くりはら田園鉄道線
| くりはら田園鉄道線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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細倉マインパーク前付近(2006年)
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| 路線総延長 | 25.7 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 軌間 | 1067 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| くりはら田園鉄道線 | |
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| 駅所在地 | |
| 地図の不具合を報告 | |
くりはら田園鉄道線(くりはらでんえんてつどうせん)は、宮城県登米市の石越駅と宮城県栗原市の細倉マインパーク前駅まで結んでいた、くりはら田園鉄道の鉄道路線である。前身は栗原電鉄(くりはらでんてつ)で、略称はこれと共通するくりでんまたは栗鉄である。
目次 |
[編集] 概要
前身である栗原電鉄は、旅客輸送と共に、細倉鉱山で採取された鉱石や沿線で収穫された穀物などの貨物輸送を担っていた。1921年に部分開通し、1942年に石越から細倉鉱山までの全線が開通している。細倉鉱山から先、秋田県の湯沢まで延長する構想も持っていた。戦後、直流電化および改軌がなされた。最盛期には、石越から東北本線に乗り入れ、仙台まで直通する旅客列車も設定されていた。
しかし、1988年に細倉鉱山が閉山となると経営状態は次第に悪化していった。鉱山跡地を改装したテーマパークである細倉マインパークが開園したことで観光客輸送にも期待がかかったが、減少する利用者数に歯止めをかけることはできなかった。こうした厳しい経営状態の中、沿線自治体などが協議した結果、第三セクター方式で鉄道路線を維持することが決定され、1995年4月1日に、栗原電鉄はくりはら田園鉄道として再出発した。
再出発に当たって運行費を削減するため、電化を廃止し、運行する車両を電車から気動車に変更した。電車線(架線)は撤去されたものの、架線柱などは存置されたため、電車時代の面影が廃線時まで残っていた。
全列車が1両単行によるワンマン運転を行っていた。無人駅がほとんどだった。運賃は、苦しい経営状態を反映してか、かなり高額の部類に入り、JR線の約2倍だった。
沿線自治体の度重なる協議の結果、2007年3月31日をもって鉄道輸送を廃止することが決定し、翌4月1日からバス輸送に転換された。
[編集] 路線データ (廃止時)
- 路線距離(営業キロ):25.7km
- 軌間:1067mm
- 駅数:16駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:
- スタフ閉塞式(石越 - 若柳間、栗駒 - 細倉マインパーク前間)
- タブレット閉塞式(若柳 - 栗駒間)
[編集] 歴史
- 1918年(大正7年)12月15日 栗原軌道株式会社設立
- 1921年(大正10年)12月20日 石越 - 沢辺間(8.85km)開業
- 1922年(大正11年)12月17日 沢辺 - 岩ヶ崎(現・栗駒)間(7.73km)開業
- 1928年(昭和3年)4月10日 乗合バス事業を開始
- 1941年(昭和16年)12月3日 栗原鉄道と改称
- 1942年(昭和17年) 石越 - 若柳間の経路を変更[1]
- 1942年(昭和16年)8月20日 軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更[2]
- 1942年(昭和17年)12月1日 岩ヶ崎 - 細倉鉱山間(?km)開業。全線で26.2km
- 1943年(昭和18年)8月26日 乗合バス事業を栗原自動車に譲渡
- 1949年(昭和24年)3月1日 乗合バス事業を再開
- 1952年(昭和27年)9月21日 電気運転開始(直流750V)
- 1955年(昭和30年)9月26日 軌間を762mmから1067mmに変更
- 11月29日 栗原電鉄と改称
- 1960年(昭和35年)4月1日 陸前乗合自動車の全株式を譲受、子会社化
- 1964年(昭和39年)6月1日 陸前乗合自動車を合併。宮城中央交通と改称(存続会社は陸前乗合)
- 1968年(昭和43年)8月31日 バス部門を分社(宮城中央バス)
- 1969年(昭和44年)2月25日 再度、栗原電鉄と改称
- 1987年(昭和62年)3月29日 細倉 - 細倉鉱山間休止。貨物営業廃止
- 1988年(昭和63年)11月1日[2] 細倉 - 細倉鉱山間(0.7km)廃止(10月17日または10月27日とする文献あり)
