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'''宮島連絡船'''(みやじまれんらくせん)は、[[広島県]][[廿日市市]]の[[宮島口駅]]と同市[[厳島]]の[[宮島駅]]の間を結ぶ、[[JR西日本宮島フェリー]]の[[航路]]([[鉄道連絡船]])である。路線名は'''[[宮島航路]]'''。 |
'''宮島連絡船'''(みやじまれんらくせん)は、[[広島県]][[廿日市市]]の[[宮島口駅]]と同市[[厳島]]の[[宮島駅]]の間を結ぶ、[[JR西日本宮島フェリー]]の[[航路]]([[鉄道連絡船]])である。路線名は'''[[宮島航路]]'''。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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かつては[[日本国有鉄道]](国鉄)の航路であり、[[1987年]] |
かつては[[日本国有鉄道]](国鉄)の航路であり、[[1987年]]([[昭和]]62年)4月1日の[[国鉄分割民営化]]後は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)が運航していた。JR西日本は[[2009年]]([[平成]]21年)[[2月2日]]に新設した[[完全子会社]]のJR西日本宮島フェリーへ宮島連絡船の[[事業譲渡|事業を譲渡]]し、同年[[4月1日]]から同社での営業を開始した<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174015_799.html www.westjr.co.jp - 船舶事業子会社の設立について] JR西日本・2008年12月4日プレスリリース</ref>。分社化の時点で、年間1億円ほどの赤字が10年ほど継続している状態であった<ref>[http://www.l-co.co.jp/times/log/09/090206/32.html 「宮島フェリー」誕生 JRが出資し分社化] 西広島タイムス2009年2月6日</ref>。 |
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なお、事業譲渡後も本航路はこれまで通り「[[青春18きっぷ]]」での乗船も可能となっている<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174680_799.html www.westjr.co.jp - 「青春18きっぷ」の発売について] JR西日本・2010年2月10日プレスリリースより。JR他社公式ウェブサイトにも同様の内容あり。</ref>一方で、宮島連絡船単独の乗車券をみどりの窓口([[マルス (システム)|マルス]])で購入することはできなくなった。 |
なお、事業譲渡後も本航路はこれまで通り「[[青春18きっぷ]]」での乗船も可能となっている<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174680_799.html www.westjr.co.jp - 「青春18きっぷ」の発売について] JR西日本・2010年2月10日プレスリリースより。JR他社公式ウェブサイトにも同様の内容あり。</ref>一方で、宮島連絡船単独の[[乗車券]]を[[みどりの窓口]]([[マルス (システム)|マルス]])で購入することはできなくなった。 |
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[[航路]]の運航距離は |
[[航路]]の運航距離は2 km程度あるが、並行する[[宮島松大汽船]]との[[運賃]]のバランスを考慮して、[[営業キロ]]を1.0 kmとしている。この航路は宮島松大汽船の航路と共に[[広島県道43号厳島公園線]]の一部を形成している。そのため、国鉄時代から[[自動車航送]]を取り扱っている。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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宮島行きの渡船については、[[江戸時代]]より廿日市などから出港していた(詳細は[[宮島航路]]参照)。 |
宮島行きの渡船については、[[江戸時代]]より廿日市などから出港していた(詳細は[[宮島航路]]参照)。 |
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[[1897年]](明治30年)[[9月25日]]の[[山陽鉄道]]延伸に合わせて、[[広島市]]在住の[[実業家]][[早速勝三]]<ref group = "補足">当時広島で最大の部数だった新聞[[芸備日日新聞]]の社主 |
