ジェームズ・ワトソン

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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1962年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見

ジェームズ・デウィー・ワトソンJames Dewey Watson, 1928年4月6日 - )は、DNAの分子構造における共同発見者の一人として知られる、アメリカ出身の分子生物学者である。ワトソン及び、フランシス・クリックモーリス・ウィルキンスらは、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

イリノイ州シカゴ生まれ。シカゴ大学卒業後、米インディアナ大学大学院で生物学を専攻。

グアニン (G) と シトシン (C)、アデニン (A) と チミン (T) の四つの塩基デオキシリボース()とリン酸基の分子模型を用い、DNA構造の研究をしていた際に、ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折の写真をモーリス・ウィルキンスから紹介された。このX線回折のデータを参考にして、フランシス・クリックらと議論の末、DNA二重螺旋構造を発見した。そのことが後の分子生物学の飛躍的発展に繋がり、彼はクリックやウィルキンスと共に1962年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

1968年から1993年にかけてニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所の所長、1993年から2007年までは会長をつとめた。1989年から1992年には、NIH国立衛生研究所)の国立ヒトゲノム研究センター初代所長もつとめる。全米科学アカデミー及びイギリス王立協会(ロイヤルソサイエティ)会員。大統領自由勲章、全米科学界の栄誉とされるアメリカ国家科学賞を受ける。ウッズホール海洋生物学研究所の在籍者の一人。

2007年5月31日には、ベイラー医科大学と米バイオ企業「454ライフサイエンシズ」が共同で解析したワトソンの遺伝子情報が、国立バイオテクノロジー情報センター(NCBI)のデータベースに公開された。誰のものかが明らかにされているゲノム情報が公開されたのはこれが史上初である。

議論と批判[編集]

優れた業績の反面、問題発言が多いことでも知られる。また、経歴に関する幾つかの疑念が指摘されている。

2007年10月14日、「黒人人種的遺伝的に劣等である」という趣旨の発言が英紙サンデー・タイムズ一面に掲載された。同紙によるとインタビューにおいてワトソンは「アフリカの将来については全く悲観的だ」「(我々白人が行っている)アフリカに対する社会政策のすべては”アフリカ人の知性は我々と同等である”という前提で行われているが、それは間違いである」「黒人従業員の雇用者であれば、容易にそれを納得できるだろう」などと語ったという。この報道は欧米で大きな波紋を呼び、英国滞在中だったワトソンは謝罪と発言の真意が曲解されているとの旨のコメントを発するとともに、米国に緊急帰国した[1]

主な著書[編集]

関連図書[編集]

  • ロバート・オルビー『二重らせんへの道』<下> 紀伊國屋書店1996年

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