- 1990年(平成2年)6月16日 細倉 - 細倉マインパーク前間(0.2km)開業。細倉駅廃止
- 1993年(平成5年)12月15日 親会社の三菱マテリアルが株式を沿線5市町村(当時)に譲渡、第三セクターとなる
- 1995年(平成7年)4月1日 くりはら田園鉄道と改称。電化廃止。ワンマン運転開始
- 2007年(平成19年)4月1日 鉄道全線廃止。バス輸送(ミヤコーバス)へ転換
[編集] 運行形態
1 - 2時間に1本程度の運転であった。土曜日と休日は、朝と夜の2往復が運行されず、その代わりとして午前中に1往復が運行されていた。
夜間滞泊は若柳駅と細倉マインパーク前駅で行っていた。
[編集] 車両
保存車両については「#保存車両」を参照
[編集] 廃止時点での在籍車両
[編集] 営業車両
- KD95形気動車 KD951 - 953
- 電化を廃止し内燃化に移行した際に3台が新製された富士重工業製の車体長16m級の軽快気動車 (LE-DC) 。外観は前面貫通式で貫通扉上部にはレトロ風カンテラを模した前照灯を装備。また第三セクター移行の際にホームが嵩上げされ、そのホーム高にあわせた車体設計のため乗降扉の足元の位置はやや高めで、逆に扉下段差(ステップ)の高さは極力抑えられ、車体側面の扉下側はJR東日本キハ100系気動車同様、全く張り出しがないすっきりしたデザインとなっている。内装は宮城県産木材を利用した床、手すり、格納式テーブルに1×2セミクロスシートの組み合わせと凝った作りになっている。ワンマン対応。
- KD10形気動車 KD11・12(旧名鉄キハ15・16)
- 輸送力強化のため1995年に名古屋鉄道から転入。主に通学目的の多客時間帯と専用列車の用途にとどまり、晩年は予備車扱いとなった。ワンマン対応工事は最後まで行われなかった。
- 廃止直前には団体専用列車に使われていた。
- 2007年6月現在、KD95形気動車の譲渡先は決定していない。譲渡が進まない理由として、上記に挙げた乗降扉の位置の高さでは、非電化地方鉄道にまだ多く残る760mmホーム高で段差が300mmを超えて法律上導入できないことも影響しているのでは、とも言われている[要出典]。
- 2009年10月31日と11月1日の2日間、旧若柳駅付近の約500mの線路上で期間限定の乗車会が行われた[3]。
- 茨城県のひたちなか海浜鉄道は、くりはら田園鉄道の車両を購入する計画を立てていた。しかし、2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震により、くりはら田園鉄道の車両の処分方針を決めるメンバー2人が被災し亡くなったため、この計画は先送りとなっている[4]。
[編集] 事業用車両
- DB10型機関車 DB101
- MC100型 保線用モーターカー
- ト102/103号車 木造無蓋車
- ワフ74号車 木造緩急車
[編集] 電化廃止前の車両
電車
- M15形 M151 - 153
- M18形 M181 - 183(M181は元西武モハ204、M182・183は元福島交通モハ5318・5319)
- C15形 C151・C152(元阪急81・86)
- M17形/C17形 M171・C171(元国鉄クモハ11形400番台)
※Mは電動車、Cは制御車を示す。
電気機関車
- ED18形→ED20形 ED181 - 183 → ED201 - 203
[編集] 利用状況
[編集] 輸送実績
くりはら田園鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は、ほぼ一貫して減少し、回復をみないまま廃線された。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
| 年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | ||||
| 1965年(昭和40年) | 183.5 | 旅客輸送実績最高値を記録 | |||||
| 1975年(昭和50年) | 12.9 | 29.5 | 53.3 | 95.7 | 891 | 16.1 | |
| 1976年(昭和51年) | 11.0 | 28.2 | 53.0 | 92.2 | 860 | 17.7 | |
| 1977年(昭和52年) | 9.1 | 29.0 | 52.0 | 90.2 | 839 | 13.3 | |
| 1978年(昭和53年) | 7.9 | 29.5 | 45.3 | 82.9 | 733 | 9.6 | |
| 1979年(昭和54年) | 7.0 | 25.9 | 44.2 | 77.2 | 680 | 11.1 | |
| 1980年(昭和55年) | 6.1 | 23.7 | 42.9 | 72.8 | 617 | 9.3 | |
| 1981年(昭和56年) | 6.0 | 22.6 | 41.8 | 70.5 | 580 | 7.7 | |
