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中華人民共和国大飢饉 三年大饥荒 | |
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国 | 中華人民共和国 |
地域 | 中国本土 |
期間 | 1959年–1961年 |
総死者数 | 1500万人–5500万人 |
起因 | 人民公社・大躍進政策などの政策によってもたらされた、中国で最も壊滅的な大災害とされる。 |
結果 | 大躍進政策の終了 |
中華人民共和国大飢饉(ちゅうかじんみんきょうわこくだいききん、英語: The Great Chinese Famine)または3年大飢饉(さんねんだいききん、中国語: 三年大饥荒/繁体字中国語: 三年大饑荒/拼音: )とは、1959年から1961年までの中華人民共和国の歴史において広範にわたり発生した、大規模な飢饉である[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。一部の学者は、1958年または1962年もこの期間に含めている[8][10]。この大飢饉は、人類史上最大級の人為的災害の1つであり、飢餓による推定死亡者数は数千万(1,500万〜5,500万以上)にも及び、史上最悪な飢饉であったと広く見なされている[3][4][5][11][12][13][14][15][16]。
飢饉の主要な原因は、この間に起こった旱魃などの自然災害に加えて、1958年から1962年にかけて行われた大躍進政策と人民公社による数々の政策であった[3][5][13][15][17]。1962年初頭の七千人大会で、第2代中華人民共和国主席あった劉少奇は、今回の大災害は三分が天災、七分が人災(中国語: 三分天灾、七分人祸)であったことを公式に認めた[7][18][19]。改革開放の開始後の1981年6月に、中国共産党は、いくつかの自然災害に加えて、大躍進政策と反右派闘争の過ち、そして中ソ対立が大飢饉の主な原因であると公式に述べた[1][2]。
呼称
この大飢饉は、"3年大飢饉"の他に多くの呼称がある。
中華人民共和国政府は以下のように呼称している:[1][2][20][21]
飢饉の規模
生産量の減少
壊滅的な影響を伴う農業の組織化に影響を与える政策変更は、旱魃と洪水と同時に起こった。その結果、中国の穀物生産は、前年比で劇的に減少した。1959年の収穫量は15%減少し、1960年までに、それは1958年比70%にまで落ち込んだ[22]。中国統計年鑑(1984)によると、作物生産量は1958年の2億トンから、1960年には1億4350万トンに減少した[23]。
死亡者数
中国の公式統計によると、当時の食糧と結婚へのインセンティブが不足していたため、1961年の中国の人口は約6億5859万人で、1959年よりも約1458万人減少している[24]。出生率は2.922%(1958年)から2.086%(1960年)に減少し、死亡率は1.198%(1958)から2.543%(1960)に上昇している[24]。なお、その後の1962年から1965年の平均数は、それぞれ約4%と1%である。上掲の人口調査データのグラフに示すように、出生率と死亡率は1961年前後でクロスし、その後急速に回復している[25][26]。
非公式な死者数の見積もりはさまざまであるが、研究者は飢饉の犠牲者の数を1,500万から5,500万人と推定てしいる[27][28]。低めに見積もられた推定としては、インドのマルクス経済学者ウトサ・パトナイクによる1,100万人[注釈 1][29]、中国人数学者孫経先の250万人[30]があるが、中国政府は死者数を著しく過少に報告していると広く信じられている。
信陽に本拠を置く新華社の記者である鲁宝国は、楊継縄に自らの体験を報じなかった理由を次のように説明した[31]:
1959年と1960年に新陽の党幹部のYuDehongは、次のように述べている[31]。
私はある村に行って100体の死体を見、次に別の村に行ってまた100体の死体を見た。誰もそれらに注意を払っていなかった。人々が犬が死体を食べていると言ったので、私はそれは真実ではないと言った。犬はとっくの昔に人々に食べられてしまっていたのだから。
- 中国科学院は1989年に、少なくとも1500万人が栄養失調で死亡したと結論づけた[32]。
