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妻1人、娘1人。妻はもともと飯島友治の取り巻きのひとりで{{sfn|川戸|1984|p=192}}、のちに'''川柳'''ならぬ[[俳句]]の先生([[俳人]])となる。「妻は俳人、夫も廃人」とよくからかわれるネタとなる。 |
妻1人、娘1人。妻はもともと飯島友治の取り巻きのひとりで{{sfn|川戸|1984|p=192}}、のちに'''川柳'''ならぬ[[俳句]]の先生([[俳人]])となり、[[東京やなぎ句会]]にゲストとして参加したこともある<ref>{{Cite book|和書|title=友あり駄句あり三十年|date=1999-3-23|publisher=日本経済新聞社|page=273|author=東京やなぎ句会|isbn=453216298X}}</ref>。「妻は俳人、夫も廃人」とよくからかわれるネタとなる。 |
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== 弟子 == |
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2021年11月20日 (土) 07:51時点における版
この項目は訃報が伝えられた直後の人物について扱っています。 |
三遊亭さん生時代(1959年6月6日) | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1931年3月23日 |
没年月日 | 2021年11月17日(90歳没) |
出身地 | 日本・埼玉県秩父郡横瀬町 |
師匠 | 六代目三遊亭圓生 五代目柳家小さん |
弟子 | 川柳つくし |
名跡 | 1. 三遊亭さん生 (1955年 - 1978年) 2. 川柳川柳 (1978年 - 2021年) |
出囃子 | 三味線ブギ |
活動期間 | 1955年 - 2021年 |
活動内容 | 新作落語 漫談 |
所属 | 落語協会 |
主な作品 | |
ガーコン 大ガーコン | |
川柳 川柳(かわやなぎ せんりゅう、1931年3月23日 - 2021年11月17日)は、埼玉県秩父郡横瀬町生まれの落語協会所属の落語家である。本名∶加藤 利男。出囃子は「三味線ブギ」。主に新作落語や漫談を得意とする。
経歴
- 1946年 - 高等小学校卒業後父の勧めで東京に出て、さまざまな職業につく。
- 1951年 - この頃酒販店にて住み込みで働く。これにより酒の味を覚え、入門後に度々泥酔騒動をおこす契機となる。
- 1955年8月 - 6代目三遊亭圓生に入門。前座名はさん生。
- 1957年 - この頃泥酔し圓生の自宅玄関で脱糞する事件を起こす。後に『小川宏ショー』で白状するまで脱糞の件は圓生にばれずに済んだが、身に付けていた褌が圓生の机においてあったためその件で咎められたという。
- 1958年9月 - 二つ目に昇進。
- 1959年 - 東宝「落語勉強会」メンバーに選ばれるが騒動が起き、巻き込まれる形で除名される。新作落語へ転向するきっかけとなった。
- 1960年代 - 「ラ・マラゲーニャ」を高座で披露したのをきっかけにテレビの仕事が増えるが、古典落語至上主義の圓生と溝ができ始める。
- 1965年 - 『笑点』の前身番組『金曜夜席』の大喜利メンバーとして出演することが決まっていたが、1回目の収録をすっぽかしたことが司会の立川談志の怒りを買い、出演する機会も無く、降板させられた。
- 1974年9月 - 兄弟子5代目三遊亭圓楽のとりなしもあり、集団真打昇進(第二弾)の1人として10人で真打昇進[注 1]。しかし、新作やラテン音楽で売れたさん生に対し、古典落語至上主義であった圓生は最後まで抵抗の意思を捨て切れず、かつ協会による集団真打昇進への抗議のために真打昇進披露などの公式行事に一切参加をしなかった。
- 1978年5月16日-17日、圓生から新しい協会「落語三遊協会」の説明などを受け、ついてゆくことにするが、帰宅後の酒の失敗から落語協会残留へと転向し、圓生より破門を宣告される。高座名はそのまま。