| 1982年(昭和57年) | 5.3 | 20.8 | 37.5 | 63.6 | 522 | 7.3 | |
| 1983年(昭和58年) | 5.4 | 19.4 | 35.4 | 60.2 | 502 | 6.7 | |
| 1984年(昭和59年) | 5.0 | 18.0 | 33.1 | 56.1 | 450 | 5.1 | |
| 1985年(昭和60年) | 4.5 | 18.4 | 29.8 | 52.7 | 413 | 4.6 | |
| 1986年(昭和61年) | 4.6 | 14.3 | 25.2 | 44.1 | 369 | 3.0 | 細倉-細倉鉱山間休止 貨物営業廃止 |
| 1987年(昭和62年) | 4.4 | 12.5 | 23.4 | 40.3 | 354 | 0.0 | |
| 1988年(昭和63年) | 3.0 | 12.0 | 22.6 | 37.6 | 327 | 0.0 | 細倉-細倉鉱山間 (0.7km) 廃止 |
| 1989年(平成元年) | 2.2 | 12.2 | 21.9 | 36.3 | 317 | 0.0 | |
| 1990年(平成2年) | 1.9 | 11.6 | 20.7 | 34.2 | 320 | 0.0 | 細倉-細倉マインパーク前間開業 |
| 1991年(平成3年) | 2.4 | 13.8 | 19.2 | 35.4 | 348 | 0.0 | |
| 1992年(平成4年) | 2.0 | 14.1 | 17.5 | 33.6 | 356 | 0.0 | |
| 1993年(平成5年) | 1.5 | 14.0 | 17.2 | 32.7 | 360 | 0.0 | 沿線5市町村による第三セクターとなる |
| 1994年(平成6年) | 1.4 | 13.4 | 20.0 | 34.8 | 398 | 0.0 | |
| 1995年(平成7年) | 1.2 | 14.2 | 17.0 | 32.4 | 369 | 0.0 | 電化廃止 ワンマン運転開始 |
| 1996年(平成8年) | 1.0 | 14.6 | 15.0 | 30.6 | 340 | 0.0 | |
| 1997年(平成9年) | 0.7 | 12.9 | 14.0 | 27.6 | 309 | 0.0 | |
| 1998年(平成10年) | 0.6 | 13.6 | 13.5 | 27.7 | 304 | 0.0 | |
| 1999年(平成11年) | 0.4 | 13.3 | 12.4 | 26.1 | 284 | 0.0 | |
| 2000年(平成12年) | 0.2 | 11.6 | 12.0 | 23.8 | 256 | 0.0 | |
| 2001年(平成13年) | 0.3 | 10.3 | 11.9 | 22.5 | 252 | 0.0 | |
| 2002年(平成14年) | 0.3 | 9.9 | 11.6 | 21.8 | 248 | 0.0 | |
| 2003年(平成15年) | 0.2 | 8.5 | 12.7 | 21.4 | 227 | 0.0 | |
| 2004年(平成16年) | 0.3 | 6.6 | 11.9 | 18.8 | 198 | 0.0 | |
| 2005年(平成17年) | 0.2 | 5.7 | 11.4 | 17.3 | 178 | 0.0 | |
| 2006年(平成18年) | 0.2 | 5.7 | 28.6 | 34.5 | 452 | 0.0 | |
| 2007年(平成19年) | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0 | 0.0 | 鉄道線の廃止、バスへの転換 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
[編集] 収入実績
くりはら田園鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で、その他の極値を黄色で表記している。
| 年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 |
||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
| 1975年(昭和50年) | 28,096 | ←←←← | 83,666 | 10,988 | 122,750 | 119,568 | 1,954 | 244,272 |
| 1976年(昭和51年) | 30,648 | ←←←← | 91,646 | 14,586 | 136,880 | 156,463 | 4,933 | 298,276 |
| 1977年(昭和52年) | 32,441 | ←←←← | 93,242 | 16,411 | 142,094 | 147,859 | 5,493 | 295,448 |