[[1897年]]([[明治]]30年)[[9月25日]]の[[山陽鉄道]]延伸に合わせて、[[広島市]]在住の[[実業家]][[早速勝三]]<ref group = "補足">当時広島で最大の部数だった新聞[[芸備日日新聞]]の[[社主]]であった。</ref>が、赤崎海岸に[[桟橋]]を設置。宮島間の航路を開設した<ref>芸備日日新聞 1897年(明治30年)9月23日付の[[新聞広告]]に、同月25日から連絡船就航開始の旨が記載されている</ref><ref group = "補足">書籍によっては同年6月就航開始とする物も存在するが、その時は届出を行ったのみの可能性もある</ref>。赤崎海岸の桟橋は、現在の[[広電宮島口駅#宮島口桟橋|宮島口桟橋]]の始まりになり、その航路が宮島連絡船の始まりになった。 |
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[[1899年]](明治32年)6月に、宮島有志の共同事業として、地元有志が[[出資]]した[[会社]]「渡津[[合資会社]]」に事業譲渡された。翌年に[[株式会社]]に組織変更され「渡津株式会社」になった。 |
[[1899年]](明治32年)6月に、宮島有志の共同事業として、地元有志が[[出資]]した[[会社]]「渡津[[合資会社]]」に事業譲渡された。翌年に[[株式会社]]に組織変更され「渡津株式会社」になった。 |
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[[1902年]](明治35年)[[4月]]に、「宮島渡航株式会社」が建造した[[宮島丸 (宮島連絡船)|宮島丸]]が就航した<ref group = "補足">「渡津株式会社」と「宮島渡航株式会社」の関係について、『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』では不明としている</ref>。 |
[[1902年]](明治35年)[[4月]]に、「宮島渡航株式会社」が建造した[[宮島丸 (宮島連絡船)|宮島丸]]が就航した<ref group = "補足">「渡津株式会社」と「宮島渡航株式会社」の関係について、『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』では不明としている</ref>。 |
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[[1903年]](明治36年)に[[山陽鉄道]]が、「宮島渡航株式会社」の桟橋・船舶・航路の一切を買収、[[5月8日]]から山陽鉄道直営航路になる([[山陽汽船商社]]も |
[[1903年]](明治36年)に[[山陽鉄道]]が、「宮島渡航株式会社」の桟橋・船舶・航路の一切を[[M&A|買収]]、[[5月8日]]から山陽鉄道直営航路になる([[山陽汽船商社]]も参照)。宮島駅(現在の[[宮島口駅]])の[[駅長]]が宮島航路も兼任することになり、[[汽車]]と[[汽船]]の[[連絡運輸|連絡切符]]を販売した。同年の7月時点で10往復していた。[[1905年]](明治38年)[[11月]]に、より大型の[[厳島丸 (宮島連絡船)|厳島丸]]と交代した。 |
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山陽鉄道は、[[1906年]](明治39年)[[12月1日]]に[[鉄道国有法|国有化]]され、国鉄航路になった。 |
山陽鉄道は、[[1906年]](明治39年)[[12月1日]]に[[鉄道国有法|国有化]]され、官設鉄道(当時。後の国鉄)航路になった。 |
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=== 沿革 === |
=== 沿革 === |
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== 運航形態 == |
== 運航形態 == |
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宮島発は5時45分から22時12分まで、宮島口発は6時25分から22時42分まで運航される。昼間時は15分 |
宮島発は5時45分から22時12分まで、宮島口発は6時25分から22時42分まで運航される。昼間時は15分[[パターンダイヤ|間隔]]だが、多客日は10分間隔になる。宮島口発の便については、9時台から16時台前半の便で[[厳島神社]]大鳥居沖経由便を設定するなどのサービスも行っている(宮島松大汽船側は直通コースを取り、その分所要時間が短い)。 |
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== 運賃 == |
== 運賃 == |
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* 運賃は、片道大人180円・子供90円である。この料金は競合路線の[[宮島松大汽船]]と同額である。 |
