コンテンツにスキップ

野田幸男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
のだ ゆきお
野田 幸男
生年月日 (1935-02-02) 1935年2月2日
没年月日 (1997-08-27) 1997年8月27日(62歳没)
出生地 和歌山県御坊市
国籍 日本の旗 日本
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1958年 - 1997年
主な作品
映画
不良番長シリーズ』/『やくざ刑事シリーズ
0課の女 赤い手錠』/『激殺! 邪道拳
ゴルゴ13 九竜の首
テレビドラマ
ザ★ゴリラ7』/『特捜最前線
大激闘マッドポリス'80
探偵神津恭介の殺人推理
テンプレートを表示

野田 幸男(のだ ゆきお、1935年2月2日 - 1997年8月27日)は、日本映画監督演出家脚本家和歌山県御坊市出身[1]

代表作には『不良番長シリーズ』、『やくざ刑事シリーズ』、『0課の女 赤い手錠』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』など[1]

経歴

[編集]

京都大学在学中に戸浦六宏の主催する劇団「風波」に参加。1958年(昭和33年)に大学卒業後、東映東京撮影所に助監督として入社し、石井輝男佐伯清らに師事する。

1968年(昭和43年)3月、日本プロレスの記録映画である『プロレスWリーグ 血ぬられた王者』で監督デビュー。同年には梅宮辰夫主演の『不良番長』で映画の演出デビューも果たした。同作は大ヒットとなり、1972年(昭和47年)の『不良番長 骨までしゃぶれ』までシリーズ全16作が製作され、野田は11作を監督した。

この他に、千葉真一主演の『やくざ刑事シリーズ』、合作映画『激殺! 邪道拳』や、『0課の女 赤い手錠』、『ザ・カラテ』などのアクション映画の監督も務めている。劇場映画では千葉主演作品である1977年の日香合作映画『ゴルゴ13 九竜の首』が最後の監督作品となったが、その後はテレビへ活躍の場を移し、『ザ★ゴリラ7』、『特捜最前線』、『大激闘マッドポリス'80』などを演出した。この時期に野田に師事していた一人に三池崇史がいる。

1997年平成9年)8月27日肝不全のため死去。62歳没。

人物

[編集]

石井輝男は野田について「恐らく『網走番外地』の際、雪の風景がワンカット欲しいと彼に撮りに行かせたところ、なかなか帰らず、やっと帰って来たと思ったら何十分もキャメラを回していた」と語っている。また、『不良番長』シリーズのレギュラー出演者であった山城新伍によれば、「野田は映画が封切られると必ず観に行き、どのシーンがウケたか、ウケなかったか、綿密にチェックして、次の作品の参考にした」という。[2]

野田は『不良番長』で岡田茂に監督へ抜擢されたが[3][4]、当時の東映娯楽映画の倍近くカットを切り刻む性格で[5]残業量は"深夜作業組"こと深作欣二と双璧とまでいわれた[5]。毎日朝から深夜まで撮影を続け、野田組に入れば一ヵ月は家で夕飯は食えないと言われ[5]、あまりのカット割りの細かさからスクリプターも混乱をきたすほど現場を疲弊させた[5]。予算オーバー、日数オーバーする事も常で、最終的にテレビに回されたが、テレビの現場でも音を上げた[6]。1975年の『東京ふんどし芸者』は野田久しぶりの映画復帰作だったが、予算も日数もオーバーし、東映主脳から「二度と映画は撮らせない」と最後通告を受け、撮影所を出入り禁止となった[6][7]

岡田茂は長年にわたり、時間も予算もかける上質映画志向の監督を追放し続け[8]団交の際には「強い監督がいなくなったので現場がやりやすくなった」と自慢した[8]。 岡田は前記の理由は勿論、組合運動にも熱心な野田を辞めさせたかったが[4]、野田は親族住友銀行の幹部がいたために切れなかった[4]。東映は会社発足の際に巨額の負債があり[9][10][11]、それを家の全財産を担保に入れて肩代わりしたのが五島慶太[9][10][12][13]、金を融資したのが岡田の広島一中(広島国泰寺高校)の先輩で後に住友銀行の頭取になった鈴木剛という経緯があり[9][10][12][13]、東映のメインバンクの一つが住友銀行になったのはこれが始まりで[4][12]、この逸話をよく知る岡田は野田を切りたくても切れなかったのである[4]。やがて岡田の力が増してワンマン体制も固まると、一度岡田に睨まれたら東映に二度と復帰できない状況になったが[7]、そんな中で野田をテレビドラマに起用したのが日本テレビ山口剛プロデューサーであった。東映も局プロの意向に背くわけにもいかず[7]、再び撮影所の門はくぐれたが、以降はテレビのディレクターに移った[7]