- 中華人民共和国国家統計局の元大臣である李成瑞は、死亡者数を2200万人(1998年)と推定している[33][34][35] 彼の死亡者数推定は、アンスレー・J・コール推定(2700万人[7][36]) と、全国人民代表大会常務委員会委員長の元副委員長である蔣正華の推定(1700万人) に基づくものである[33][37]。
- 全米産業審議会の世界人口統計担当ディレクターであるジュディス・バニスターは、1958年から1961年までに3,000万人の過剰死亡があったと推定している[5][38][39]。
- イギリスの学者ジャスパー・ベッカーは、著書『餓鬼』の中で餓死者の推計の多くは3000万人から6000万人の範疇であることを示唆している[40][41]。
- 上海交通大学特別教授の曹樹基は、3250万人と推定している[33][42][43][44]。
- 新華社通信の上級記者である楊継縄は、飢餓による死亡者は3600万人であり、さらに4000万人が生まれなかったため、「大飢饉による中国の総人口損失は7600万人になる」と結論付けている[45][46]。
- Mao Yushi,中国の経済学者で2012年にケイトー研究所の「ミルトン・フリードマン自由賞」を受賞した茅于轼は、死者数を3,600万人と発表した[47]。
- 中共中央党史研究室元副主任の廖蓋隆は、飢饉による4000万人の「不自然な」死者を報告している[32][48]
- 中国の元高官で元中国共産党中央委員会総書記の趙紫陽の顧問を務めた陳一諮は、飢饉で4300万人が死亡したと結論づけている[49][50][51]。
- 香港大学人文科学特別招聘教授であり、『毛沢東の大飢饉』の著者であるフランク・ディケーター は、近年公開された地方の党公文書から得られた知見として、大躍進期間中に少なくとも4500万人が飢餓・過労・国家の暴力によって死亡したと推定している[52][53]。また彼の研究によれば、国家の暴力が死者数を悪化させたとみられ、犠牲者のうち少なくとも250万人が、殴られたり拷問されたりして死亡したと[54][55]。しかしながら、公文書の調査・利用を初め行った作家であるとするディケーターの主張は、他の一部学者により疑問視されている[56]。ディケーターは、ある家族の一員が食べ物を盗んで捕まった後に何が起こったかについて、生々しい事例を提供している:
サツマイモを盗んだ廉で有罪となったLiu Deshengは、尿にまみれていた…… 彼の妻と彼の息子もまた排泄物の山の中に強制的に投げ入れられた。彼が排泄物を飲み込むことを拒否すると、彼の口はトングでこじ開けられた。彼は3週間後に死亡した[57]。
- 無所属の中国歴史家であり、中国共産党中央党校の元教官である余習広は、飢饉のために5500万人が死亡したと推定している[50][58][59][60]。彼の結論は、20年間のアーカイブ研究に基づいている[50]。
人肉食
飢饉の結果、さまざまな形で人肉食が行われたという、口伝や公式文書が広範に残っている[61][62] :352 [注釈 2][63]。甚大な飢饉の規模の結果として生じた共食いは、「20世紀の歴史の中で前代未聞の規模」であったと評されている。
飢饉の原因
大飢饉は、急進的な農業政策、社会的圧力、経済的管理ミスに、農業地域での旱魃や洪水などの自然災害が併発して引き起こされた。
大躍進
中国共産党主席である毛沢東は、農場の所有を禁止するとした急激な変化を伴う農業政策方針を導入した。政策に従わなかった場合、罰が科せられた[64][65][66]。
人民公社
大躍進中、農業は人民公社のもとで編成され、私有地の耕作は禁止された。農業経済は中央で計画され、地域の党指導者はその統制下で人民公社の生産割当を与えられた。彼らの生産物は国家によって専有され、その裁量で分配された。
2008年、楊継縄は、生産目標制の影響を、最も需要のある場所に供給を振り分けられないと要約し、その一例を挙げている;
新陽では、穀物倉庫の扉の前で人々は飢えていた。彼らは死ぬとき、「共産党よ、毛沢東委員長よ、私たちをお救いください」と叫んだ。河南と河北の穀倉が開かれていれば、誰も死ぬ必要はなかった。周りの人々が大量に死んでいくので、役人たちは特段彼らを救おうとは考えなかった。彼らの唯一の関心事は、どうやって穀物の配達を果たすかということだった[31]。
人民公社がどの程度飢饉をもたらしたかは議論の余地がある。地域ごとに飢饉の扱い方が異なり、飢饉のタイムラインは中国全土で統一されていない。一つの争点は、食堂での過度な食料の消費が、飢饉の悪化をもたらしたかという点である。ある学者は、食堂での過度の食事が行われなかった場合、「1959年半ばには最悪の大躍進飢饉を回避できたはずだ」と主張した[67]。しかし、1960年まで大湖村のような場所では悲惨な飢餓が発生することはなく[68] 、安徽省と江西省では公食堂普及率が飢饉との有意な関連を示していないことが判明した[69]。大湖村では、「食糧生産量は実際には減少しなかったが、毛沢東派の政府割当により食糧の入手可能性が驚くほど失われた」 [70]。