- 1978年5月28日、圓生から高座名の返却を電話で要求される。その日のうちに楽屋で8代目林家正蔵(後の彦六)や小さんと相談し、「川柳川柳」と改名する。
- 1997年3月 - 弟子の川柳つくしが入門。5月に楽屋入り。
- 2013年9月 - つくしが真打に昇進する。
- 2021年11月17日 午前0時48分、肺炎のため、死去[1][2][3][4]。90歳没。
師匠との関係
- 師匠である圓生とさん生は決して相性が悪かったわけでは無い。さん生は圓生の理想とする咄家像とは異なり、新作落語のみの落語家だっただけである。
- 川柳の著作によれば、圓生はジャズと義太夫を織り交ぜた、さん生のネタ「ジャズ息子」を聴き、さん生に義太夫について色々と教え、ジャズにも強い関心はなかったものの、理解してくれたとある。
- さん生を新作落語へ転向させる原因となった東宝落語勉強会は、評論家の飯島友治が半ば無理強いで圓生に願い出た企画で、落語協会・落語芸術協会、双方から選ばれた二ツ目の落語を真打や素人の客にまで評価させるというものだった。メンバーの数人が企画者と意見が対立し除名された際、圓生一門からも誰かを除名させないと折り合いが悪い状態となってしまい、好生は自殺しかねない繊細さを考慮され矛先がさん生へ向いたと、この経緯は圓生の妻である山崎はなが本人に伝えている。
- 圓生がさん生の真打昇進に反対した件については「古典落語ができないにも関わらず人気ばかりを考えている二つ目を真打にさせては落語家の恥だ」と圓生が考えてのことであり、この思想から林家こん平の真打昇進を快く思っていなかったこともさん生本人に真打昇進をさせない理由と共に伝えている。
- 「落語三遊協会」設立の際も当初はついてゆくつもりであり、圓生からも「客受けの戦力」だからと評価を受けている。最終的に残留となったのには、直後のさん生自身の酒の失敗(酔った勢いで3代目古今亭志ん朝に計画を聴かされていなかったと愚痴をこぼし、それを聞いた志ん朝から圓生の元に「師弟一丸となってもらわないと困る」[注 2]と苦情が入った。この一件を圓生から聞かされた圓楽は激怒し、さん生に電話をよこした)、弟弟子圓丈の忠告、好生の同意などが影響している。
- この師弟間の決別を決定的なものにしたのは、さん生の酒による失敗が他の一門など外部におよんだことが圓生の耳に入ったことと、協会との対立が続いた圓生に精神的な余裕がなくなってしまったことが要因である。
- 2006年の大銀座落語祭で行われた落語会『六代目圓生トリビュート』には、兄弟弟子[注 3]に混じり川柳も出演している。
高座名
さん生
「さん生」は大師匠4代目橘家圓蔵の前座名である。8代目桂文楽・8代目三笑亭可楽も名乗った経歴のある名前である。
さん生を名乗る落語家は、柳家・翁家・三遊亭さん生で7人前後確認されている。
彼が「さん生」の名を取り上げられ、小さん一門に属し川柳と改名した後、この名を、同じ小さん一門の後輩の落語家が襲名した。それより前に小さん一門に直った柳家小満んの総領弟子である。ただし亭号は柳家なので、彼は柳家さん生となる。
川柳川柳
さん生は破門されて名を取り上げられたので、まったく別の名を名乗らなければならなかった。新たに受け入れた師匠である5代目小さんは「川柳川柳」と命名した。
この名は、名人3代目三遊亭圓馬が破門時に名乗っていた名にあやかったものである(『天下御免の極落語』の「解題」[5])。さん生は師匠の協会から放逐され破門された。3代目三遊亭圓馬もまた、東京の落語界から追放され、師匠立花家橘之助から破門されたのである。圓馬はこのとき、従来の名を名乗れず「川柳」と改名、亭号は圓馬の本名の苗字(橋本)を使い、「橋本川柳」と名乗った(彼が三遊亭圓馬を襲名したのはその後、吉本興業に所属してから)。これにそのまま倣えば、さん生の本名は「加藤」なので「加藤川柳」となるが、「川柳」を2つ重ね、読み方のみ変え、亭号のみ「かわやなぎ」と訓読みとした。
関連する演目
得意演目
- 「ガーコン」
- 軍歌やジャズを取り入れた漫談で、川柳の代表作とも言える演目。ガーコンという題名は本編中のオチに出て来る足踏式脱穀機の動作音の擬態語に由来する。