野田の映画演出は1977年の『ゴルゴ13 九竜の首』が最後であるが、1985年に監督を務めると報道されたことがある[14]タモリの主演を予定していた『いいとも探偵局』という超人気番組の便乗映画で[15][16]、これに久しぶりに監督することが予定されていた[14]。1985年の正月映画第二弾の予定で話も進み[15]、タモリの所属事務所田辺エージェンシーも乗り気だった[15]。撮影は1984年の8月~9月を予定していたが[15]、監督決定や脚本が遅れてタモリのスケジュール調整が出来なくなり中止になった[14][16][17]。当時はテレビの勢いが凄かったため、映画関係者は「テレビの方が金にはなるのだろう」と皮肉った[14]。1985年の正月映画第二弾では、松竹ビートたけし主演で『たった90日のララバイ』を準備していて、タモリvs.ビートたけしというお笑いタレントによる正月映画対決という興味も持たれたが実現しなかった[15]。『たった90日のララバイ』も一旦製作中止と報道されたが[15]、『哀しい気分でジョーク』に改題され、こちらは1985年4月に公開されている[18]。『いいとも探偵局』中止の対応として東映は、1985年の正月映画第一弾で、『キン肉マン 大暴れ!正義超人』『Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!ナナバ城の秘宝』のお年玉まんがまつり二本立て予定に『宇宙刑事シャイダー 追跡!しぎしぎ誘拐団』を加えた三本立てにし[14]、正月映画第二弾は『』を一本立て興行に変更[14]。洋画系(東映洋画)で流す『Wの悲劇』と『天国にいちばん近い島』の角川映画二本立てを邦画系劇場にも流した[14]

作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 映画監督 故野田幸男氏の生家跡地に石碑
  2. ^ ダーティ工藤「幻の傑作『0課の女・赤い手錠』を撮った男 野田幸男の軌跡」『映画秘宝Vol.2 悪趣味邦画劇場』、洋泉社、1995年
  3. ^ 「特別グラビア 特集『不良番長』全16作 われらの番長梅宮辰夫とカポネ団が還って来た! 『不良番長』のころ 文・野田幸男 /梅宮辰夫・吉田達・野田幸男特別鼎談 『不良番長』に注いだ熱気とエネルギーを甦らせよう!」『キネマ旬報』1981年4月上旬号、キネマ旬報社、40 - 41、108 - 116頁。 東映株式会社総務部社史編纂 編「エネルギッシュに生きる小悪党を『乱暴者』にヒントを得て『不良番長』をシリーズ化」『東映の軌跡』東映株式会社、2016年、176頁。 
  4. ^ a b c d e 杉作J太郎、植地毅(編著)「吉田達インタビュー」『不良番長 浪漫アルバム』徳間書店、2017年、246-253頁。ISBN 9784198643546 
  5. ^ a b c d 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第十四回 ゲリラ蛙は夢を見れるか?」『シナリオ』2013年7月号、日本シナリオ作家協会、46-50頁。 
  6. ^ a b 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第十五回 ふんどし芸者の大乱戦」『シナリオ』2013年8月号、日本シナリオ作家協会、54-58頁。 
  7. ^ a b c d 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第五十三回 当時そこにあった危機」『シナリオ』2016年12月号、日本シナリオ作家協会、44-45頁。 
  8. ^ a b 「全東映労連映研集会『どうしたら東映映画は再生できるか』」『映画撮影』1995年4月 No.223、日本映画撮影監督協会、37頁。 
  9. ^ a b c “日本商工会議所名誉会頭五島昇氏(9) 東映再建―父に事業のオニ見る(私の履歴書)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): pp. 32. (1989年3月9日) 
  10. ^ a b c 三鬼陽之助『日本財界人物伝全集 五島慶太伝』 第十五巻第八回、東洋書館、1954年、166-170頁。 
  11. ^ 塩沢一彦 (1995年8月14日). “〔映画百年〕(32)東映の設立 時代劇解禁が恵の風に(連載)”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7 「会社の履歴書 東映」『実業之日本』1962年12月1日号、実業之日本社、154頁。 
  12. ^ a b c 岡田茂『悔いなきわが映画人生東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、171-175,238頁。ISBN 4879320161 
  13. ^ a b 第40回 五島慶太(その三)稼いだカネは「映画」に投入---時代劇によって東映を復活させた
  14. ^ a b c d e f g 「雑学映画情報 東映は『キン肉マン』東宝は『ゴジラ』正月映画の大激突!」『映画情報』1984年11月号、国際情報社、72頁。 
  15. ^ a b c d e f 「雑学映画情報 人気者のタモリやビートたけしの主演映画は実現するのか!?」『映画情報』1984年10月号、国際情報社、71頁。 
  16. ^ a b 高橋英一・脇田巧彦・川端靖男・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1984年9月下旬号、キネマ旬報社、169頁。 
  17. ^ 「日本映画ニュース・スコープ トピックス」『キネマ旬報』1984年10月下旬号、キネマ旬報社、111頁。 
  18. ^ 「雑学映画情報 なんとビートたけしがシリアス・ドラマで主演賞をねらう!?」『映画情報』1984年12月号、国際情報社、71頁。 

参考文献

[編集]
  • 『映画秘宝Vol.2 悪趣味邦画劇場』、洋泉社、1995年

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]