農業技術
集産主義に加えて、権威を失墜することとなるロシアの農学者トロフィム・ルイセンコが唱えた疑似科学に基づいて、中央政府は農業技術にいくつかの変更を加えた[71]。そのうちの1つは、苗を3倍の密度で植えた後、次に2倍にするというものであった。この理論では、同じ種の植物は互いに競合しないとされた。実際の自然のサイクルでは、苗は完全に競争し、実際には成長を阻害し、収量を低下させる結果となった。
「深耕」と呼ばれるもう一つの政策は、ルイセンコの同僚として知られているテレンティ・マルツェフの考え方に基づいていた。彼は、耕起深度を通常の15~20センチではなく33~66センチにするよう、中国全土の農民に指導した。この深耕理論は、最も肥沃な土は地中の深いところにあり、異常に深く耕せば根の成長が促進されるとしていた。しかし、実際には、地中にあった作物の育成に役立たない岩・土・砂が浅い土壌に押し上げられ、代わりに肥沃な表土が埋められたことから、苗の成長を著しく阻害することとなった。
四害駆除運動
四害駆除運動(除四害)では、畑を守るために、スズメなどの作物の趣旨を食べる野鳥を駆除するよう市民に呼びかけられた。「害鳥」は射殺されるか、疲弊して墜落するまで脅かされ続けた。この大量駆除は、鳥類がいなければ捕食者のいない害虫、特に作物を食べる昆虫の爆発的な増加をもたらした。
過剰生産の幻想
1957年以降、中国共産党は上からの圧力により穀物の過剰生産を報告し始めた。しかし、中国全土における実際の穀物生産量は、1957年から1961年にかけて減少していた。例えば:
- 四川省では、1958年から1961年にかけて穀物の収穫量が減少しているにもかかわらず、中央政府への報告では増産され続けていることにされていた[72]。
- 甘粛省では、1957年から1961年にかけて穀物収量が4,273,000トン減少した [8]。
この一連の出来事は「過剰な錯覚」(中国語: 浮夸风)をもたらし、党は彼らが過剰な穀物を持っていると信じていた。それどころか、実際の収穫量は平均値にも満たないものであった。たとえば、北京政府は「1960年には国の穀倉には500億斤の穀物がある」と信じていたが、実際に納められているのは127億斤に過ぎなかった[73]。過剰な錯覚の影響は甚大であり、一部の歴史家はそれが中国全土で発生した多くの飢餓の主な原因であったと主張している。楊大利は、過剰生産の錯覚は3つの大きな結果を引き起こしたと主張した:[74]
第一に、それは計画者に穀物から綿花、サトウキビ、ビートなどの経済作物へと土地をシフトさせ、大量の農業労働者を工業部門に転向させ、農村から収集する穀物に対する国家の需要を煽った。第二に、中国の指導者、特に周恩来は、工業化に必要な資本財を購入するための外貨をより多く確保するために、穀物輸出を加速させるようになった。最後に、過剰生産という幻想は、人民食堂の採用を当時合理的に思わせた。当然、これらの変更はすべて供給穀物の急速な枯渇につながった。
鉄鋼生産
鉄鋼の生産は経済発展のための重要な要件として認識され、何百万人もの農民が農作業から離れて鉄鋼生産の労働力に加わるように命じられた。農民らによって生産された鉄の多くは、商業利用に耐えない脆弱なものであった。
中央政府からのさらなる政策
経済学者の孟昕、銭楠筠、ピエール ・ヤレドは、ノーベル賞受賞者のアマルティア・センが従前主張したように、総生産量は飢饉を回避するのに十分であり、飢饉の原因は国内での過剰調達と貧弱な流通にによって引き起こされたものであることを示した。彼らは、他のほとんどの飢饉とは異なり、一人当たりの食糧生産量が多い場所で驚くほど多くの死者が出たことを提示し、中央で計画された食糧調達システムの柔軟性の欠如が飢饉による死亡率の少なくとも半分を占めているとした[75]。別の経済史家グループは、政治家が激しく競っていた場所ほど苛烈な搾取があったことを示している[76]。