* [[運賃]]は、片道大人180円・子供90円、[[障害者]]割引は大人90円・子供40円である。この料金は競合路線の[[宮島松大汽船]]と同額である。 |
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* 宮島松大汽船および[[広島電鉄]]が発行する切符では乗ることはできない。 |
* 宮島松大汽船および[[広島電鉄]]が発行する切符では乗ることはできない。 |
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* 貸切も可能である。 |
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=== 自動車航送 === |
=== 自動車航送 === |
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* 自動車航送料金は、 |
* 自動車航送料金は、3 m未満が790円、3 m以上4 m未満が1,210円、4 m以上5 m未満が1,690円、5 m以上6 m未満が2,210円となっており、[[運転手|ドライバー]]1名の運賃が含まれている。車両の最大高さは2.2 m以下。 |
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* 乗船当日に自動車航送券を購入する。[[自動車検査証|車検証]]の提示は不要だが、提示を求められる場合がある。 |
* 乗船当日に自動車航送券を購入する。[[自動車検査証|車検証]]の提示は不要だが、提示を求められる場合がある。 |
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=== 自転車・オートバイ航送 === |
=== 自転車・オートバイ航送 === |
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* 自転車・オートバイ航送自動車航送料金は、自転車が100円である他、オートバイが |
* [[自転車]]・[[オートバイ]]航送自動車航送料金は、自転車が100円である他、オートバイが125 cc以下が190円、125 cc超750 cc以下が290円、750 cc超が380円となっているが、運転者の運賃は含まれておらず、別途運賃が必要となる。 |
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* 自動車航送同様に、乗船当日に自転車・バイク航送券並びに乗船券を購入する。 |
* 自動車航送同様に、乗船当日に自転車・バイク航送券並びに乗船券を購入する。 |
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=== 対応乗車カード === |
=== 対応乗車カード === |
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* 徒歩や自転車・バイク航送での乗船に限り、2009年 |
* 徒歩や自転車・バイク航送での乗船に限り、[[2009年]](平成21年)10月17日より[[ICカード|IC]][[乗車カード]]「[[PASPY]]」を導入し、同カードのエリア使用可能な「[[ICOCA]]」も使用可能となった。同じ区間を運航する宮島松大汽船と同時実施になっている。ただしICOCAの場合はPASPY割引は発生しない。[[2011年]](平成23年)3月31日までは[[バスカード (広島県)]]が利用できた。なおPASPY、ICOCA、バスカードいずれの利用の際も宮島側にしかカードリーダーがないため、宮島口から乗船する際はそのまま乗船し、宮島側で精算するようになっている。 |
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* 自動車航送 |
* 自動車航送に「ICOCA」や「PASPY」などのIC乗車カードは使用できない。 |
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== 駅一覧 == |
== 駅一覧 == |
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|船名||用途||総トン数||就航日||終航日||備考 |
|船名||用途||総トン数||就航日||終航日||備考 |
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|[[宮島丸 (宮島連絡船)|宮島丸]]||客船||30. |
|[[宮島丸 (宮島連絡船)|宮島丸]]||客船||30.32 t||1902年4月||1905年11月8日|| |
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|[[厳島丸 (宮島連絡船)|厳島丸]]||客船||70. |