- かつてこの演目は「歌で綴る太平洋戦記」「昭和歌謡史」「歌は世につれ」などと表記されていた。ガーコンと呼ばれるようになったのは、1994年10月8日に木馬亭で行われた落語会「川柳2祭り」(川柳川柳祭り)がきっかけである。この落語会は、川柳の得意演目(新作および古典)を他の落語家が演じるという企画で、本作品を担当した古今亭右朝がプログラムにはじめてガーコンと表記した。やがて川柳本人もガーコンという表記を使うようになった。
- 脱穀機のくだりで、登場人物の母親が父親に声援を送ると「大ガーコン」という演題に変わる[6]。ガーコンの長講が大ガーコンとなるわけではなく、上演時間は関係ない。全盛期にはこのネタを年に100回以上演じたことがあった。そのため寄席のネタ数ランキングでは時そば、寿限無、金明竹、子ほめなどの前座からベテランまで分け隔てなく演じられる定番ネタと、川柳一人のみが演じるガーコンとが張り合うという異様な事態が起きていた。
- 「ジャズ息子」
- 「義太夫息子」や「宗論」を踏まえた川柳作の新作落語。終戦後、ジャズに熱狂する若者たちと、それに苦言を呈する父親のひと騒動。ジャズを根底から否定する父親は、自宅で義太夫(「摂州合邦辻」)をうなるが、息子と友人たちは対抗して2階で「聖者の行進」を大音量で演奏する。義太夫とジャズ、両極端な2種類の口演が見どころである。なお3代目三遊亭金馬に同名の新作落語があるが、内容は別の作品である。
- 少なくとも2011年ごろからは、「疲れる」との理由でほとんど演じなくなった。そのことを古今亭志ん輔に聞かれた際、川柳は「だってさぁ、ジャズと義太夫をカブせていくだろ。どんどんテンション上げてかないとお客さんの張りが緩んじゃうしさ 兎に角 疲れるんだよ」と説明している[7]。
- 「ラ・マラゲーニャ」
- 川柳の二ツ目のころの売り出しのきっかけともなり、圓生に「色物」と呼ばれる所以ともなった演芸。現在では寄席で主任の時に大喜利として行う。高座着の上からソンブレロにサラッペのいでたちでギターを抱えて「ラ・マラゲーニャ」を歌いながら艶笑小咄を展開する。
- 「パフィーで甲子園」
- 歴代甲子園の入場曲の曲名や歌っているグループの名前を川柳が貶す漫談。サゲにパフィーのこれが私の生きる道の一節を歌うため上記のような題名がついた。
- 「東宝おまんこ事件」
- 6代目三遊亭圓生の弟子であった時代のしくじりを漫談にしたもので、テレビ・ラジオでは放送できない作品。下ネタ厳禁の落語会「東宝名人会」で放送禁止用語の「おまんこ」を高座で喋ってしまい、師匠の圓生に厳しく叱責されるが、後日に圓生も高座でうっかり下ネタを喋って客を凍りつかせ、「あいつを叱る資格がない」と反省したというもの。なお川柳は、「間男あらかると」や「金魚ホステス」など、放送できない艶笑噺を他にも作っている。
- 「首屋」
- 古典落語で、金に困った男が自分の首を売りに出すという噺。川柳が古典落語をほとんど演じなくなった後も、この演目だけは時折上演している。
本人を題材にした演目
川柳川柳を題材とした新作落語が他の落語家によって作られている。川柳自身が演じることはない。
- 「川柳の芝浜」
- 2代目快楽亭ブラックの新作落語で[8]、古典落語「芝浜」の改作。主人公の魚屋を「大酒呑みで仕事を怠けている落語家」に置き換えたもので、この落語家のモデルが表題そのままに川柳川柳である[9]。なお作者の快楽亭ブラックは、「芝浜」のことを酒を悪者にしていて嫌いだと述べており[9][10]、「川柳の芝浜」の結末は酒を悪者にしないように大きく変えられている。
- 「天使がバスで降りた寄席」
- 三遊亭白鳥による新作落語[11]。消息不明だった伝説の落語家が潰れかけている寄席を救うという内容。主人公の落語家「にせ柳千竜」の人物描写(秩父出身、現在は柳家の一門にいるが元は三遊亭圓生の二番弟子、酒癖が悪く着物にソンブレロをかぶりギターを背負っている、など[12])は、川柳川柳の経歴や容姿と合致する。
- 「寄席よりの使者」
- 桃月庵白酒の新作落語。某国の内戦の調停役として、手違いから川柳川柳が呼ばれてしまい、川柳が「ガーコン」を演じて停戦を成立させるという内容。
- 「エンショウへの道」
- 弟子の川柳つくしによる新作落語。大名跡である三遊亭圓生を誰が継ぐかで紛糾(三遊亭圓生#7代目圓生襲名問題を参照)した結果、落としどころとして川柳川柳が襲名するという内容。