| 1978年(昭和53年) | 36,561 | ←←←← | 97,637 | 15,131 | 149,329 | 107,326 | 6,747 | 263,404 |
| 1979年(昭和54年) | 33,255 | ←←←← | 94,156 | 10,456 | 137,868 | 131,682 | 7,555 | 277,106 |
| 1980年(昭和55年) | 33,301 | ←←←← | 97,757 | 6,267 | 137,325 | 133,945 | 7,405 | 278,677 |
| 1981年(昭和56年) | 29,053 | ←←←← | 93,958 | 4,222 | 127,233 | 125,694 | 7,541 | 260,469 |
| 1982年(昭和57年) | 28,074 | ←←←← | 91,515 | 2,923 | 122,512 | 124,762 | 8,039 | 255,312 |
| 1983年(昭和58年) | 26,228 | ←←←← | 85,695 | 1,656 | 113,579 | 103,796 | 7,529 | 224,904 |
| 1984年(昭和59年) | 26,573 | ←←←← | 91,257 | 379 | 118,209 | 97,953 | 7,693 | 223,855 |
| 1985年(昭和60年) | 25,857 | ←←←← | 85,513 | 6 | 111,376 | 95,448 | 7,476 | 214,300 |
| 1986年(昭和61年) | 24,022 | ←←←← | 82,965 | 11 | 106,998 | 59,253 | 7,929 | 174,180 |
| 1987年(昭和62年) | 5,949 | 16,684 | 78,471 | 5 | 101,109 | 0 | 8,845 | 109,954 |
| 1988年(昭和63年) | 4,663 | 15,364 | 75,371 | 1 | 95,399 | 0 | 10,441 | 105,840 |
| 1989年(平成元年) | 4,207 | 16,907 | 70,678 | 1 | 91,793 | 0 | 9,489 | 101,282 |
| 1990年(平成2年) | 3,970 | 17,844 | 70,945 | 2 | 92,761 | 0 | 10,260 | 103,021 |
| 1991年(平成3年) | 4,748 | 24,151 | 66,199 | 1 | 95,099 | 0 | 12,588 | 107,687 |
| 1992年(平成4年) | 3,970 | 26,467 | 62,576 | 1 | 93,014 | 0 | 13,199 | 106,213 |
| 1993年(平成5年) | 3,172 | 26,981 | 63,896 | 3 | 94,052 | 0 | 14,467 | 108,519 |
| 1994年(平成6年) | 2,714 | 25,148 | 75,051 | 0 | 102,913 | 0 | 16,207 | 119,120 |
| 1995年(平成7年) | 2,107 | 25,951 | 65,502 | 1 | 93,561 | 0 | 18,558 | 112,119 |
| 1996年(平成8年) | 1,621 | 28,013 | 54,236 | 1 | 83,871 | 0 | 16,614 | 100,485 |
| 1997年(平成9年) | 1,366 | 28,500 | 54,674 | 0 | 84,540 | 0 | 14,503 | 99,043 |
| 1998年(平成10年) | 1,063 | 30,563 | 51,006 | 0 | 82,632 | 0 | 14,871 | 97,503 |
| 1999年(平成11年) | 885 | 29,313 | 44,865 | 0 | 75,063 | 0 | 12,947 | 88,011 |
| 2000年(平成12年) | 493 | 25,828 | 41,372 | 0 | 67,693 | 0 | 12,904 | 80,597 |
| 2001年(平成13年) | 851 | 23,621 | 37,337 | 0 | 61,809 | 0 | 12,947 | 74,756 |
| 2002年(平成14年) | 842 | 23,371 | 35,646 | 0 | 59,859 | 0 | 12,246 | 72,105 |
| 2003年(平成15年) | 690 | 18,529 | 34,835 | 0 | 54,054 | 0 | 12,480 | 66,534 |