|[[厳島丸 (宮島連絡船)|厳島丸]]||客船||70.00 t||1905年11月8日||1924年9月1日|| |
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|[[みやじま丸 (初代)|みやじま丸]](初代)||客船||242. |
|[[みやじま丸 (初代)|みやじま丸]](初代)||客船||242.08 t||1954年10月9日||1970年3月20日||1962年車載対応<br />1964年転籍、大島丸(2代目)になる |
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|[[みやじま丸 (2代)|みやじま丸]](2代目)||客貨船||117. |
|[[みやじま丸 (2代)|みやじま丸]](2代目)||客貨船||117.16 t||1965年10月1日||1978年9月19日|| |
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|[[みやじま丸 (3代)|みやじま丸]](3代目)||旅客フェリー||266. |
|[[みやじま丸 (3代)|みやじま丸]](3代目)||旅客フェリー||266.40 t||1978年9月27日||2006年5月12日|| |
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|[[下関丸 (初代)|七浦丸]]||客船||188. |
|[[下関丸 (初代)|七浦丸]]||客船||188.83 t||1920年<br />1954年7月||1946年4月24日<br />1955年8月25日||1901年5月27日に下関丸として[[大島連絡船|大島航路]]に就役<br />1920年転籍時に七浦丸に改称 |
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|[[大瀬戸丸|弥山丸]]||客船||188. |
|[[大瀬戸丸|弥山丸]]||客船||188.83 t||1920年||1956年3月||1901年5月27日に大瀬戸丸として大島航路に就役<br />1925年6月5日に弥山丸に改称 |
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|[[みやじま丸 (2代)|みせん丸]](2代目)||客貨船||117. |
|[[みやじま丸 (2代)|みせん丸]](2代目)||客貨船||117.22 t||1965年10月1日||1976年7月24日|| |
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|[[みやじま丸 (3代)|みせん丸]](3代目)||旅客フェリー||266. |
|[[みやじま丸 (3代)|みせん丸]](3代目)||旅客フェリー||266.49 t||1978年8月10日||1996年4月25日|| |
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|[[山陽丸 (宮島連絡船)|山陽丸]]||客貨船||158. |
|[[山陽丸 (宮島連絡船)|山陽丸]]||客貨船||158.20 t||1965年7月15日||1978年7月31日||大島航路・[[仁堀航路]]の予備船兼用 |
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|[[大島丸 (3代)|安芸丸]](2代目)||旅客フェリー||267. |
|[[大島丸 (3代)|安芸丸]](2代目)||旅客フェリー||267.03 t||1976年||1987年1月28日||1970年3月20日に大島丸 (3代目)として就役 |
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|[[五十鈴丸]]||-||-||1964年||1965年||150t魚雷運搬船を改造 |
|[[五十鈴丸]]||-||-||1964年||1965年||150t魚雷運搬船を改造 |
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== 運送実績 == |
== 運送実績 == |
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[[2009年]](平成21年)の運送実績は1,765,251人(船舶別宮島来場者数、「廿日市市統計書 2010年(平成22年)版」より)で、[[宮島松大汽船]]の1,596,058人を上回り首位になっている。宮島来場者総数が3,464,546人なので、約51%のシェアである。[[2001年]](平成13年)からの実績は、年によっては宮島松大汽船を下回る年もある。詳細は、「[[宮島駅#利用状況]]」を確認のこと。 |
