厳島丸 (宮島連絡船)

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厳島丸(いつくしままる)は、山陽鉄道鉄道省鉄道連絡船宮島航路で就航し、後に宇高航路に転属している。

概略[編集]

宮島航路は、1897年(明治30年)、広島市在住の個人が経営する渡船として発足し、1899年(明治32年)地元有志が出資した会社に移管された。この会社で1902年(明治35年)に就航した船舶宮島丸である。1903年(明治36年)3月 、山陽鉄道が宮島航路を買収し直営航路になると、譲渡された宮島丸で運航していた。利用客増加に伴い、山陽鉄道は宮島航路用の新しい船の導入を決定する。これが厳島丸である。

厳島丸は大阪鉄工所1905年(明治38年)11月8日に竣工した木造船である。同日より宮島 - 厳島に就航する。1906年(明治39年)、山陽鉄道の国有化後も引き続き宮島航路で運航された。

1920年(大正9年)、関門航路下関丸大瀬戸丸(七浦丸と弥山丸に改称)が宮島航路に転属する。これにより厳島丸は宇高航路に転属する。

宇高航路では当初は客船として使用していた。1921年(大正10年)10月、第一次世界大戦後の貨物輸送需要が急激に増大したため、宇高航路で貨車航送が開始される。貨車ははしけに搭載され、厳島丸など4隻が親船として曳航する。

1924年(大正13年)6月、関門航路に転属し、同年9月に引退する。

プロフィール(新造時)[編集]

  • 総トン数:70.0t
  • 全長:75.0ft
  • 全幅:16.5ft
  • 出力:170馬力
  • 速力:10.3kt
  • 乗客:302名

※1ft=0.3048m

関連項目[編集]