さらに、中国共産党(CCP)と中央政府の政策、特に三面紅旗のスローガン(「社会主義建設の総路線」「大躍進」「人民公社」)と四清運動(社会主義教育運動)は、イデオロギーの悪弊による飢饉の悪化を象徴するものであった。CCPの三面紅旗は、「1958年の狂信主義に火をつけた」。 三面紅旗の一つ、「総路線」(中国語: 群衆路線)は、「全力を尽くし、高みを目指し、より大きく、より良く、より経済的な結果を得て社会主義を建設する」ことを人々に謳ったものであり、穀物の過剰報告の背後にある役人が感じていたプレッシャーのは以後にあったとされる[77]。1957年に始まった四清運動も、「過剰な水増し」(浮夸风)を引き起こすなど、さまざまな形で飢饉の深刻化をもたらした。「総路線」がもたらした誇張された収穫量が報告された後は、続報で「誰も『冷水をかける』勇気がなかったのである」[78]。四清運動はまた、国の穀物収集を妨害するために農民が空腹のふりをしているという陰謀説の確立につながった[79]。
地方自治体の権力関係
地方自治体は、政府の上層部よりも飢饉に影響を及ぼした。大躍進政策が進むにつれ、多くの地方政府指導者が毛や党上層の指導者と連携し始めた[80]。地元指導者たちは、地域社会にとって最善のことをするか、政治的な名声を守るか、選択を迫られた。地元権力者たちは、反対者たちを任意に"右翼的保守派"と呼んで糾弾するようになった[81]。農民に向けられた陰謀論の環境下では、家族が食べる分以外の余剰穀物を備蓄したり、大躍進政策は実行されるべきではないという信念を支持したり、あるいは単に十分に働かないことは、すべて"保守的右翼主義"とみなされた。農民は集団化と州の穀物購入について公然と話すことができなくなった。恐怖と逆恨みの文化が地元と当局の双方に渦巻く中で、飢饉に対して発言し行動することは、まるで不可能な任務となっていた[79]。
飢饉における地方政府の影響は、安徽省と江西省で対比することができる。安徽省は過激な親毛政権であったが、毛と関係のある「独裁者」であった、曾希聖曽西盛が率いていた[82]。曽は大躍進政策を固く信じ、地元との結びつきを維持するよりも、高官との関係を築こうとした。曽は同僚に相談せずに農業プロジェクトを提案したため、安徽省の農業は大失敗した。党書記兼州副知事である張凱帆は、安徽省で飢饉が発生したという噂を聞き、曽の政策の多くに反対した。曽はそのような疑念により、張を毛に報告した。その結果、毛は「彭徳懐反党軍閥」と張にレッテルを貼り、張は地元の党から粛清された。曽は、飢饉が切迫切迫してもなお、自らの偽証が発覚することを恐れて、報告をしなかった。このため、彼は「安徽省にほとんど一人で損害を与えた、目に余る政治的急進主義者」と評された[83]。
江西省では、安徽省とほぼ真逆の事象が起きた。江西省の指導者たちは、公然と大躍進計画のいくつかに反対し、ひそかに自分たちを中央から遮断し、毛沢東主義経済に対して消極的な態度をとっているようにさえ見えた。指導者たちは相互に協力するとともに、彼らは地元の人々と一体で働いた。大躍進が完全に実行されない環境を作ることで、江西省政府は「被害を最小限に抑えるために最善を尽くした」。これらの調査結果は、飢饉の被害の多くは、省の指導者と彼らの地域に対する責任感によって左右されることを示している[84]。
自然災害
1958年、黄河が氾濫黄河が氾濫し、河南省と山東省の一部に顕著な影響を及ぼした[85][86][87][88][89]。それは1933年以来、黄河で最も深刻な洪水として記録されている[90]。1958年7月の黄河の洪水では、1708の村の741,000人が被災し、304万畝(50万エーカー)以上の耕作地が浸水した。洪水の怒濤は7月27日に渤海へ向かい、政府は200万人以上の救助隊を派遣した後、「洪水に対する勝利」を宣言した[91]。中国政府の洪水防止センターの報道官は、1958年7月27日に次のように述べている[92]:
本年は、氾濫流やダムの決壊もなく大洪水を克服し、作物の大豊作を確保した。これもまた中国の人々が作り出した奇跡である。
しかし、政府は成功を報告し、失敗を隠すように奨励した。 2つの州で200万人の農民が農作業から離れて救助隊として働くように命じられ、畑の世話をする代わりに川の土手を修理していたので、「作物は無視され、産物の多くは畑で腐敗するままになっていた」[93]。一方、歴史家のフランク・ディケーターは、飢饉中の洪水のほとんどは異常気象によるものではなく、大規模で計画性に欠ける灌漑工事が大躍進の一環として実施されたためであると主張している。当時、毛に後押しされて、中国の人々は、湿地帯から旱魃が発生している地域に水を移動させるために、大量のダムと何千キロもの新しい灌漑用水路を建設していた[94][95][96][97]。紅旗渠などのように、いくつかの工事は灌漑整備に貢献したが[98][99]、研究者らは、大規模な水利工事が飢餓や疫病、溺死などで多くの死者を出し、飢饉を助長したと指摘している[100][101]。