[[2009年]](平成21年)の運送実績は1,765,251人(船舶別宮島来場者数、「廿日市市統計書 2010年(平成22年)版」より)で、[[宮島松大汽船]]の1,596,058人を上回り首位になっている。宮島来場者総数が3,464,546人なので、約51 %の[[市場占有率|シェア]]である。[[2001年]](平成13年)からの実績は、年によっては宮島松大汽船を下回る年もある。詳細は、「[[宮島駅#利用状況]]」を確認のこと。 |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
2017年9月6日 (水) 05:56時点における版
宮島連絡船(宮島航路) | |
---|---|
概要 | |
現況 | 運航中 |
起終点 |
起点:宮島口駅 終点:宮島駅 |
駅数 | 2駅 |
運営 | |
開業 | 1897年9月25日 |
国有化 | 1906年12月1日 |
民営化 | 1987年4月1日 |
子会社化 | 2009年4月1日 |
所有者 |
早速勝三(個人)→渡津合資会社→渡津株式会社→宮島渡航株式会社→山陽鉄道→ 鉄道作業局→帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省→運輸通信省→運輸省→ 日本国有鉄道(国鉄)→ 西日本旅客鉄道(JR西日本)→ JR西日本宮島フェリー |
路線諸元 | |
路線総延長 |
1.0 km (0.62 mi) 航路距離(営業キロ) |
宮島連絡船(みやじまれんらくせん)は、広島県廿日市市の宮島口駅と同市厳島の宮島駅の間を結ぶ、JR西日本宮島フェリーの航路(鉄道連絡船)である。路線名は宮島航路。
鉄道連絡船ではあるが鉄道線を挟んだ輸送を担うものではない。
概要
かつては日本国有鉄道(国鉄)の航路であり、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本)が運航していた。JR西日本は2009年(平成21年)2月2日に新設した完全子会社のJR西日本宮島フェリーへ宮島連絡船の事業を譲渡し、同年4月1日から同社での営業を開始した[1]。分社化の時点で、年間1億円ほどの赤字が10年ほど継続している状態であった[2]。
なお、事業譲渡後も本航路はこれまで通り「青春18きっぷ」での乗船も可能となっている[3]一方で、宮島連絡船単独の乗車券をみどりの窓口(マルス)で購入することはできなくなった。
航路の運航距離は2 km程度あるが、並行する宮島松大汽船との運賃のバランスを考慮して、営業キロを1.0 kmとしている。この航路は宮島松大汽船の航路と共に広島県道43号厳島公園線の一部を形成している。そのため、国鉄時代から自動車航送を取り扱っている。
歴史
宮島行きの渡船については、江戸時代より廿日市などから出港していた(詳細は宮島航路参照)。
1897年(明治30年)9月25日の山陽鉄道延伸に合わせて、広島市在住の実業家早速勝三[補足 1]が、赤崎海岸に桟橋を設置。宮島間の航路を開設した[4][補足 2]。赤崎海岸の桟橋は、現在の宮島口桟橋の始まりになり、その航路が宮島連絡船の始まりになった。
1899年(明治32年)6月に、宮島有志の共同事業として、地元有志が出資した会社「渡津合資会社」に事業譲渡された。翌年に株式会社に組織変更され「渡津株式会社」になった。
1902年(明治35年)4月に、「宮島渡航株式会社」が建造した宮島丸が就航した[補足 3]。
1903年(明治36年)に山陽鉄道が、「宮島渡航株式会社」の桟橋・船舶・航路の一切を買収、5月8日から山陽鉄道直営航路になる(山陽汽船商社も参照)。宮島駅(現在の宮島口駅)の駅長が宮島航路も兼任することになり、汽車と汽船の連絡切符を販売した。同年の7月時点で10往復していた。1905年(明治38年)11月に、より大型の厳島丸と交代した。
山陽鉄道は、1906年(明治39年)12月1日に国有化され、官設鉄道(当時。後の国鉄)航路になった。
沿革
- 1897年(明治30年)
- 1899年(明治32年)6月:地元有志が出資した会社「渡津合資会社」に移管。
- 1900年(明治33年)9月:会社組織を「渡津株式会社」に改組。
- 時期不詳:「渡津株式会社」が「宮島渡航株式会社」に社名変更?
- 1903年(明治36年)5月8日:山陽鉄道が「宮島渡航株式会社」を買収し、直営航路として運航開始。鉄道連絡船となる。
- 1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道の国有化に伴い、官設鉄道(鉄道作業局)に移管。
- 1929年(昭和4年)4月1日:宮島 - 厳島間の営業範囲を旅客、手荷物、小荷物および旅客付随小荷物とし、営業キロを5 kmとする[5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1968年(昭和43年)11月1日:宮島口さん橋および宮島さん橋を廃止し、営業範囲を旅客、手荷物、小荷物および小口扱貨物とする宮島営業所を広島県佐伯郡宮島町に設置する[6]。