| 2004年(平成16年) | 797 | 14,630 | 35,931 | 0 | 51,358 | 0 | 13,596 | 64,954 |
| 2005年(平成17年) | 400 | 13,308 | 32,751 | 0 | 46,459 | 0 | 13,700 | 60,159 |
| 2006年(平成18年) | 319 | 14,044 | 106,309 | 0 | 120,672 | 0 | 29,235 | 149,907 |
| 2007年(平成19年) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
[編集] 営業成績
くりはら田園鉄道線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
| 年 度 | 営業収益 千円/年度 |
営業経費:千円/年度 | 営業損益 千円/年度 |
営業 係数 |
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 人件費 | 修繕費 | 経 費 | 諸 税 | 減 価 償却費 |
一 般 管理費 |
合 計 | ||||
| 2005年(平成17年) | ||||||||||
| 2006年(平成18年) | 149,907 | 109,177 | 9,695 | 27,484 | 80 | 6,116 | 28,649 | 181,201 | △31,294 | 120.9 |
| 2007年(平成19年) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
[編集] サービス
[編集] シャトルバス
- 東北新幹線からのアクセスの利便性を高めるため、くりこま高原駅と沢辺駅を結ぶシャトルバス「栗夢号しゃとる」(くりむごう-)が宮交栗原バスによって運行されていたが、2006年9月30日をもって廃止された。またこの路線の車両は宮城県から借り受けていたものである。同区間では東日本急行も仙台 - 金成線(仙台 - 栗駒市金成合同庁舎前間)を運行していたため、シャトルバス廃止後は暫定的な措置として普段降車のみの扱いだった同線のくりこま高原 - 沢辺間に、くりはら田園鉄道線廃止まで乗車することができた。
[編集] その他
[編集] グッズ
- 栗原電鉄硬券セット
- 栗原電鉄テレカ
- 記念スタンプ
- 文鎮(不要になった架線を適度な長さに切って加工)
- 絵葉書
- タオル
- 定規
- マグカップ(KD95とKD10の2種類)
- 巾着袋
- M15型仕様書「今はなきM15型」
- ピンバッジ
- バンダナ
- うちわ
- 廃止記念鉛筆セット
- しおり
鉛筆セットは、栗駒駅近くのみちのく風土館のみでの限定発売。ほかのグッズはいずれも若柳・沢辺・栗駒の各駅、みちのく風土館で販売していた。なお、タオル・鉛筆セットなど一部グッズは現在でもみちのく風土館で販売している。
[編集] 駅一覧
| 駅名 | よみがな | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | 位置 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 石越駅 | いしこし | - | 0.0 | JR東日本:東北本線 | 登米市 | 地図 |
| 荒町駅 | あらまち | 1.6 | 1.6 | 栗原市 | 地図 | |
| 若柳駅 | わかやなぎ | 1.5 | 3.1 | 地図 | ||
| 谷地畑駅 | やちはた | 1.5 | 4.6 | 地図 | ||
| 大岡小前駅 | おおおかしょうまえ | 1.1 | 5.7 | 地図 | ||
| 大岡駅 | おおおか | 1.5 | 7.2 | 地図 | ||
| 沢辺駅 | さわべ | 2.1 | 9.3 | 地図 | ||
| 津久毛駅 | つくも | 3.5 | 12.8 | 地図 | ||
| 杉橋駅 | すぎはし | 1.6 | 14.4 | 地図 | ||
| 鳥矢崎駅 | とやさき | 1.0 | 15.4 | 地図 | ||
| 栗駒駅 | くりこま | 1.7 | 17.1 | 地図 | ||
| 栗原田町駅 | くりはらたまち | 0.8 | 17.9 | 地図 | ||
| 尾松駅 | おまつ | 1.2 | 19.1 | 地図 | ||
| 鶯沢駅 | うぐいすざわ | 2.5 | 21.6 | 地図 | ||
| 鶯沢工業高校前駅 | うぐいすざわこうぎょうこうこうまえ | 2.2 | 23.8 | 地図 | ||
| 細倉マインパーク前駅 | ほそくらまいんぱーくまえ | 1.9 | 25.7 | 地図 |
[編集] 線路跡の状況