1959年と1960年には、中国の耕作地の55%で少なくともある程度の旱魃やその他の悪天候が影響を及ぼした、華北の農地に至っては推定60%にまったく雨が降らなかった[102]。1961年の天候は若干改善した。
しかし、大飢饉を引き起こす際の旱魃と洪水の重要性については意見の相違が見られる[3][13][14][15][103]。中国気象科学研究員の公開データによると、1960年の旱魃の程度は珍しいものではなく、他の年と比較しても「軽度」としか見なされていない。1955年、1963年、1965年から1967年などの旱魃ほど深刻なものではなかった[104]。さらに、新華社通信の上級記者であった楊継縄によると、1958年に当時の中国国家統計局の薛暮橋局長が「上層部が望む数字を何でも与える」と発言して自然災害を誇張し、飢餓による死亡者への当局の責任を回避させている[16]。楊は、中国全土の350の気象台からの気象データの非政府アーカイブを含む他の情報源を調査し、1958年から1961年の旱魃、洪水、気温は中国の典型的なパターンの範囲内であったと主張している。西側の学者も次のように指摘している:
多くの外国人オブザーバーは、天候に関連した不作の報告は、農業の業績不振を招いた政治的要因を隠蔽するためのものであると感じていた。また、現地当局者は、国からの援助や税金の軽減を得るために、このような報告を誇張する傾向があるのではないかと疑っていた。天候が生産量の減少に寄与していることは明らかであるものの、それがどの程度かを評価することは不可能である[7]。
余波
初期の隠蔽
地方の党指導者たちは、自分たちの生活と地位を守るために、不足分を隠蔽したり、責任を転嫁したりするために共謀していた[66][105]。1958年と1959年に出生率が急落し始め死亡者が増加している中にあっても、毛は農村部の村人が飢餓に苦しんでいることに気づかないようにされていた[74]。
1958年の河南省への訪問で毛は、地元当局が言うところの「スプートニクの打ち上げ」なる、大規模な24時間の奮闘で成し遂げられた1000から3000パーセントの収穫量の増加を報告された。しかし、この数字は捏造されたものであり、毛が観察した畑もまた同様であった。現地の役人は、毛の訪問に先立ってさまざまな畑から穀物の芽を取り除き、特別に用意された畑に慎重に移植して準備を整えて豊作を装った[62] :122。
地元の役人は、毛へのこれらの見せかけのデモンストレーションに囚われ、「深耕と密植」などの手法によって、達成不可能な目標を達成するよう農民に勧めた。これは事態をさらに悪化させることとなり、作物は完膚無きまでの不作となり、不毛の畑が残された。毛の考えに異議を唱えられる立場にある者は誰一人としていなかったので、農民は茶番を維持するために極限まで努力した。一部の者は、育苗した作物を畑に"植えて"、作物がよく育ったように見せかけた[62] :122。
ソビエトが引き起こしたウクライナの大飢饉(ホロドモール)のように、医師は死亡診断書に死因として「飢餓」を記載することを禁じられていた。この種の欺瞞は珍しいことではなく、当時の有名なプロパガンダ写真に、山東省の中国人の子供たちが小麦畑の上に立っている姿を移しているものがあるが、実際には彼らは植物の下に隠されたベンチに立っていた。そして「畑」もまたすべて個別に移植された茎で偽装されていた[66]。
文化革命
1961年4月と5月、当時の中華人民共和国主席であった劉少奇は、湖南省の村で44日間の現地調査を行った後、飢饉の原因は30%の自然災害と70%の人為的ミスであると結論付けた[18][19]。1962年1月と2月に「七千人大会」が召集され、劉は正式に結論を発表し、大躍進政策は共産党によって「終わった」と宣言された[106][107][108]。
大躍進政策の失敗と飢饉により毛は共産党と政府内の積極的な意思決定から撤退し、劉少奇と鄧小平に将来のさまざまな責任を委ねた[109]。しかし、毛と劉(そして鄧)の間の意見の相違は次第に大きくなる。毛は1963年に社会主義教育運動を、そして1966年に文化大革命を開始した。劉は自然災害を飢饉の原因の30%だけとしたことがたたり、裏切り者であり敵の工作員であるとその間非難された[13][110]。劉は殴打されたうえ、糖尿病と肺炎の薬の処方も拒否され、1969年に悲惨な最期を遂げた。一方、鄧は文化大革命の際に「資本主義の道化師」であると非難され、2度粛清された[111]。
改革と反省
