として彼を招いた。1938年から41年まで、彼はオックスフォード大学で助手として働いた。その後はアメリカ合衆国に移住し、再び様々な大学で様々な地位について研究を行った。1942年に彼はニューヨーク大学医学部の助手になり、1945年に生化学の助教授、1946年に病理学の教授、1954年に生化学の教授となった。

1956年にアメリカ合衆国の国籍を取得。

オチョアは1985年までタンパク質生合成とRNAウイルスの複製の研究を続け、スペインに帰国して政府や科学者にアドバイスを行った。

栄誉[編集]

1959年にRNAの合成に関する研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼はまた、1979年にアメリカ国家科学賞も受賞した。オチョアはマドリードで亡くなり、1970年代から計画されていた新しい研究所は彼の名前から命名された。また、小惑星番号117435の小惑星セベロチョア(Severochoa)も彼の名前にちなんでいる。

外部リンク[編集]