清算法人に移行したくりはら田園鉄道は、関連施設の撤去、取り壊しを順次進めている。道路交通法に関係がある踏切を構成する設備、栗原電鉄時代の名残だった架線および架線柱は廃止から比較的早い段階で撤去された。鉄橋や唯一のトンネルだった秋法隧道(鶯沢工業高校前 - 細倉マインパーク前)の前後には鉄パイプやロープによるバリケードが築かれた。
線路や腕木式信号機はそのまま残されており、地元NPOによるイベントに何回か使用された。「くりでん自作トロッコ全国交流フォーラム」のほか、2007年11月10 - 11日にかけて栗駒駅を会場に「くりでん体験乗車会」が開かれた。体験乗車会には、かつての営業車両を使用するため、11月8日に若柳 - 栗駒間をDB10形 (DB101) 機関車に牽引されたKD95形 (KD953) 気動車を回送。同月12日に返却回送が行われている。
また、津久毛駅と栗原田町駅周辺にあった津久毛変電所、田町変電所だが、2009年3月6日(田町変電所は7日) - 19日までに両変電所とも解体された。さらに、石越 - 若柳間の踏切を道路化にする工事が進められており、2009年度からは残りの若柳 - 細倉マインパーク前間が順次行われる。
有人駅だった若柳、沢辺、栗駒、および末端駅の、細倉マインパーク前の駅舎などは保存される意向だったが、無人駅や若柳駅周辺の一部関連施設は2008年3月20日を目途に解体、撤去の作業が始まっている。たとえば大岡小前駅は2008年2月に駅舎の撤去工事が行われ、すでに更地になっている。また、石越駅も2008年12月6日から12月20日までに駅舎の解体工事が行われ、現在は線路と一部のホームだけが残る。さらに、沢辺駅および栗駒駅についても2010年1月までに駅舎の解体が完了した。
しかし、若柳駅の栗原電鉄時代からの車両群はそのまま留置されており、全体に腐食が進行している状態になっている。車両は一部を除き2009年7月13日に解体が開始された。なお、木造貨車、機関車ED203、DB101、気動車KD953は屋根のある車庫にて、少しでもきれいな状態で保管されている。仙台放送や河北新報などの報道によると車両基地がある若柳駅を鉄道公園にして一般公開しようという動きがある[5]。前述の通り、同年10月31日から2日間、KD95形気動車の乗車会が開催された。また、2010年6月13日にも開催された[6][7]。
車庫と駅との間に2010年6月に道路が通る予定のため、現在は車庫の扱いについては不明であるが、現在の車庫に代わる車庫を現在建設中である[8]。
2010年4月1日に若柳駅や車両が地元の栗原市に無償譲渡された。
2007年11月30日には、駅舎が経済産業省の近代化遺産として認定された。
[編集] 保存車両
[編集] 静態保存
以下の場所で車両が静態保存されている。
- 細倉マインパーク前駅跡
- ED202
- ワフ71
- チャチャワールドいしこし
- ED201
- M152
- C152
これら以外の栗原電鉄時代に使われていた電車が、第三セクター化後から廃線時まで、解体されずに若柳駅の車庫に置かれていた。
[編集] 動態保存
栗原市は若柳駅に鉄道公園を整備。線路の一部や構内の配線、設備等を改良し、若柳駅から石越駅側へ約500mの区間を往復運転する動態保存を2010年6月13日から開始した。原則、毎月第2日曜日を運転日としている。石越駅側の折り返し地点には、動態保存事業に際して新設した「片町裏信号所」がある。行き違い施設はないものの信号扱所があり、若柳駅との間でタブレット閉塞や電話連絡、腕木式信号機の操作を再現している。若柳駅舎は同一設計で建設された沢辺駅の解体部材を活用し、建築当時の姿に近い形で復元されている。構内には、現役貨車としては日本国内最古とされるト102・103木造無蓋車を始め、ワフ74木造緩急車、ED20形電気機関車 (ED203)、M15形電車 (M153)、KD10形気動車、KD95気動車 (KD951, KD953) などが保存されている。運営は、市のほかOB社員や鉄道ファンらで組織する「くりでん保存愛好会」が行っている。資産活用に関する検討の過程では、有識者組織の委員に委嘱されていた麦屋弥生、岸由一郎が、委員会会議のため現地を訪問中、岩手・宮城内陸地震で被災し亡くなっている。
[編集] くりはら田園鉄道線に関する楽曲
- 「windy train」(樋口了一、いずれも2006年発売のマキシシングル「windy train」、「風の呼び声/windy train」に収録)
- 「鉄路にさよならを」(SUPER BELL"Z、2007年発売のアルバム「MOTO(e)R MAN 鉄子の旅」に収録)
- 「風のうた」(姫神、くりはら田園鉄道のイメージ曲で、この曲のみ収録したオリジナルのシングルCD「風のうた くりはら田園鉄道に想いを寄せて」がグッズとして販売されていた。アルバム「マヨヒガ」に収録)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 日本の廃止鉄道路線一覧
- ミヤコーバス築館営業所 - 代替バスを運行。