1978年12月、鄧小平は中国の新しい最高指導者となり、中国の農業および産業システムを根本的に変えた歴史的な改革開放計画を開始した[112][113][114]。1980年代初頭まで、「3年自然災害」という名称に見られるように、中国政府のスタンスは飢饉は主に一連の自然災害にいくつかの計画の誤りが合わさった結果であるというものであった。 1981年6月の「撥乱反正」期間中、中国共産党は飢饉の名称を正式に「3年困難」に変更し、飢饉は主に大躍進政策と反右派闘争の過ちに加えて、いくつかの自然災害と中ソ対立によるものであるとされた[1][2]。中国大飢饉に関する学術研究は、1980年以降、中国本土でも活発になり、政府が人口統計データを公開するようになった[115][116]。
中国国外の研究者たちは、大躍進政策による大規模な制度や政策の変更が飢饉の主な要因であり、少なくとも自然災害を悪化させたと主張している[117][118]。特にノーベル賞受賞者のアマルティア・センは、「実際、民主主義の国では、どんなに貧しくても、実質的な飢饉は発生していない」として、世界的状況から見て民主主義の欠如がこの飢饉の主な原因であると主張している。彼は、「定期的に世論調査が行われ、独立した報道機関がある国で、このようなことが起こりうるとは想像しがたい。その恐ろしい災厄の間、政府は、統制された新聞からの圧力に直面しておらず、野党からも圧力を受けていなかった」と述べている[119]。一方で、センは、一部の人口統計学者が言うところの「過剰死亡」(栄養不良や医療不足による死亡)の1958年から1961年にかけてのインドでの数が、中国のそれを上回ることが多いと指摘している[120]。これについてセンは次のように推定している。「中国の飢饉での過剰死亡率は甚大なものであるが、インドでは平時の搾取による過剰死亡率が前者をはるかに凌駕している。(中略)、中国が恥ずべき期間に生じさせた死者数よりも多くの死者を、平時のインドでは8年で人知れず生じさせているのである」[121]
関連項目
脚注
注釈
- ^ 彼女はエッセイの中で、「3000万人という数字は、一般的な民間伝承になってしまった(中略)そのうちの19000万人がそもそも生まれていないために存在しなかったという事実は、定式化されても伝わらない」と書いている。彼女は、中国の「いなくなった数百万人」を、少子化により生まれなかった人としてではなく、飢饉による死亡と同一視していることを批判した。Alsoまた、「1978年以降の中国の内部政治の動きは、毛沢東主義の平等主義と共産主義を攻撃する方向にあったため、中国の情報源から米国の推計を否定することはできなくなっている」と主張している。パトナイクは、この数字は共産主義を貶めようとするイデオロギーに基づくものであり、ソ連崩壊後の1990年代のロシアにおける同様の過労死は日常的に無視されていると結論付けている。
- ^ ベッカーの著書のタイトル『Hungry ghost(邦題:餓鬼)』は、中国の宗教で登場する「餓鬼」に由来する。
出典
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- Yang Jisheng. Tombstone: The Untold Story of Mao's Great Famine, Yang Jisheng, Translators: Stacy Mosher, Guo Jian, Publisher: Allen Lane (30 October 2012), ISBN 978-184-614-518-6 (English translation of the above work)
- Translated into English and abridged. Yang Jisheng, Tombstone: The Great Chinese Famine, 1958–1962, Farrar, Straus and Giroux (30 October 2012), hardcover, 656 pp., ISBN 0374277931, ISBN 978-0374277932
- Official Chinese statistics, shown as a graph. “Data – Population Growth”, Land Use Systems Group (LUC) (Austria: International Institute for Applied Systems Analysis (IIASA)), オリジナルの4 September 2005時点におけるアーカイブ。