- 1974年(昭和49年)10月1日:宮島営業所の営業範囲を旅客、荷物へ改正する[7]。宮島口・宮島間の航路は、旅客運輸営業に変更となる[8]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:宮島営業所の営業範囲を旅客へ改正する[9]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)に移管。
- 2009年(平成21年)2月2日:航路を引き継ぐJR西日本宮島フェリー株式会社設立。
- 2009年(平成21年)4月1日:JR西日本宮島フェリーに移管。
- 2011年(平成23年)3月31日:この日の利用をもってバスカードの取り扱いを終了。
運航形態
宮島発は5時45分から22時12分まで、宮島口発は6時25分から22時42分まで運航される。昼間時は15分間隔だが、多客日は10分間隔になる。宮島口発の便については、9時台から16時台前半の便で厳島神社大鳥居沖経由便を設定するなどのサービスも行っている(宮島松大汽船側は直通コースを取り、その分所要時間が短い)。
運賃
- 運賃は、片道大人180円・子供90円、障害者割引は大人90円・子供40円である。この料金は競合路線の宮島松大汽船と同額である。
- 宮島松大汽船および広島電鉄が発行する切符では乗ることはできない。
- 団体割引は8名以上で、多客時は片道大人150円・子供70円、閑散期は片道大人140円・子供60円、学生団体割引(8名以上、通年)は中学生以上は80円、小学生以下は50円、教職員・付添人は110円である。
- 貸切も可能である。
- JRの特別企画乗車券に関しては、青春18きっぷ・フルムーン夫婦グリーンパス・秋の乗り放題パス・ぐるりんパスなどが利用できる。
自動車航送
- 自動車航送料金は、3 m未満が790円、3 m以上4 m未満が1,210円、4 m以上5 m未満が1,690円、5 m以上6 m未満が2,210円となっており、ドライバー1名の運賃が含まれている。車両の最大高さは2.2 m以下。
- 乗船当日に自動車航送券を購入する。車検証の提示は不要だが、提示を求められる場合がある。
自転車・オートバイ航送
- 自転車・オートバイ航送自動車航送料金は、自転車が100円である他、オートバイが125 cc以下が190円、125 cc超750 cc以下が290円、750 cc超が380円となっているが、運転者の運賃は含まれておらず、別途運賃が必要となる。
- 自動車航送同様に、乗船当日に自転車・バイク航送券並びに乗船券を購入する。
対応乗車カード
- 徒歩や自転車・バイク航送での乗船に限り、2009年(平成21年)10月17日よりIC乗車カード「PASPY」を導入し、同カードのエリア使用可能な「ICOCA」も使用可能となった。同じ区間を運航する宮島松大汽船と同時実施になっている。ただしICOCAの場合はPASPY割引は発生しない。2011年(平成23年)3月31日まではバスカード (広島県)が利用できた。なおPASPY、ICOCA、バスカードいずれの利用の際も宮島側にしかカードリーダーがないため、宮島口から乗船する際はそのまま乗船し、宮島側で精算するようになっている。
- 自動車航送に「ICOCA」や「PASPY」などのIC乗車カードは使用できない。
駅一覧
駅名 | 営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|
宮島口駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽本線 広島電鉄:宮島線 (広電宮島口駅) |
宮島駅 | 1.0 |
山陽本線宮島口駅は、宮島航路宮島口駅から徒歩6分の距離にある。
-
宮島口桟橋
-
宮島口桟橋、JR側
-
宮島桟橋
使用船舶
現在就航されている船舶
以下の3隻が就航しており、現在ではすべての船を自動車搭載可能なフェリーとしている。また、ななうら丸以外は両頭船になっている。
船名 | 用途 | 総トン数 | 就航日 | 備考 |
ななうら丸(3代目) | 旅客フェリー | 275t[10] | 2016年11月7日[11] | |
みせん丸(4代目) | 旅客フェリー | 218t | 1996年4月27日[12] | |
みやじま丸(4代目) | 旅客フェリー | 254t | 2006年5月23日 | 後記の事故で就航が遅れる |
現在のみやじま丸は当初2006年3月15日に就航予定だったが、試験航行中に松大汽船側の桟橋に衝突したため、2か月8日遅れて同年5月23日に就航し、これに伴い旧みやじま丸は運航を終了した。
-
みやじま丸
-
ななうら丸
-
みせん丸
過去就航されていた船舶
船名 | 用途 | 総トン数 | 就航日 | 終航日 | 備考 |
宮島丸 | 客船 | 30.32 t | 1902年4月 | 1905年11月8日 | |
厳島丸 | 客船 | 70.00 t | 1905年11月8日 | 1924年9月1日 | |
