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* 2010年度シーズン終了時 |
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* マリーンズルーキーオブザイヤー:2007年 |
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* 初登板:2007年4月17日、対[[オリックス・バファローズ]]4回戦([[千葉マリンスタジアム]])、7回表二死から救援登板 |
* 初登板:2007年4月17日、対[[オリックス・バファローズ]]4回戦([[千葉マリンスタジアム]])、7回表二死から救援登板 |
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* 初奪三振:同上、8回表に[[大西宏明]]から |
* 初奪三振:同上、8回表に[[大西宏明]]から |
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* 初勝利:2007年6月24日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]4回戦([[明治神宮野球場]])、7回裏二死から救援登板 |
* 初勝利:2007年6月24日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]4回戦([[明治神宮野球場]])、7回裏二死から救援登板 |
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* 初セーブ:2007年9月19日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]20回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表から救援登板 |
* 初セーブ:2007年9月19日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]20回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表から救援登板 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2011年8月8日 (月) 13:48時点における版
千葉ロッテマリーンズ #0 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都町田市 |
生年月日 | 1982年4月26日(42歳) |
身長 体重 |
174 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
初出場 | 2007年4月17日 |
年俸 | 4,160万円(2011年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。
来歴
プロ入り前
東京都町田市出身。四人兄弟の次男。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、4年時の2004年には全日本大学野球選手権大会に出場した。
大学卒業後は社会人野球の日立製作所に入社。1年目からエースとしてチームを引っ張り、第76回都市対抗野球大会に出場を果たした。社会人2年目の翌2006年、第77回都市対抗野球大会北関東2次予選では、荻野の所属する日立製作所は出場権を巡って住友金属鹿島・富士重工業を相手に予選だけでなく3度ものプレーオフを戦ったが、荻野はこれらの試合のほとんどに登板した。プロ入り後の週刊ベースボール誌のインタビューでは「野球人生の中でこの時が一番きつかった」と語っている。結局この年は自チームでの都市対抗野球出場は逃したものの、住友金属鹿島の補強選手として本大会に出場、1回戦で先発投手を任され、後に東京ヤクルトスワローズ入りする衣川篤史とバッテリーを組んだ。
同年秋の大学生・社会人ドラフトで千葉ロッテマリーンズから4巡目指名を受け、12月6日に仮契約し入団。背番号0は2006年シーズンまで社会人時代の先輩、諸積兼司が着けていた。ロッテの投手が背番号0をつけるのは吉田篤史以来。これに伴い、2007年時点で背番号0の投手は佐藤宏志、金剛弘樹に次いで3人目となった。
プロ入り後
2007年は6月24日のヤクルト戦で、中継ぎとして登板し2球を投げただけでプロ初勝利をあげる。ピンチにも全く動じない強心臓でチームの数々のピンチを救い、チームの2位通過に大きく貢献した。最終的な成績は58試合に登板して1勝3敗1セーブ、防御率2.21で、中継ぎエースの薮田安彦に次ぐ21ホールドポイントも記録した。
2008年は前年退団した小林雅英に代わる新守護神に定着。前半戦は度々痛打されサヨナラ負けを喫した事もあったもののその後は安定した投球を見せ、9月27日のソフトバンク戦で前年小林が記録した27セーブを上回り、終わってみればトップのオリックス・加藤大輔に3つ差と迫るリーグ3位の30セーブをマークし、小林の穴を完全に埋めた。
2009年も開幕から抑えに指名され5月中旬まで自責0を続けていたが、5月14日のソフトバンク戦で長谷川勇也、田上秀則の連続HRでサヨナラ負けを喫すると一気に調子を落とし、防御率5点台で6月には抑えをシコースキーに譲って中継ぎに回った。その後は復調して主に勝ち試合の8回を任され(セットアッパー)、3年連続50試合登板、10ホールド9セーブを記録した。
しかし、2010年は怪我によりプロ入り初の一軍出場無しに終わる。
プレースタイル
小柄な体からは想像できない大胆なフォームから、キレの良い球を投げ込む。
直球のスピードは平均130km/h後半だが、最大の持ち味である縦に大きく割れるカーブをはじめ、スライダー、SFF、カットボールなど多彩な変化球を操る。また直球は、普通の持ち方とは違い、スライダーのような独特の握りで投げる。
抑え投手としては珍しい軟投派。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | ロッテ | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 20 | .250 | 214 | 53.0 | 43 | 2 | 13 | 4 | 2 | 35 | 2 | 0 | 15 | 13 | 2.21 | 1.06 |
2008 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 30 | 1 | .500 | 245 | 58.2 | 51 | 3 | 20 | 1 | 3 | 41 | 2 | 0 | 19 | 16 | 2.45 | 1.21 | |
2009 | 53 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 9 | 10 | .500 | 210 | 49.1 | 48 | 6 | 13 | 2 | 2 | 39 | 3 | 0 | 23 | 20 | 3.65 | 1.24 | |
通算:3年 | 169 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 11 | 40 | 31 | .450 | 669 | 161.0 | 142 | 11 | 46 | 7 | 7 | 115 | 7 | 0 | 57 | 49 | 2.74 | 1.17 |
- 2010年度シーズン終了時
記録
- 初登板:2007年4月17日、対オリックス・バファローズ4回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表二死から救援登板
- 初奪三振:同上、8回表に大西宏明から
- 初ホールド:2007年4月21日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(フルキャストスタジアム)
- 初勝利:2007年6月24日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、7回裏二死から救援登板
- 初セーブ:2007年9月19日、対福岡ソフトバンクホークス20回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表から救援登板
背番号
- 0 (2007年 - )
脚注
- ^ 2010年11月16日 日刊スポーツ・大阪版 6版4面