- 「ある日の末廣亭」
- 三遊亭はらしょうによる実話を落語にした新作落語。2010年、ある日の新宿末廣亭の出番に泥水状態でやって来た川柳川柳と楽屋の前座たちの荒唐無稽な一夜を描いたドキュメンタリー落語。
家族
妻1人、娘1人。妻はもともと飯島友治の取り巻きのひとりで[13]、のちに川柳ならぬ俳句の先生(俳人)となり、東京やなぎ句会にゲストとして参加したこともある[14]。「妻は俳人、夫も廃人」とよくからかわれるネタとなる。
弟子
逸話
著書
- 川柳川柳『天下御免の極落語 平成の爆笑王による“ガーゴン”的自叙伝』彩流社、2004年6月10日。ISBN 978-4-882-02894-9。 - 解説は元フジテレビアナウンサーの塚越孝
- 川柳川柳『寄席爆笑王 ガーコン落語一代』河出書房新社〈河出文庫〉、2009年11月5日。ISBN 978-4-309-40988-7。 - 上記の文庫版
CD
- 『川柳百席』第一弾・第二段・第三弾(池袋秘密倶楽部)
- 『談志が選んだ艶噺し』(日本コロムビア、2000年)
- (三)鈴々舎馬風「欣弥め」/川柳川柳「川柳のヰタ・セクスアリス」
- (十三)三遊亭圓彌「包丁」/川柳川柳「間男アラカルト」
- (十五)川柳川柳「青春エロばなし」/三遊亭鳳楽「なめる」
- (十七)川柳川柳「金魚ホステス」/立川談四楼「氏子中」
- 『NHKCD新落語名人選』(ユニバーサルミュージック、2005年)
脚注
注釈
出典
- ^ “「ガーコン」「ジャズ息子」寄席の爆笑派、川柳川柳さん死去…90歳”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2021年11月19日). 2021年11月19日閲覧。
- ^ 油井雅和「落語家・川柳川柳さん死去 90歳 「ガーコン」で異彩放つ」『毎日新聞』、2021年11月19日。2021年11月19日閲覧。
- ^ 「落語家の川柳川柳さん死去、90歳 「ガーコン」など新作落語で人気」『日刊スポーツ』、2021年11月19日。2021年11月19日閲覧。
- ^ “落語家の川柳川柳さん死去”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2021年11月19日). 2021年11月20日閲覧。
- ^ 『東京かわら版』2008/11 p. 7
- ^ 『東京かわら版』2008/11、本人の証言。
- ^ 古今亭志ん輔 (2011年9月8日). “予感”. 古今亭志ん輔 日々是凡日 - 古今亭志ん輔オフィシャルブログ. 2021年11月20日閲覧。
- ^ 快楽亭 2006, pp. 124–146.
- ^ a b 快楽亭 2006, pp. 147–149.
- ^ 快楽亭 2006, pp. 139–140.
- ^ 三遊亭 2008, pp. 103–121.
- ^ 三遊亭 2008, pp. 109–111.
- ^ 川戸 1984, p. 192.
- ^ 東京やなぎ句会『友あり駄句あり三十年』日本経済新聞社、1999年3月23日、273頁。ISBN 453216298X。
参考文献
- 快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全』洋泉社、2006年4月1日、124-149頁。ISBN 978-4-862-48021-7。
- 快楽亭ブラック『立川談志の正体 愛憎相克的落語家師弟論』彩流社、2012年2月1日、139-140頁。ISBN 978-4-779-11757-2。
- 三遊亭白鳥『砂漠のバー止まり木 三遊亭白鳥創作落語集』講談社、2008年2月15日、103-121頁。ISBN 978-4-062-14499-5。
- 川戸貞吉『対談落語芸談』弘文出版、1984年、192頁。ISBN 978-4-875-20024-6。
関連
- 金田一だん平『落語家見習い残酷物語』晩聲社、1990年2月、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-891-88196-2。
- 佐川一政 - 楽屋での出会いのエピソード