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'''カフカス'''([[ロシア語]] : '''<font lang=ru>Кавказ</font>'''; Kavkaz)は、[[黒海]]と[[カスピ海]]に挟まれた[[カフカス山脈]]と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km&sup2;の地域である。英語名 Caucasus にもとづき'''コーカサス'''と呼ばれることも多い。
'''カフカス'''([[ロシア語]] : '''<font lang=ru>Кавказ</font>'''; Kavkaz)は、[[黒海]]と[[カスピ海]]に挟まれた[[カフカス山脈]]と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km&sup2;の地域である。英語名 Caucasus にもとづき'''コーカサス'''と呼ばれることも多い。


ロシア語のカフカス、英語のコーカサスとも[[ギリシア語]]のカウカソスに由来しているが、カウカソスは古代[[スキタイ]]語の'''クロウカシス'''(白い雪)から来ているという説が有力である。[[人類]]の大[[人種]]のひとつである[[コーカソイド]]も、カウカソスを[[語源]]とする。
ロシア語のカフカス、英語のコーカサスとも[[ギリシア語]]のカウカソスに由来しているが、カウカソスは古代[[スキタイ]]語の'''クロウカシス'''(白い雪)から来ているという説が有力である。[[人類]]の大[[人種]]のひとつである[[コーカソイド]]も、カウカソスを[[語源]]とする。


カフカス山脈を南北の境界として北カフカスと南カフカス(ザカフカス、トランスカフカス、外カフカス)に分かれ、2004年の時点で、北カフカスは[[ロシア|ロシア連邦]]領の[[南部連邦管区|北カフカス連邦管区]]に属す諸共和国となっており、ザカフカスは旧[[ソビエト連邦|ソ連]]から独立した3共和国からなる。
カフカス山脈を南北の境界として北カフカスと南カフカス(ザカフカス、トランスカフカス、外カフカス)に分かれ、2004年の時点で、北カフカスは[[ロシア|ロシア連邦]]領の[[南部連邦管区|北カフカス連邦管区]]に属す諸共和国となっており、ザカフカスは旧[[ソビエト連邦|ソ連]]から独立した3共和国からなる。

2006年12月6日 (水) 10:42時点における版

カフカスロシア語 : Кавказ; Kavkaz)は、黒海カスピ海に挟まれたカフカス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km²の地域である。英語名 Caucasus にもとづきコーカサスと呼ばれることも多い。

ロシア語のカフカス、英語のコーカサスともギリシア語のカウカソスに由来しているが、カウカソスは古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)から来ているという説が有力である。人類の四大人種のひとつであるコーカソイドも、カウカソスを語源とする。

カフカス山脈を南北の境界として北カフカスと南カフカス(ザカフカス、トランスカフカス、外カフカス)に分かれ、2004年の時点で、北カフカスはロシア連邦領の北カフカス連邦管区に属す諸共和国となっており、ザカフカスは旧ソ連から独立した3共和国からなる。

全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語文化宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。

カフカスの国々

北カフカス

南カフカス

アゼルバイジャンは飛び地のナヒチェヴァン自治共和国をもつが、本土西部のナゴルノ・カラバフ自治州とその周辺地域はアルメニアの統治下にある。グルジアは南西部アジャリア、北西部アブハジアの2自治共和国と北東部の南オセチア自治州を含むが、アブハジア自治共和国と南オセチア自治州はグルジアの中央政府の統制がまったく届かない半独立状態となっている。

民族

母語とする言語によってカフカスの主要な民族を分類すると以下のようになる。

歴史

古代には南カフカスにアルメニア人、グルジア人のキリスト教文化が栄え、北カフカスではアゾフ海東岸・カスピ海西岸の草原地帯で興亡したキンメリアスキタイフンアヴァールハザールなどイラン系テュルク遊牧民の国家の支配下にあった。山岳地帯では先住のカフカス諸語の話し手たちが居住しており、イラン系やテュルク系の人々と交じり合って文化的・人種的影響を受けつつ独自で多様な言語と文化を保った。

13世紀モンゴル帝国軍が到来してキプチャク・ハン国イル・ハン国に分割され、14世紀以降はイスラム化が進んだ中央アジアのテュルク系遊牧民に代わるマムルークの供給源としてイスラム勢力との絶え間ない接触を続けた。

16世紀以降、南カフカスはサファヴィー朝などのイラン勢力とオスマン帝国の争奪の場となった。北カフカスでは15世紀にキプチャク・ハン国の勢力を継承したクリミア・ハン国やオスマン帝国が進出して支配を広げたが、17世紀以降、大カフカス山脈北麓のステップ地帯からコサックを尖兵とするロシア帝国の影響力が浸透し始めた。

19世紀に入ると北カフカスの併合を完了したロシアは大カフカス山脈の南にまで勢力を伸ばし、南カフカスを支配するカージャール朝イランとオスマン帝国からこの地方を奪った。同じ時期、北カフカス東部の山岳地帯では、ミュリディズム運動と呼ばれるイスラム神秘主義組織ナクシュバンディー教団の指導者たちを中心とする反乱が起こり、ロシア支配に激しく抵抗した。

ロシア革命が起こると、南カフカスではアルメニア、グルジア、アゼルバイジャンが1918年に独立を宣言するが、相互に対立を続けるうちに1921年に赤軍の侵攻を受け、1922年にザカフカス・ソヴィエト連邦社会主義共和国を結成してソビエト連邦に合流した。北カフカスでもチェチェンやダゲスタンで独立運動が起こるが赤軍によって赤化が進められ、ロシアに編入された。

1991年のソ連解体は、形式上連邦からの分離独立権を認めたソ連憲法に基づき南カフカスの3共和国に独立を果たさせたが、北カフカスの諸民族自治共和国はロシア連邦からの分離権を憲法によっても認められず、独立運動をロシア当局に押さえ込まれた。中でもチェチェン共和国1991年に就任したジョハル・ドゥダエフ大統領のもとでソ連およびロシア連邦からの分離独立を宣言し、強硬姿勢を貫いたため、1994年よりロシア連邦軍の攻撃を受け、第一次チェチェン紛争が勃発した。以来、チェチェンを中心に戦乱、テロが続発し、北カフカスはロシアの中でも特に不安定な地域になっている。一方、独立を果たした南カフカス3国も、アゼルバイジャンとアルメニアのナゴルノ・カラバフ戦争などを原因として民主化の阻害と経済発展の停滞が著しく、問題が山積している。