みやじま丸(初代) | 客船 | 242.08 t | 1954年10月9日 | 1970年3月20日 | 1962年車載対応 1964年転籍、大島丸(2代目)になる |
みやじま丸(2代目) | 客貨船 | 117.16 t | 1965年10月1日 | 1978年9月19日 | |
みやじま丸(3代目) | 旅客フェリー | 266.40 t | 1978年9月27日 | 2006年5月12日 | |
七浦丸 | 客船 | 188.83 t | 1920年 1954年7月 |
1946年4月24日 1955年8月25日 |
1901年5月27日に下関丸として大島航路に就役 1920年転籍時に七浦丸に改称 |
弥山丸 | 客船 | 188.83 t | 1920年 | 1956年3月 | 1901年5月27日に大瀬戸丸として大島航路に就役 1925年6月5日に弥山丸に改称 |
みせん丸(2代目) | 客貨船 | 117.22 t | 1965年10月1日 | 1976年7月24日 | |
みせん丸(3代目) | 旅客フェリー | 266.49 t | 1978年8月10日 | 1996年4月25日 | |
山陽丸 | 客貨船 | 158.20 t | 1965年7月15日 | 1978年7月31日 | 大島航路・仁堀航路の予備船兼用 |
安芸丸(2代目) | 旅客フェリー | 267.03 t | 1976年 | 1987年1月28日 | 1970年3月20日に大島丸 (3代目)として就役 |
五十鈴丸 | - | - | 1964年 | 1965年 | 150t魚雷運搬船を改造 |
玉川丸 | - | - | 1964年 | 1965年 | 150t魚雷運搬船を改造 |
かざし | - | - | - | - | |
みゆき | - | - | - | - | |
みさき | - | - | - | - |
運送実績
2009年(平成21年)の運送実績は1,765,251人(船舶別宮島来場者数、「廿日市市統計書 2010年(平成22年)版」より)で、宮島松大汽船の1,596,058人を上回り首位になっている。宮島来場者総数が3,464,546人なので、約51 %のシェアである。2001年(平成13年)からの実績は、年によっては宮島松大汽船を下回る年もある。詳細は、「宮島駅#利用状況」を確認のこと。
参考文献
- 古川達郎『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07319-9
- 長船友則『山陽鉄道物語』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07028-0
- 廿日市市統計書 2006年版(廿日市市)
- 廿日市市統計書 2010年版(廿日市市)
- 廿日市町史 通史編(下)(廿日市町)
- 廣島県 大野町誌(広島県佐伯郡大野町役場)
補足
- ^ 当時広島で最大の部数だった新聞芸備日日新聞の社主であった。
- ^ 書籍によっては同年6月就航開始とする物も存在するが、その時は届出を行ったのみの可能性もある
- ^ 「渡津株式会社」と「宮島渡航株式会社」の関係について、『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』では不明としている
脚注
- ^ www.westjr.co.jp - 船舶事業子会社の設立について JR西日本・2008年12月4日プレスリリース
- ^ 「宮島フェリー」誕生 JRが出資し分社化 西広島タイムス2009年2月6日
- ^ www.westjr.co.jp - 「青春18きっぷ」の発売について JR西日本・2010年2月10日プレスリリースより。JR他社公式ウェブサイトにも同様の内容あり。
- ^ 芸備日日新聞 1897年(明治30年)9月23日付の新聞広告に、同月25日から連絡船就航開始の旨が記載されている
- ^ 1929年(昭和4年)12月29日鐵道省告示第293号「各航路ニ於ケル運輸營業範圍等」
- ^ 1968年10月31日日本国有鉄道公示第428号「宮島口・宮島間航路に営業所を設置する等の件」
- ^ 1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第209号「荷扱所及び営業所の営業範囲の改正」
- ^ 1974年(昭和49年)9月30日日本国有鉄道公示第244号「旅客運輸営業を変更する件」
- ^ 1985年(昭和60年)3月12日日本国有鉄道公示第181号「駅の営業範囲の改正」
- ^ "「ななうら丸」老朽化に伴う新船建造のお知らせ" (Press release). JR西日本宮島フェリー株式会社. 3 July 2015. 2016年11月19日閲覧。
- ^ “新「ななうら丸」が来月7日就航 宮島航路、定員2割増”. 日本経済新聞 (2016年10月29日). 2016年11月19日閲覧。
- ^ “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日)